9 何も言わずに
今は亡き
驚くほどの知識を持ち、その情報量は母親の千紫をも
その秘密の師が、母親と密かに通じ合う仲だった。
「つまり……俺は──誰の子です?」
にわかに騒がしくなる鼓動を抑え、碧霧は声を絞り出した。
紫月が誰の子であるかは、直孝の話から予想がついていた。だから、これは答え合わせをするようなものだった。
しかし、母親の千紫と伯父の成旺の話は知らない。
深芳がなんでもないといった口調で答えた。
「何を今さら。千紫の子よ」
「そうじゃなくて、父親は誰だと──っ」
声を荒げそうになり碧霧はぐっと言葉を飲み込んだ。話の主導権は確かにこちらにあった。そのはずなのに、すでに彼女の話に飲み込まれてしまっている。
動揺する碧霧の様子を見て、深芳がくすりと笑った。
「碧霧さま、あなたが始めた話よ。冷静におなりなさいな。もし仮に千紫と
「五分五分……」
「どうでもいいの、あなたの父親が誰かなんて。要は奥院で正妻の子として生まれれば」
「あなたは──っ」
思わず碧霧はぎりっと彼女をにらんだ。
「俺の母親の不貞を横目で見ながら、全て分かった上で言われるままに、義兄と通じて紫月を産んだのか?」
「……これはね、私たちの戦いなの」
さらりと深芳が碧霧の怒りをかわした。そして冴えざえとした眼差しを碧霧に返した。
「千紫がどれだけ
三百年前、大きな政変が起こり、一つ鬼と二つ鬼の立場が逆転した。聡明さと美しさを兼ね備えた二人の姫が、その渦に巻き込まれたのは不幸だったとしか言いようがない。
だとしても──。
「でもそれは、俺や紫月には関係ない」
「そうね、その通りよ」
深芳がソファから床に座り直し、碧霧との距離を詰める。テーブル越しに伸ばされた華奢な指が、碧霧の頬を優しくなでた。
「あの子を産んで、自由に生きて欲しいと思ったの。本当よ。今となっては、このまま人の国でひっそり暮らすのもありだと思う。でも、あの子は誰に教えられることなく
言って深芳は碧霧にさらに顔を近づけると、彼の頭上の角に口づけた。沈丁花の甘い匂いが碧霧をふわりと包む。
「私は紫月をあなたに託す。もともと、そういう約束だったから」
「約束?」
「お互いの子を
深芳が立ち上がった。なんともすっきりとした表情だった。
「さ、私の話はこれでお終い。当然だけど、今夜聞いた話は他言無用でお願いね」
「あの、」
一方的に話を打ち切られ、碧霧は思わず深芳を呼び止めた。それから、真意を探るような眼差しを彼女に向けた。
「……わざわざ他言無用の母上の秘密を俺に話したのは、清影さまとの子を強要された腹いせですか?」
「まさか。あなたが今さら知る必要のないことを知ろうとするからよ」
最後にそう問えば、深芳が苦笑混じりに答えた。
「この世には知らなくていいことなんていっぱいあるの。無理に知ろうとするなら、それ相応の痛みを伴うと覚えておいて」
次の日、紫月はテレビから流れる朝のニュースの声で目が覚めた。幸せな気持ちでいっぱいなのは、昨日の夜、碧霧にいっぱい愛してもらったから。それに、ものすごく深く眠った気がする。
まどろみの中、碧霧の存在を求めて腕を伸ばしたが彼がいない。紫月は体を起こすと、彼の姿を探した。
すると、ベッドの側面を背もたれにして体を預け、壁際のテレビをじっと見つめる碧霧が目に入る。
「葵、起きてたの。ニュースは面白い?」
ベッドから抜け出し、床に落ちている服をひとまず着ながら紫月は彼に声をかけた。碧霧がテレビに顔を向けたまま答えた。
「人の国の情勢が一気に分かる。めちゃくちゃ便利がいい。分からない言葉は後で調べるとして──。そうだな、実際にこの目でも見てみたいな……」
最後はほぼ独り言のようだ。彼女はふと眉をひそめた。
なんだろう? 様子がおかしい。
違和感を覚え、紫月は彼の隣に座ると、そろりと顔を覗き込んだ。その顔は、目が落ちくぼみ、血色が悪い。昨夜以上に疲れきった碧霧の様子を見て、紫月はぎょっと目を見張った。
「もしかして、ずっと起きてたの?」
「うん、まあ。ちょっと妙に目が覚めちゃって。それで気晴らしにテレビを見始めたら、止まらなくなった。大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないわよ。夢中になったら止まらないなんて、まるで父さまみたいなこと──」
刹那、碧霧がびくりと顔を強張らせた。そして、おろおろと紫月を見つめる。
「俺、なし先生に似てる?」
「え? そこに食いつく?」
「どこが? どれぐらい?」
「いや、えっと──髪色とか雰囲気とかがそれなりに。でも、伯父と甥だしそんなものじゃない?」
紫月は戸惑いつつ思っていることを率直に答えた。碧霧が「そうか」と気の抜けたような顔をする。
「確かに、そうだよな。伯父と甥だし、似ていても不自然じゃない」
「……どうしたの? 朝からなんか変よ」
不安げに紫月は碧霧を見つめた。そんな視線に気づき、碧霧が誤魔化すようにさっと笑顔を作った。
「ごめん、寝ぼけているかも。それより紫月、お腹が空いたな。何かある?」
「ちょっと、こっちの質問に──」
「答えてない!」と言いかけて、紫月は口をつぐんだ。この様子だと、追及したところで本当のことは話してくれそうにない。
何をそんなに思い詰めているのかと心配になる。同時に、昨夜はそんな素振りはなかったのにと、不審にも思った。
しかし紫月はあれこれ思案してから、リモコンを碧霧の手から奪い取り、テレビの画面を消した。
「部屋に軽めの朝食を持ってくるわ。そして今日は、お昼まで一緒に寝よう」
子供に言い聞かせるように大げさなほど明るい声で言って、紫月は立ち上がった。
本当は、心の内を話して欲しい。でも、問い詰めるような真似はしたくない。彼が、あの件について何も聞かずに黙ってくれているように、私も彼の気持ちを尊重したい。
「しっかり休めたら、午後から一緒に買い物ね」
そう、これでいい。何も言わずに、彼の側にいる。
紫月は満面の笑みを作った。
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