9 何も言わずに

 今は亡き九洞くど成旺しげあきは、旺知あきともの兄にして「なし者」であり、碧霧の秘密の師でもある。伯父であることを隠して碧霧に近づき、碧霧は彼のことを「なし先生」と呼んでいた。

 驚くほどの知識を持ち、その情報量は母親の千紫をもしのぐ。鋭い考察と的確な意見は、誰よりも参考になった。碧霧に「歌を探せ」と言ったのも彼である。

 その秘密の師が、母親と密かに通じ合う仲だった。


「つまり……俺は──誰の子です?」


 にわかに騒がしくなる鼓動を抑え、碧霧は声を絞り出した。

 紫月が誰の子であるかは、直孝の話から予想がついていた。だから、これは答え合わせをするようなものだった。

 しかし、母親の千紫と伯父の成旺の話は知らない。


 深芳がなんでもないといった口調で答えた。


「何を今さら。千紫の子よ」

「そうじゃなくて、父親は誰だと──っ」


 声を荒げそうになり碧霧はぐっと言葉を飲み込んだ。話の主導権は確かにこちらにあった。そのはずなのに、すでに彼女の話に飲み込まれてしまっている。

 動揺する碧霧の様子を見て、深芳がくすりと笑った。


「碧霧さま、あなたが始めた話よ。冷静におなりなさいな。もし仮に千紫と旺知あきともの間が破綻していたとして、旺知に覚えのない子であれば、千紫が懐妊した時点で彼女の命はない。でも、千紫はあなたを旺知の子として産んだ。つまり可能性としては、五分五分かしら?」

「五分五分……」

「どうでもいいの、あなたの父親が誰かなんて。要は奥院で正妻の子として生まれれば」

「あなたは──っ」


 思わず碧霧はぎりっと彼女をにらんだ。


「俺の母親の不貞を横目で見ながら、全て分かった上で言われるままに、義兄と通じて紫月を産んだのか?」

「……これはね、私たちの戦いなの」


 さらりと深芳が碧霧の怒りをかわした。そして冴えざえとした眼差しを碧霧に返した。


「千紫がどれだけ九洞くど旺知あきともに虐げられてきたか、どんな思いで私が清影さまに体を差し出したか、あなたは知らないでしょう?」


 三百年前、大きな政変が起こり、一つ鬼と二つ鬼の立場が逆転した。聡明さと美しさを兼ね備えた二人の姫が、その渦に巻き込まれたのは不幸だったとしか言いようがない。


 だとしても──。


「でもそれは、俺や紫月には関係ない」

「そうね、その通りよ」


 深芳がソファから床に座り直し、碧霧との距離を詰める。テーブル越しに伸ばされた華奢な指が、碧霧の頬を優しくなでた。


「あの子を産んで、自由に生きて欲しいと思ったの。本当よ。今となっては、このまま人の国でひっそり暮らすのもありだと思う。でも、あの子は誰に教えられることなく月詞つきことを歌った。そして今、宝刀月影を呼び寄せたと言うのなら──」


 言って深芳は碧霧にさらに顔を近づけると、彼の頭上の角に口づけた。沈丁花の甘い匂いが碧霧をふわりと包む。


「私は紫月をあなたに託す。もともと、そういう約束だったから」

「約束?」

「お互いの子をめあわせせようって、千紫と約束したのよ」


 深芳が立ち上がった。なんともすっきりとした表情だった。


「さ、私の話はこれでお終い。当然だけど、今夜聞いた話は他言無用でお願いね」

「あの、」


 一方的に話を打ち切られ、碧霧は思わず深芳を呼び止めた。それから、真意を探るような眼差しを彼女に向けた。


「……わざわざ他言無用の母上の秘密を俺に話したのは、清影さまとの子を強要された腹いせですか?」

「まさか。あなたが今さら知る必要のないことを知ろうとするからよ」


 最後にそう問えば、深芳が苦笑混じりに答えた。


「この世には知らなくていいことなんていっぱいあるの。無理に知ろうとするなら、それ相応の痛みを伴うと覚えておいて」




 次の日、紫月はテレビから流れる朝のニュースの声で目が覚めた。幸せな気持ちでいっぱいなのは、昨日の夜、碧霧にいっぱい愛してもらったから。それに、ものすごく深く眠った気がする。

 まどろみの中、碧霧の存在を求めて腕を伸ばしたが彼がいない。紫月は体を起こすと、彼の姿を探した。

 すると、ベッドの側面を背もたれにして体を預け、壁際のテレビをじっと見つめる碧霧が目に入る。


「葵、起きてたの。ニュースは面白い?」


 ベッドから抜け出し、床に落ちている服をひとまず着ながら紫月は彼に声をかけた。碧霧がテレビに顔を向けたまま答えた。


「人の国の情勢が一気に分かる。めちゃくちゃ便利がいい。分からない言葉は後で調べるとして──。そうだな、実際にこの目でも見てみたいな……」


 最後はほぼ独り言のようだ。彼女はふと眉をひそめた。

 なんだろう? 様子がおかしい。

 違和感を覚え、紫月は彼の隣に座ると、そろりと顔を覗き込んだ。その顔は、目が落ちくぼみ、血色が悪い。昨夜以上に疲れきった碧霧の様子を見て、紫月はぎょっと目を見張った。


「もしかして、ずっと起きてたの?」

「うん、まあ。ちょっと妙に目が覚めちゃって。それで気晴らしにテレビを見始めたら、止まらなくなった。大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわよ。夢中になったら止まらないなんて、まるで父さまみたいなこと──」


 刹那、碧霧がびくりと顔を強張らせた。そして、おろおろと紫月を見つめる。


「俺、なし先生に似てる?」

「え? そこに食いつく?」

「どこが? どれぐらい?」

「いや、えっと──髪色とか雰囲気とかがそれなりに。でも、伯父と甥だしそんなものじゃない?」


 紫月は戸惑いつつ思っていることを率直に答えた。碧霧が「そうか」と気の抜けたような顔をする。


「確かに、そうだよな。だし、似ていても不自然じゃない」

「……どうしたの? 朝からなんか変よ」


 不安げに紫月は碧霧を見つめた。そんな視線に気づき、碧霧が誤魔化すようにさっと笑顔を作った。


「ごめん、寝ぼけているかも。それより紫月、お腹が空いたな。何かある?」

「ちょっと、こっちの質問に──」


 「答えてない!」と言いかけて、紫月は口をつぐんだ。この様子だと、追及したところで本当のことは話してくれそうにない。

 何をそんなに思い詰めているのかと心配になる。同時に、昨夜はそんな素振りはなかったのにと、不審にも思った。

 しかし紫月はあれこれ思案してから、リモコンを碧霧の手から奪い取り、テレビの画面を消した。


「部屋に軽めの朝食を持ってくるわ。そして今日は、お昼まで一緒に寝よう」


 子供に言い聞かせるように大げさなほど明るい声で言って、紫月は立ち上がった。

 本当は、心の内を話して欲しい。でも、問い詰めるような真似はしたくない。彼が、について何も聞かずに黙ってくれているように、私も彼の気持ちを尊重したい。


「しっかり休めたら、午後から一緒に買い物ね」


 そう、これでいい。何も言わずに、彼の側にいる。

 紫月は満面の笑みを作った。

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