11 明日への布石(2)

 阿の国の北の月夜つくよと西のくれないの一族は、領境を流れる浦ノ川流域の所有を巡り、真っ向から対立している。そして、この争いが何百年も続いていた。


 浦ノ川沿いの地形が平らな場所には、鉄製の防護柵が二里に渡って巡らされ、それ以外にも両方の境の端までは三里おきに物見台が設置されている。繰り返し武力衝突が起きる浦ノ川流域周辺は、当然ながら住んでいる者もおらず、集落などもなく、往来するのも両軍の鬼兵ぐらいだった。


 とは言え、北の領の伯子がこの地にやって来てから少し状況が変わった。まず、年に数回は起きていた大きな武力衝突が少しずつ小さくなり、ここ数年でほとんど起きなくなった。

 そして争いが減るにつれ、六洞りくどう衆の隊士たちが家族を呼び寄せ始め、それにともない寄宿舎周辺に家屋が建つようになった。また、碧霧が生活する本舎や鍛練場が増築され、救護舎も新たに立て替えられた。

 周辺の村からは、土木工事のために働きに来る者も増え、飯屋や休憩処も出来た。さらには女たちの織工房まで出来てしまった。

 領境を守るために設けられた浦ノ川柵は、今やちょっとした要塞都市となっている。


 そんな柵から北に一里ほど上がったところに、平屋の建物が一つあるだけの小さな砦があった。周辺に道などもなく、急勾配な渓谷に隠されるようにあるそこは、隊長格と限られた者しか知らない場所である。

 周りを丸太で囲っただけの防壁は、しかし、特殊な結界が施されており、許された者以外は簡単に乗り越えることも壊すこともできない。出入り口の門もしかり。この複雑な結界を結んだ主は、言うまでもなく伯子碧霧である。


 砦の中にある建物は、その外見こそ簡素な平屋であるが、中に入ると迷路のような造りになっていた。長い廊下が奥へと続き、世話係りの童らがその時々で違う部屋に案内してくれる。まるで月夜の里の茶屋「花月屋」のようだ。


「今日はやけに広い部屋だな」


 六洞りくどう重丸は、案内された部屋に入るや声を上げた。

 左右に並べられた座布団の数で、今日の参加者がいつもより多いことが分かる。すでに三人ほど到着しており、赤を基調とした旅装束の姫君と、水紋が描かれた袖のない上衣を羽織った水天狗、そして濃紺の武装束姿の一つ鬼の青年が輪になって立ち話をしていた。

 三人は重丸の姿を認めると、一斉に頭を下げた。


「お久しぶりにございます、六洞さま。領境の守護、ご苦労様にございます」


 姫君の赤みがかった黒髪がさらさらと肩からこぼれ落ちる。気の強そうな目をきゅっと細めて笑うのは、七洞家の美玲である。


「珍しいな、あなたが呼ばれるなど。それに──、」


 重丸は、美玲の隣に立つ水天狗と一つ鬼を見た。それを受けて、深い緑色の髪に青い瞳の青年がにこりと笑った。


「お初にお目にかかります。岩山がっさん霞郷かすみのごうが水天狗、真比呂です。こちらは、佐一」

「やはり。古閑森こがのもりから出てくることができたのか」

「はい。碧霧が段取りしてくれまして。最近では、鎮守府の監視もゆるくなったので、少し動きやすくなりました」


 一方、一つ鬼の青年──佐一は、重丸に向かって深々と頭を下げた。


「六洞の屋敷では、姉の加野が大変お世話になっております」

「いや、かくまったのは成り行きだ。ただ、月夜の里では外出もままならないので、浦ノ川柵へ呼び寄せたいと左近が言っているのだが……どうだろうか? そうすれば、今より自由がきくし、織工房で働くこともできる」

「ありがとうございます。姉が良いと言っているのであれば問題ありません」


 すると、今度は廊下で騒がしい音がして、新たな来訪者が部屋の中に入って来た。


「親父殿、息災か!」


 騒がしい声が部屋に響く。

 褐色の肌に赤い短髪と無精ひげ、頭上には弓なりに反った二本の角、西の領はくれない一族の鬼──魁である。重丸と彼は、南の領境ですでに何度も会っており、今では重丸にとって身内のような間柄だ。


 緋色の大きな花柄の小袖に色鮮やかな組紐を何本も巻いた出で立ちで現れた赤鬼は、入ってくるや重丸に人懐こい笑みを見せた。背後には見知らぬ男と重丸の娘である右近もいる。

 もう一人の赤鬼は魁とは対照的に灰色の地味な武装束姿であったが、右近は小花柄の白い小袖を片肌脱ぎして黒いぴったりとした肌着をあらわにし、腰に数本の色鮮やかな紐を巻いている。

 すっかり派手な姿となった娘を見て、重丸は不服そうに顔をしかめた。


「この男にすっかり毒されおって。そんな舞台役者のような格好──、おまえは伯子の守役として戻ってくる気はあるのか?」

「命令があれば、私はいつでも。それに、この組紐は浦ノ川柵の織工房のものです。私が率先して身に付けないと工房の女衆に失礼ですよ、父上」


 しれっと答える右近に向かって重丸は「ふん」と鼻を鳴らす。魁の満足そうな顔も、そんな彼をちらり伺う娘の仕草も、親としては気に入らない。しかし、娘はこの男に惚れているらしいので、何を言っても分が悪い。

 ふと重丸は、周囲の反対を押し切って一つ鬼の初音と夫婦になった日のことを思い出した。

 血は争えないものである。この調子だと、娘を送り出す日もそう遠くないと彼は思った。


 その時、


「みんな悪い、待たせたか?」


 襖がすらりと開いて、碧霧が現れた。薄い茶褐色の長い髪を無造作に後ろで束ねた伯子は、人の国から帰ってきたところなのか、シャツにズボンという格好である。その後に、守役の左近と一番隊長の牟呂むろ、四番隊長のかくれが続く。

 そしてさらに──。現代風の格好の猿師とともに入ってきた黒髪の女性を見て、その場にいた者は「あっ」と声を上げた。

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