14 始まりの狼煙(2)

 その後、これからの大まかなことを話し合って、散会となった。

 いつもであれば、それぞれが忙しなく部屋を出ていくのが通常である。しかし、今日ばかりはみなが部屋にとどまっていた。


 真比呂と魁は、組紐に使う琥珀の数や納品時期について、さっそく話を始めている。一方、碧霧は伍慶や重丸たちと声をひそめて密談だ。

 碧霧の冷ややかな表情から、いい話ではないなと紫月は感じた。さっき「邪魔な者」だとか「始末」だとか物騒な言葉が飛び交っていたから、きっとそのことについてだろう。


「いやね、男のひそひそ話って。紫月、こっちで話しましょ」


 美玲がつまらなそうに吐き捨てて、紫月を離れた場所に誘った。その気遣いが紫月には嬉しい。


「ありがとう、美玲。世話焼きは相変わらずね」

「どういたしまして。世話がかかるのはあなたも変わらないわね。ああいう話は、碧霧さまに任せておけばいいのよ。一緒に背負ってあげればいいと思うけど、話に加わる必要はないわ」


 美玲は厳しそうに見えて、その実、「しょうがない」と言いながら世話を焼いてくるタイプだ。わりとダメダメな男子にころりといきそうだなと紫月は密かに思っている。


「美玲、人の国にも遊びに来て。今度、葵に連れてくるようにお願いしておくから」

「すっかり人の国のあやかしになっちゃって。こっちに戻ってくる気はある?」

「もちろんよ。いろいろ慣れはしたけど……、ずっと住みたい場所じゃないわね。角は隠さないといけないし、瞳の色も変えないといけない。とにかく人のルールに従わないと生きていけないのよ。今は吽助うんすけも一緒にいるんだけど、こんな犬になっちゃって」


 紫月が口を尖らせつつ、美玲に対して手振りで吽助の大きさを表現してみせる。どうやら狛犬の大きさでは都合が悪いらしい。

 

「それで紫月、今日はこのまま帰っちゃうの?」

「そんなに長居はできないかな。でも、葵と一緒に端屋敷はやしきに行こうとは思ってる」

「月夜の里に入るつもり?」

「藤花叔母さまの子にどうしても会いたくて。大丈夫よ、百日紅さるすべり先生に連れていってもらうから」

「そう……」

「心配しないで。それより美玲、千紫さまに私も母さんも元気だって伝えて。会いに行くのは、さすがに無理だから」


 心配そうにうなずく美玲の手を取り、紫月は彼女に笑いかけた。




 その後、秘密の砦でみんなと別れてから、紫月は碧霧たちと端屋敷はやしきに向かった。端屋敷は、月夜の里の東の外れ、明山あからやまの奥にある。

 初めて会う伊万里は、現在九歳、藤花の面影を宿した愛らしい姫君だった。千紫の息のかかった侍女が身の回りの世話をしており、多少の外出も許されているらしい。軟禁状態であることに変わりはないが、大切に扱われていることに紫月はひとまずほっとした。


「伊万里さま、こちらは伯子の碧霧さま、そして落山の紫月さまです。紫月さまは、姫とは従姉いとこ同士となり、今は人の国においでです」


 猿師が簡単に紹介すると、姫君はぺこりと両手をついて頭を下げた。


「藤花の娘、伊万里と申します」


 着ている萌葱もえぎの小袖は、紫月が子供の頃に着ていたものだ。小さい体をきちんと正し、深々とお辞儀をする様は、姫君として申し分ない。


(でも、厳しくしつけられてるなあ……)


 そう感じずにはいられず、紫月は少し可哀想に思う。一方、伊万里は物珍しそうに紫月と碧霧の現代風の服装を見つめた。


百日紅さるすべり先生以外で、そういう格好をしている方を初めて見ました。二代目さまもお二人のような格好をしているのでしょうか?」

「そうね。まだ会ったことはないけれど、人の国のあやかしだから、きっとそうだと思うわ」

「では、私も二代目さまに古臭いと嫌われないよう、そういう格好をしてみたいです」


 無邪気な伊万里の笑顔が紫月たちの胸に刺さった。「二代目」とは二代目九尾のことであり、伏見谷へ嫁ぐことを己の使命であると教えられて育った伊万里にとって絶対的な存在である。会ったこともない相手に募らせる恋心とはいかなるものだろうか。

 伏見谷への輿入れは、彼女が自由になれる唯一の手段だ。しかし、二代目を慕う姿はあまりに盲目的過ぎて痛々しい。

 思えば、叔母の藤花は屋敷から一歩も外に出ることはなかったが、もっと自由であったと思う。藤花がいないことが、あらためて悔しいと感じる。


 それから毎日のささいなことを話し合い、ようやく伊万里が打ち解けてきたところで紫月は再会を約束し、端屋敷を後にした。今度来る時には、若い女の子向けの雑誌を持ってきてあげようと紫月は思う。


「ねえ葵、伊万里に月詞つきことを教えちゃダメ?」


 帰り道すがら紫月は碧霧に尋ねた。

 亡き藤花が大妖狐から妖刀にまつわる重要なものを預かったというのは有名な話で、それは妖刀の封印を解く鍵のようなものであると紫月は聞いていた。しかし今日、それが妖刀の「鞘」であることを猿師から初めて聞かされた。そしてその「鞘」が、今は伊万里に引き継がれているのだ。

 妖刀の半身とも言える鞘を体に収めることは、それなりに気を感じる力──同調能力がいる。これは、天地あまつちの気を取り込んで歌う月詞に求められる能力と同じである。


「伊万里は月詞を歌えると思うわ」

「だろうな」


 碧霧が小さく嘆息し、ちらりと猿師を見る。そして猿師が目顔で応えたのを確認してから紫月に言った。


「でもダメだ。月詞を歌えるとなると、父上にとって利用価値が上がり、伊万里の立場がややこしくなる。藤花さまの子だし、歌わせてやりたい紫月の気持ちは分かるけど、百日紅さるすべり先生と話し合って教えないと決めたんだ」

「そう……」


 藤花の子なのに月詞を歌わないなんて──。なんとも言えない悔しさが込み上げる。

 とは言え、確かに碧霧の言うとおりだった。彼女を危険にさらすことだけは避けなければならない。

 猿師が碧霧の言葉をやんわりと引き継ぐ。


「伊万里さまには人の国で生きていく上で必要なことを学んでいただくつもりです。人の国があやかしに優しい国でないことは、紫月さまも知ってのとおりです。女子であっても身を守るすべが必要です」


 抑圧された生活、がんじがらめの運命。そこから抜け出すべく、誰もが動き始めていて、それは幼い伊万里も例外ではない。

 では自分は──?


 体の奥深く、「白銀の子」の存在を常に感じている。碧霧からこの者の正体を聞いたのは、ずいぶんと前だ。驚きはしたがいろいろ納得もして、妙にすとんと腹に落ちた。


(私が呼び寄せ、葵に引き会わせた)


 そして碧霧は、名を聞く覚悟をしてしまっている。白銀の子の力が必要になると、そう思っている。その対価が何か、分からずままに。

 心の底で、白銀の子が満足げに笑ったような気がした。


2024.6.7 第2.5話 それぞれの始動(了)

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