第3話 鬼を狩る者(人の国ケモノ狩り編)

1)人の国の異能者

1 十六年目の喧嘩

 真っ黒な闇の中、淡い光に照らされて真っ白な水干姿の子供が立っていた。白銀の子は、いつも唐突に夢の中に現れる。

 白銀の瞳をすいっと細め、子供は紫月に言った。


『娘、時が満つる』

「そう。それで?」


 この子供に体を半分ほど乗っ取られている自覚はある。自分の意識がない間に、勝手に碧霧と話をしていることもずいぶん前に知った。


「あなたが勝手に私の体に居着いているんでしょ。時が満ちたと言うのなら、自由にどこへでも行けばいい」

いな。吾がとどまるは、あのわっぱの意思』


 碧霧の意思──。それは、具体的になに?

 しかし、どんな話にしろ、紫月にとっては面白くない話であることは間違いないので、彼女は不快な眼差しを白銀の子に返した。


「あまり……葵をそそのかさないで」

『そそのかすなど、』


 白銀の子がくつくつと笑いで喉を鳴らす。


『あやつの意思だと言っている。あれは、が何か言う前からさかしく欲深い』

「言い方──」

『褒めている』


 白い装束をひるがえし、白銀の子が紫月のすぐ近くに詰め寄った。そして彼は、したり顔で彼女を見上げた。


『欲深さはたまの強さの証し。おまえを離そうとしないのが良い例だ』

「そりゃ望まれているとは思うけど、彼の側にいるのは私の意思よ」

『そうか?』


 その全てを見透かしたような眼差しが、紫月に突き刺さった。




 はっとベッドの中で目が覚めて、ずしっとした重みを胸に感じる。回された碧霧の腕がのしかかっていて、それが紫月の胸を圧迫していた。


(ん、もう……)


 季節は冬だが、肌を寄せ合って寝ていれば下着姿でも寒くない。ただ、いつも碧霧の腕の中に抱きかかえられるので、彼の腕の重みで息苦しくなることもしばしばだ。

 紫月は、碧霧の腕をそっと脇へ押しやった。


(白銀の子が夢に出てきたのも、きっとこのせいだわ)


 あの者が意味もなく出てくる訳がないが、無理やりそういうことにして、もやもやした気持ちのまま静かに体を起こす。と、碧霧がもぞりと動いた。


「……紫月、おはよう」

「あ、起こしちゃった? ごめんね、葵」


 碧霧は眠りが浅い。こちらの寝返り一つにも反応するし、こうして腕をどかしたり、自分が起きると必ず目を覚ます。もっとゆっくり寝て欲しいと思うのに、なかなか深くは寝てくれない。

 無意識にため息を一つこぼすと、それを碧霧が拾った。


「嫌な夢でも見た? さえない顔して」


 言って碧霧は体を起こして、紫月の顔を覗き込んだ。大きな手で頬を優しく撫でられて、紫月は隠し事ができないなと苦笑する。


「大したことじゃないのよ。白銀の子が出てきただけ」

「月影が……。何か言われた?」

「時が満ちたって言われたわ」


 碧霧の穏やかな気がほんの一瞬だけ揺らぐ。こちらに対し、隠し事ができないのは碧霧も同じだ。今度は紫月が質問する番だ。


「葵、」

「ん──」


 ばつの悪そうに口を尖らせつつ碧霧は紫月を抱き寄せた。どうにかそれで誤魔化そうとしているのが見え見えだ。それで紫月が、碧霧の胸をぐいっと押し返して軽くにらむと、彼はいよいよばつの悪い顔をした。


「……伊万里を今年の夏ごろに輿入こしいれさせる」

「今年──。伏見谷の双子の妖狐は?」

「高校生っていうのをやっているらしくて、普通の狐みたいだけどな。でも、まあ、頃合いだ。時が満ちたと月影が言ったのなら、あながち間違ってないかも」


 妙に納得した口調で碧霧が言った。紫月はそんな彼にさらに尋ねた。


「鬼伯は?」

「父上は問題ない。母上が了承を得た」

「よく説得したね」


 伊万里を輿入れさせるために、あれこれと策を巡らせたであろうことは容易に想像がつく。碧霧がなんでもないと言った様子で答えた。


「九尾の妖刀が復活しそうだと、かくれを使ってそれとなく情報を流した。藤花さまも亡くなり、伏見谷の本家も代替わりを繰り返して、盟約自体が有名無実化している。何より、伏見谷が弱体化していると父上は思っている。そんな父上にとって、伊万里の輿入れは都合がいい。上手くいけば妖刀を奪えると考えているんじゃないかな」

「……伊万里が危なくない?」

「多少は。可能な限り操作する」


 まるで盤上の駒を動かすような言い方だ。勝算があっての言葉なのだろうが、それでも絶対はない。

 こうして碧霧の報告を聞いているだけの自分が紫月にはもどかしい。


「私も何かできない? 例えば、伊万里について伏見谷へ入るとか。せっかく人の国にいるんだもの。私も役に立ちたいわ」

「頼むから今は大人しくしておいて。身を隠している自覚ある?」


 すかさず碧霧が反対する。紫月はむっとした。


「これだけ頻繁に葵が人の国を往来していれば、相手だってうすうす感づいているでしょ。これじゃあまるで籠の中の鳥だわ。人の国に来て、多少なりと戦うすべも覚えたもの」

じゃなくて、すべだろ。とにかく駄目だ」

「まるで話を聞いてくれないのね」


 紫月はぷいっとそっぽを向いた。その反抗的な態度に今度は碧霧がむっとする。しかし彼は、それ以上は何も言わずにベッドから抜け出ると、さっさと着替え始めた。


「一旦、阿の国に戻るよ。また夜には来る」

「別に無理して来なくていい。ちょくちょく美玲も来てくれるし、どうせ私は囲われ女だもの。逃げやしないわ」

「こっちの心配も知らないで──」

「心配なのは、私の中にあるでしょ」


 分かっている。これは八つ当たりだ。もどかしいだけの自分をどうにかしたくてイライラしているだけ。

 ただ今日は、あの夢のせいで気持ちの余裕が紫月にはなかった。

 

「また──、来るから」


 もう一度言ってから、碧霧がふいっと背を向けた。そして彼は、そのままテラスに続くガラス戸から出ていく。

 たぶん、きっと怒らせた。

 しかし、紫月は見送る気にもなれず、戸が静かに閉まる音を背中で聞いた。


(やっちゃった……)


 一人になってから紫月は両手で顔を覆うと、大きなため息をついた。最後はどう考えても自分が悪い。

 ふと、部屋の外の階段でごそごそと音がする。ドアを開けると、狛犬の吽助うんすけが「がうっ」とじゃれついてきた。


「吽助、葵と喧嘩しちゃった。今日はもう来てくれないかも」


 頭を撫でながら狛犬に話しかける。

 その時、一階のリビングから言い争う声が響いた。

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