6 聞かずとも答えは出ている

 大きなガラス戸から射し込んでくる月明かりが、隣で静かに眠る紫月の背中を淡く照らす。

 碧霧は、半身を起こして彼女の黒髪を優しくひと撫でしてから、あらためて彼女の部屋を物珍しげに眺め回した。

 板間の洒落た部屋の中央には、白い丸テーブルとクッションが置かれ、壁際のサイドボードには映像を写し出す「テレビ」という機器がある。壁に張り付いている「エアコン」からは、常に涼しい風が吹き出していて、室内を一定の温度に保っていた。

 これら全てが人間の知恵と技術の結晶であるらしい。


 あれから碧霧は、深芳たちに挨拶をして簡単に会話を交わした後、お風呂に入らせてもらった。前回、かなり塩対応だった恋人の母親は、大歓迎とまではいかないまでも態度が柔らかくなっていた。


 着る物は、自分がいつ来てもいいように準備してくれていて、紫月から下着と家着を一式渡された。明日は明日で、外着がちゃんとあるらしい。

 食事はすでに済ませてあったので必要ない。そもそも夜もかなり遅い。というわけで、碧霧はそのまま紫月の部屋で休むことになった。


 部屋に入ると、二人はなだれ込むようにベッドに身を投げ、一年以上ぶりに肌を重ね合った。紫月はもともと色恋事を隠すタイプでもなかったが、ここまで大胆だったかなと碧霧は思う。何度も互いを求め合い、ありったけの気持ちを彼女に注ぎ込んだ。

 もらったばかりの新しい服は、今はベッドの傍らに彼女のものと一緒くたになって脱ぎ捨てられている始末だ。


 碧霧は満足げな表情で眠る紫月の横顔を見つめつつ、頭に口づけを落とす。同時に、深く深く眠るよう術をかけた。


 とにかく時間が惜しい。今回、たった三日しか人の国には滞在できない。猿師に出された課題以外にも彼には確かめたいことがあった。


「ごめん、紫月」


 届くことのない謝罪の言葉を口にする。分かっている、これは誰のためでもなく自分のためにするのだということを。


 結局、自分が西の領境へ遠征した時に紫月に起こった出来事を千紫も美玲も教えてはくれなかった。

 それが碧霧にはどうしようもなく腹立たしい。


(俺を気遣っているつもりなのか)


 碧霧は独り鼻で笑う。みんな知らないのだ。何をどう隠そうと、確かめるすべを自分は持っているということを。


「……月影」


 白く華奢な背中に向かって碧霧は呼びかける。反応はないが、そんなことはかまわない。

 彼は、はっきりと確信を持った声で、再びその名を呼んだ。


「月影、」


 刹那、紫月が静かに起き上がり、一糸まとわぬ姿のまま乱れた黒髪をかき上げた。

 瞳の色は白銀──、紫月に宿った白銀の子が姿を現した。


『それは、の本当の名ではない』

「……でも、呼びかけに応じる程度ではあるんだろう?」


 なんだ、真名ではないのか。

 内心がっかりしつつ、碧霧は悪びれることなく首をかしげた。同時に、やはり白銀の子は、あの宝刀であると確信する。

 一方、白銀の子は碧霧のふてぶてしい態度に喉を鳴らして笑った。


『吾の名を聞かずして言葉を交わそうとするか、わっぱ

「名は聞く。しかし、今じゃない。月影が真名ではないと言うのなら、なおさらだ」


 すかさず碧霧はきっぱりと答えた。本人から名を聞くことなく彼を呼べば、少しは優位に立てるかもという算段があった。結果、呼び名ではあったが、彼は呼びかけに応じてくれた。

 白銀の子が、興味深そうに目を細めた。


『名を聞く覚悟はしたと?』

「諦めただけだ。その代わり──」


 碧霧は鋭い眼差しを白銀の子に向けた。


「教えてくれ。俺がいない間に、紫月に何があった?」

『知ってどうする?』

「それは聞いてから考える。というか、」


 碧霧はそこで一旦口をつぐんだ。そして、ひと呼吸置いてから、意を決したように言葉を続ける。


「というか、なんとなく察しがついている」

『ふむ』


 白銀の子がいよいよ面白そうに口元にうっすらと笑みを浮かべる。碧霧は、いたって不快な様子で白銀の子から目をそらした。


 自分の不在中、紫月の身に何かが起こった。

 そして、それが原因で七洞家の夫人は闇にほふられ、落山親子は六洞りくどう衆三番隊長とともに忽然こつぜんと消えた。

 にもかかわらず、誰も騒ぎ立てず、固く口を閉ざし続けるという異常事態だ。これは、普通に考えてもありえない。母親の千紫が厳しい箝口令かんこうれいを敷いているとしても、自分の耳にここまで何も入ってこないことはない。こちらの味方であるはずの美玲でさえ、この件に関しては口をつぐんだままだ。

 しかしだからこそ、冷静になって考えると見えてくることがある。


 一つは、このことに父親の旺知あきともが関与しているということ。

 もう一つは、紫月の尊厳を激しく傷つけることであったということ。


 そう考えると、皆のだんまりも得心がいく。そしてそこから憶測されることは──、一つしかなかった。


「父上が、紫月を奪った」

『……そこまで断言するものを、なぜ吾に聞く?』

「確証がないからだ。あと……信じたくないというのもある」

『ならば、それはおまえ自身の問題だ。吾に尋ねることではない』


 答えは出ているではないか、と紫月の顔と口を借りて白銀の子は言う。碧霧はぎりっと奥歯を噛み締めた。


「あいつ──っ! 絶対に許さない!!」


 唸るような声を吐き出し、彼は体をぶるりと震わせた。

 西の領境に追いやられたのは、ある意味、幸いだったと言えるのかもしれない。少なくとも、あの男の顔を見なくて済んでいる。


「もういい、分かった。紫月を休ませてやってくれ。今日はちょっと自制がきかなくて無理をさせたと思う」


 碧霧はベッドから抜け出して素早く服を着始めた。白銀の子がつまらなさそうに片眉を上げた。


『吾を呼び出しておいて今度は寝ろとな。勝手な奴だ。それに、娘の体から出ていけと、もう言わないのだな』

「今となっては好都合だからな。いいから早く寝てくれ」


 横柄に言い放ち、碧霧は部屋を出ていった。

 白銀の瞳をした紫月がやれやれと嘆息する。そして次の瞬間、彼女はぷつんと糸の切れた人形のようにベッドへと崩れ落ちた。

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