12 明日への布石(3)

 数年前、月夜の里から忽然こつぜんと姿を消した落山の姫。今だにその理由ははっきりしておらず、この件について話をすることはほぼタブーに近い。

 そんな渦中の姫君が、すっかり人の国に感化された姿で現れた。

 美玲が両手で口をおおってその場に立ち尽くす。


「紫月!」

「美玲、会いたかった!」


 茶目っ気たっぷりに笑いつつ、紫月は真っ先に美玲に抱きついた。


「ごめんね、心配をかけたわ」

「そんなこと──っ。私こそ、紫月に謝らないと──」

「美玲は何も悪くない。今日は来てくれてありがとう」


 涙ぐむ美玲を優しくなだめつつ紫月は嬉しそうに目を細める。そして彼女は、全員を見回しながら言った。


「もちろん、みんなにも会いたかったわ。みんな、元気だった?」


 無邪気な顔が半端ない。

 全く変わらない紫月の様子に、彼女を知る全員が拍子抜ける。そして、その視線は自然と碧霧に集まった。

 重丸が、その場を代表して碧霧に尋ねた。


「碧霧さま、今日はどういう集まりで?」

「うん。今後について齟齬そごがないよう、お互いの意向を確認したい」


 いつも穏やかな瞳を鋭く光らせつつ、碧霧はみなに座るよう促した。




 上座に碧霧と紫月が座り、その隣に美玲が座る。碧霧側には、年長者である重丸と猿師が座った。この二人は、政変が起こる前からの旧友である。


兵衛ひょうえ、ちゃんと端屋敷はやしきの伊万里さまには会いに行っているか? 初音が気にしていたぞ」

「言われなくても行っている。そう言う初音はどうしている?」

奥頭おくがしらとして奥院に出仕することになってな。儂が南の領境へ実質的に追いやられただろう? 六洞家の立場を少しでも守ろうと奥の方が動いてくれた」

「奥の方が──、相変わらず食えん女だ」

「あの方にそういう口をきくのは兵衛くらいだ」



 久しぶりに会ったせいか、二人は気さくに言葉を交わして笑い合う。伏見谷の妖猿を「兵衛ひょうえ」と名前で呼ぶのは、藤花以外では重丸くらいしか碧霧は知らない。

 放っておくといつまでも昔話に花を咲かせそうである。それで碧霧が、二人に対して軽く咳払いをすると、猿師と重丸は「これは失礼」とばかりに口を閉じて彼に場を譲った。


 碧霧はあらためて一同を見回した。


「みんな、集まってもらい感謝する。今日ここに集まったのは、俺が信頼を置く者ばかりだ。ただ、俺を中心に繋がっている状態だから、お互いに会うのが初めてという者もいると思う。今日はそれを解消したかったことと、今後の見通しについて話をしたい」


 一同がそれぞれにうなずく。碧霧はそれを確認してから、やおら口を開いた。


「自己紹介は後で個々にやってもらうとして──、時間がないので今日の話をすすめたい。まずは魁、組紐の売り上げはどうだ?」

「ああ、おかげさまで。浦ノ川柵特製の組紐は、沈海平しずみだいらの奈原はもちろん、月夜の里でも大流行おおはやりだ。これも、七洞の姫君が奥院の女衆に新しい組紐の巻き方を紹介してくれたからだな」


 すると美玲が、「あら」と首をかしげた。


「私は、ちょっと御用女ごようめや侍女たちに洒落しゃれた組紐があるって教えただけよ。ただ、組紐を長く垂らしていと侍女頭の小野木に『だらしない』と注意されるから、結び方を工夫する子や自分で適当な短さに切ってしまう子も出てきたわ」 

「なるほどな。じゃあ、もう少し短い組紐もあったら売れそうだな」


 二人のやり取りを聞きながら、碧霧が「うん」と口元にこぶしを当てる。


「組紐を作っている浦ノ川柵の女たちに頼んで見よう」

「そうね。あと、洞家や家元の姫君用に高価な石を織り込んだ物なんかもいいかも。高値で売れると思うわ」

「石か……」

「碧霧、琥珀なら提供できる」


 声を上げたのは水天狗の真比呂だ。


古閑森こがのもりに採掘できる場所がある。森の奥だから、鎮守府の奴らが来ることもない。浦ノ川柵への納品は、一つ鬼の佐一に任せれば目立つこともないだろう。どうだ?」

「悪くねえな。じゃあ売り上げに対する取り分は、浦ノ川が四、霞郷かすみのごうが三、商団が三だ。真比呂、伯子、異論は?」

「俺たちはそれでかまわない」

「浦ノ川も問題ない。魁、それで進めてくれ。今、浦ノ川柵には周辺の村からも多くの者が働きに来ていて、衣食住に関わるいろいろなものを作っている。それぞれが自立するまで支えたい。結果としてそれが浦ノ川柵全体の増強にも繋がる」

「伯子、その増強についてですが、」


 ついっと膝一つ進み出て、六洞衆一番隊長の牟呂むろが口を開く。


「ご存知の通り、くれないとの衝突は目に見えて少なくなりました。すでに六洞衆の中には家族を呼び寄せ、この浦ノ川柵を生活の拠点とし始めている者も多数おります。しかし、御座所おわすところでは、こうした動きに警戒する者が出てきました。浦ノ川柵が今や要塞都市と化していることは、鬼伯も知るところです」

「……まあ、予想はしていた事態だな。俺が父上の立場なら、家族だけを月夜の里に戻すよう命令する。いざという時の質になる」

「どうされますか? 仮にそうした命令が出てしまっては、打つ手が限られてくる上に、疑いは晴れずに過度な要求をされかねない」

「うん──」


 碧霧が視線を落とし思案顔になる。息をひそめて一同が見守る中、ややして碧霧は剣呑な色をおびた顔を上げた。


「一度、家族を月夜の里に帰そう。今、こちらに叛意はんいありと思われるのは厄介だ」

「しかし、隊士の中には難色を示す者も出てきましょう。それに、一斉に家族を戻すというのも、これまた不自然です」

「それについては、もしもの時の逃げ道を家族に用意することを約束する。そして、一斉に戻らなければならないような状況を作る」

「状況、ですか?」

「そうだ。久しぶりにくれないから大規模な攻撃をしてもらう。以前のような戦地となれば、家族が一斉に月夜に戻っても不自然じゃない」


 言って碧霧は、魁の隣に座る灰色の武装束の男に目を向けた。

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