13 始まりの狼煙(1)

「どうでしょう、伍慶殿? 西がこちら側に攻撃を仕掛けるようかくれに工作させるというのは」


 碧霧が灰色の武装束の赤鬼に尋ねた。

 年齢は守役の左近ぐらいに見えるが、長命の鬼の見た目はあまり当てにならない。ただ、気骨を感じさせる顔立ちと落ち着いた風貌は、魁たち旅商団の赤鬼たちと明らかに違う。

 伍慶と呼ばれる赤鬼は、「ふうむ」とあごに手を当てた。


「少し時間をいただけますかな。あと、私どもにも何か益となるものがないと……。無駄な戦で被害が出ては割りに合わない」

「もちろんです。そうですね……、誰か邪魔な者はおりませんか?」

「おや、始末していただけるので?」

「戦ですから、誰かが思いがけず亡くなる、というのはよくある話です」


 碧霧が含みのある笑みを返す。感情の抜け落ちたような横顔は、紫月の知らない碧霧の顔だ。最近、彼はそういう顔を時折するようになった。


 いや、違う。本当は、でもでもない。旺知あきとも沈海平しずみだいらが報復されたあの日以来、彼はずっと怒っていて、優しい顔のその奥にいろいろな感情を隠している。そしてその事を誰にも言わない。

 しかし、それが彼の心をむしばんでいるように見えて、紫月は不安になる。 


「ちょっと、」


 ふいに美玲がずいっと前に出た。そして、不快な表情で碧霧と伍慶を軽くにらんだ。


「そういう話は殿方だけでしていただきたいわ。それよりも、そちらの方は? 初めて聞くお名前です」


 言って美玲は紫月をちらりと見る。彼女なりの、彼女らしい気遣いだ。同時に、魁以外の紅の鬼をいぶかしんでいるようだった。

 碧霧は苦笑しつつ答えた。


「ああ、すまない。あらためて紹介しよう。紅一族の伯弟、伍慶殿だ」

「伯弟……」

「皆さま、お初にお目にかかります。紅一族の伍慶と申します。魁の叔父になります。が、こいつとは年も近くて兄弟のような関係です」


 みなの注目が集まる中、赤鬼の武人が静かに頭を下げた。

 西の先代鬼伯は側妻そばめを多く抱えていたこともあり、男子が三人、女子もいる。現在、伯座は長兄が継いでおり、魁の父親は次男、伍慶は末子となる。先代が亡くなった時、大きな跡目争いが起こり、争いの中心にいた魁の両親や三男は長兄によって殺されたとのことだった。

 紫月が驚いた様子で魁と右近を見た。


「つまり、魁は西の伯家の鬼ってこと? そんなこと一言も口にしなかったじゃない。右近は知っていたの?」

「まさか。私も最近知ったんです」


 右近が答えると、魁は「な」と肩をすくめた。


「俺は商売で身を立てたくて家を出た。親も死んでいないし、伯家とはもう関係ねえ。ただの商売人だ」

「そんなつれないことを言うな、魁」


 伍慶が困った顔で笑った。そして碧霧に視線を戻しつつ話を続ける。


「魁の両親が殺された時、魁はすでに家を出ていたので難を逃れました。当時の私には、長兄の暴政に対抗できる力がありませんでした。西は決して豊かな土地ではない。民はみな疲弊しており、長兄はこうした民の鬱憤うっぷんを領境の戦に目を向けさせることで誤魔化している。私はそんな西の状況をなんとかしたい。百年以上かかりましたが、長兄に対抗しうる力を身に付けた今、魁を通じて北の伯子と出会えたのも運命であると感じております」

「伍慶殿のおっしゃる通りです」


 碧霧が軽くうなずいて、伍慶の言葉を引き継ぐ。


「この縁を俺も大切にしたいと思っている。北の領の今後を考えた時に、西の領との関係は押さえておかなければならない懸案事項だ。できれば、西の領とは最終的に同盟を結びたい。伍慶殿となら、それも可能だ」

「同盟──」


 部屋にちょっとした動揺が走る。今の西の領と同盟を結ぶことが困難であると分かった上で、「伍慶と同盟を結びたい」と伯子は言う。つまりは、「結ぶために頭をすげ替える」という意味だ。

 さらに言うなら、無断で他領と同盟を結ぶことは、碧霧自身にとっても明らかな反逆行為となる。


「……具体的な時期は考えているのか?」


 わずかに声を強張らせ、水天狗の真比呂が尋ねた。碧霧がためらうことなく答える。


「早くても七年後」

「七年後……。そこまで引っ張る理由を聞いても?」

「全ての状況が整うのに必要な時間だ。現在、端屋敷はやしきの姫──伊万里がすくすくと育っている。知っての通り、伊万里は封じられた九尾の妖刀を解放する鍵になるものを母親より受け継いでいて、伏見谷ふしみだにとの盟約の要だ。七年後、相応ふさわしい年齢となった時、伊万里を二代目九尾に嫁がせ、元伯家が大妖狐と結んだ盟約を果たす」


 ごくりと誰かが息を飲む音がした。しんと静まり返る部屋の中、重丸が猿師をちらりと見る。この場に集まった者に対して何らかの説明を求める視線である。

 猿師は言葉を選びながら重丸に応じた。


「……先代九尾──御屋形おやかたさまは、三百年前に命と引き替えに伏見谷を守る結界を結ばれた。そして今、その結界がほころび始めている。御屋形さまの遺言どおりであれば、かの力を引き継ぐ二代目が現れる」

「当ては──、あるのか?」

「伊万里さまが生まれた年に、伏見谷にも同じく双子の妖狐が生まれた。まだ狐火一つ出せない子供たちだが、儂は偶然だとは思っていない」


 碧霧が「みんな、」と声を発する。誰もがはっと若き伯子に視線を戻した。


「俺も全ては必然だと思っている。こうしてみんなと出会えたことも、そして月詞つきことを歌う姫が俺の隣にいることも」


 彼は隣に座る紫月の手を取ると、その指先に口づけた。紫月がはにかみながら微笑ほほえむ。そして碧霧は全員の顔を一つ一つ見つめつつ、きっぱりと宣言した。


「三百年前、元伯家の保身によりゆがみ、父上の野心によりねじれてしまった北の領の体制をあるべき姿に正す。まずは西の領をゆっくり内から崩し、必ず伍慶殿を西の伯座に座らせる。次に伊万里を伏見谷へ輿入こしいれさせ、二代目九尾と新たな関係を築く。これが、俺たちの始まりの狼煙のろしとなる」


 強い光を宿す伯子の瞳に映るのは、はたしていかなる風景か。

 猿師と重丸が口の端に笑みを浮かべてうなずく。そんな二人に続くように、残りの者たちも緊張した面持ちで頭を下げた。

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