10 明日への布石(1)

 人の国某所、上空──。


 人の国では、飛行機という鉄の塊が飛び交って、空であっても日中は人目を気にしないといけない。人間という生き物は、今や地上にとどまらず、海にも空にもはびこっている。


 猿師が伯子の指南役を請け負って数年、今日は日本を離れ、彼は伯子を連れて異国の地(正確には空)に来ている。

 人間が作り出した兵器をこの目で見てみたいという碧霧の要望を受けてのことだ。絶対に関わらないことを条件に、猿師は争いが実際に起こっている国へ彼を案内した。


 碧霧は足元に結界を結び、空中に浮いているような状態で、地上の様子をじっと見つめている。白シャツに焦げ茶のブルゾンを羽織り、緩めのデニムパンツをはいた彼は、角を隠していることもあって、見た目はすっかり人間の若者である。

 折しも、遥か遠くからロケット弾が飛来して、二人の脇を通りすぎる。そしてそれは、情け容赦なく街へと降り落ちて、まばゆい閃光を放ちながら大きくぜた。


 高度をそれなりに保っているのは、間近でなど見てはいられないからで、ここであれば街が爆破される様子は見て取れても、人々の苦しむ姿までは確認できない。時代が移り、どんなにやり方が変わろうとも、戦争の悲惨さは変わらない。関わるなと言っても、地上で繰り広げられる惨状を目の当たりにして知らんぷりをするのは難しい。


 猿師は、隣で興味深そうに地上を見つめる碧霧の様子を伺った。

 ここ数年で随分と変わったなと、猿師は思う。

 初めて彼と会ったのは藤花がまだ生きている頃で、彼女の屋敷でだった。ふざけたことに端屋敷はやしきの離れの部屋を紫月との逢引きに使っていて、当然ながら第一印象は最悪だった。

 次に会ったのは、藤花の死後。沈海平しずみだいらで父親にこてんぱんにやられた彼は、ほの暗い怒りを瞳に宿しながら、その矛先をどこへ向ければいいか分からない野良犬のような顔をしていた。


 会う度に、打ちのめされた顔と立ち直った顔を交互に見せ、こちらが与える知識をどんどん吸収していく。まるで鋼が打たれて硬さを増していくように、甘さが残っていた二つ鬼の青年の顔は、強靭さとしなやかさを併せ持つ強者の風格をまとうようになっていた。


百日紅さるすべり先生、なぜ攻撃がんだのです? 俺なら、あの離れた野営地も含めて街を一気に潰す」

「……住民に逃げる猶予を与えています。しばらくしたら再開するでしょう。あそこに見える野営地は、避難施設ですから人道的に攻撃対象となっていないと思われます」

「叩きたいのか、叩きたくないのか。意味のない情けだ」


 碧霧がしらけきった顔で笑うと、猿師も苦笑する。


「これ以上は、国際的に認められないという判断です。人の国には戦争にもルールがあり、やり過ぎはただの侵略となって大義名分を失います」

「そもそも、戦争自体が非人道的なのに?」

「だからこそです。己の行為を正当化するために正義が必要となる」

「……それは、大国や国際世論を動かす正義ですか?」


 そう言いつつ、碧霧の顔が穏和でありながら感情の抜け落ちたようなものになる。なんらかの考えを頭の中で巡らせている時の顔だ。


 あの優しい顔で何を考えているやら……。


 伯子という立場と、そして父親と対立しているという状況が、彼に多くを期待させる。特に、今の北の領の統治に不満のある者は、彼を反勢力のシンボルとして祭り上げようとしていた。押し潰されそうな重圧は、しかし、彼を恐ろしい生き物に変えた。


 ふと、地上を眺める碧霧の無機質な瞳に生気が戻った。同時に、再び多数のロケット弾が遥か遠くから飛来するのが見えた。

 刹那、彼は地上めがけて降下した。


「碧霧さま! 駄目です!!」


 何かに気づいた。関わるなと、あれほど言ったのに──!


 これだけの高度を保っていて、地上の動きを察知した伯子の感知能力の高さに驚く。同時に、猿師はすぐさま碧霧の後を追いかけた。

 碧霧は、空中に結んだ結界を蹴って、方向と速度を自在に操り地上へと降りていく。その身軽さに舌打ちをしながら、彼の成長を目の当たりにして猿師の顔は自然とほころんだ。


 あっという間に碧霧が地上へとたどり着き、彼を中心に砂煙が舞い立つ。

 次の瞬間、飛来したロケット弾が碧霧の着地付近めがけて降り注いだ。


「碧霧さま!」


 刹那、砂煙の中からいくつもの青白い鬼火が飛び出して、ロケット弾を迎え撃った。炎に包まれたロケット弾は、地上にたどり着く前に空中で爆発する。

 激しい破裂音と爆風が砂煙と混じり合い、辺り一面を覆う。


 めちゃくちゃ手を出している……。


 猿師は遅れて到着すると、やれやれと頭を掻いた。

 視界をおおう砂煙が徐々に晴れ、辺りの様子が明るみになる。その中から、乳飲み子と幼い少年をかかえた碧霧が姿を現した。


 謎の火の玉でロケット弾を退けた碧霧に、異国の少年は口をパクパクさせている。乳飲み子は当然ながら大泣き状態だ。


「碧霧さま、」

「すみません。さすがに見過ごせませんでした」


 碧霧は猿師の姿を認めると、申し訳なさそうに苦笑した。しかしすぐに鋭い眼差しで、遥か彼方の空をにらみつけた。


「逃げる猶予を与えておいて、逃げ遅れた者の確認はしないのか。先生、こんなルールになんの正義があると?」

「その議論をするには、正義の定義から始める必要がありますが──、少なくとも今の碧霧さまの行為は気休めです。戦いは、明日も明後日もまだまだ続く。関わりだすと際限がないことはお分かりでしょう?」

「分かっています。これは、俺のただの自己満足だ」


 猿師の諌めを神妙に受け止めながら、碧霧は異国の少年を地面に下ろしてひざまずくと、彼に乳飲み子を返した。大泣きしていた乳飲み子が泣き止んで、ぐずぐずと鼻を鳴らす。その頭を優しくなでつつ、碧霧は適当な石をいくつか拾い、そこに息を吹きかけた。

 石が数頭の大きな犬に変わった。そして彼は、遥か先を指差して少年に言った。


「ごめんな、これ以上の手助けはできない。この先に野営地がある。この犬たちが守ってくれる。行けるな?」

「碧霧さま!」

「野営地の近くで式は石に戻します。そこまでだ」


 言って碧霧は少年に向かって人差し指を口元に当てた。「内緒だぞ」の意味である。

 当然ながら言葉は通じない。しかし、碧霧が言わんとすることは少年に伝わっているようで、少年は大きくうなずく。そして彼は、碧霧に向かって笑顔で何かを告げた。

 碧霧が困った顔で猿師を仰ぎ見た。


「ええと……。百日紅さるすべり先生、彼はなんと?」

「私にも分かりませんよ。他国の言語はさすがに学んでおりません」


 猿師は呆れながら答えた。

 我が教え子は、大局を見極める冷徹な聡明さを持ちつつも、妙なところで情に厚く流される。これが吉と出るか、凶と出るか。

 どちらにせよ、彼が立つべき場所に立てるよう己の知識を全て伝えなければならないと猿師は思った。

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