7 深芳の告白(1)

 Tシャツとハーフパンツに着替えて紫月の部屋を出て、碧霧はリビングへと降りた。リビングに今はもう誰もおらず、明かりの消えた空間には月の光がほどよく射し込んでいた。碧霧はソファーに座ると、テーブルの隅にあるメモ紙を一枚ちぎり、それを鶴の形に折った。そして、そこに息を吹きかける。

 すると、折鶴は彼の手の平からふわりと浮いてどこかへと飛んでいった。

 待つことしばし、しばらくして、深芳と与平がリビングに現れた。


「寝室はすぐそこなのに、わざわざ式神を飛ばすなんて大げさね」


 真夜中に呼び出された深芳が、嫌みたっぷりな口調で言った。

 深芳はだぼっとした男物のTシャツを一枚着ているだけで、そこから細く色っぽい足がすらりと伸びていた。一方、与平は上半身が裸でハーフパンツ一枚である。つまり、深芳の着ているそれは与平のもので、自分は夫婦の甘い時間を思いっきり邪魔したと思われた。


「伯母上、お休み中すみません」

「こんな夜中に何の用? 紫月は?」

「寝ています。


 碧霧がはっきりと断言した。その強い口調に二人は顔を見合わせる。碧霧はソファから立ち上がって場所を譲ると、二人に座るよう促した。


「紫月が寝ている間にどうしても聞いておきたいことがあって」

「……それは、碧霧さまがご不在中に月夜の里で起きたことについてかしら?」


 深芳も与平も動じる様子はない。いつか問いただされる時が来ることを分かっていたようだった。

 だが、それについては白銀の子に確認済みだ。碧霧は深芳たちの向かい側に座り直しながら、「違います」と首を左右に振った。


「その件については、もう……いいです。紫月とも話をするつもりはありません。何も告げずに人の国へ逃げて、俺が何も聞かないこと自体が不自然なのに、彼女はそれを良しとしている。つまり、話したくない……もしくは話せないってことなのかなと。その訳も十分に理解できます」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ。事情は、千紫からお聞きになった?」

「いえ、この件に関しては、誰も口をつぐんだままですが──。だからこそ、何が起きたか察しもつきます。それを、ある者に確認しました」


 碧霧はあえて含みのある言い方をした。正攻法でいったところで、この二人が簡単に口を割るとは思えない。


「今日、俺が聞きたいことと関係のある者です」

「……誰?」

「宝刀月影──、現在紫月の中にいます」

「え?」


 深芳と与平が目を瞬かせた。

 二人が多少なりと動揺したことに、碧霧は満足する。会話の掴みとしては上々である。

 思えば、小さい頃から扱いにくい大人に囲まれて育った。これからも食えない輩たちと嫌というほど渡り合っていかなければならない。

 話の主導権を握るべく、碧霧は大きく頷き返した。


「にわかに信じてはもらえないかもしれないですが……。宝刀月影は紫月を器とし、彼女の中にいます」

「あの、碧霧さま。月影は刀ではないのですか?」


 与平が口を挟む。刀に対して「ある者」だの「いる」だのという表現に違和を覚えるのは当然だった。

 碧霧は難しい顔を彼に返した。


「少なくとも、刀の姿はしていない……と思う。紫月は白銀色の子供だと言っていた。彼女はあれを『白銀の子』と呼んで、宝刀だとは気づいていない」

「では、碧霧さまがそうだと断言する理由は?」

「月影という名の呼びかけに応じたからだ」


 碧霧は、沈海平しずみだいらでの出来事を二人に話して聞かせた。

 古閑森こがのもりで、紫月を介してその白銀の子と話をしたこと。そして、白銀の子が自らを『月の刃』だと言い、瀕死状態の右近の右腕を再生し、古閑森こがのもりに雨を降らせたこと。


「あれは、あの力はあやかしの類いじゃない」


 碧霧が最後にそう締めくくると、与平が「ふむ」と口元にこぶしを当てて考え込んだ。隣では深芳が戸惑いがちに目をさ迷わせている。ややして、彼女はにわかには信じがたいと言った表情で呟いた。


「いつから関わりを……」

「おそらく春の宴の時。影霊殿で月詞を披露した時に紫月は気を失いました。その時に白銀の子の夢を見たと。天地を震わす彼女の歌声が、あの者を呼び寄せた」


 深芳が呆然とした表情で黙る。

 宝刀という大きな切り札を手にしたことになるのであるが、その割りには嬉しそうではない。むしろ絶望しているように見える。

 娘が伯座継承を正当化するものを手に入れたと知って、深芳がどういう反応をするか興味があった。しかし彼女の落胆した態度は、同じく手放しで喜べない碧霧にとって共感できるものだった。


「あの者をどうするかは、これから考えていくつもりです。今日、伯母上にお聞きしたいのは、紫月の出生についてです」


 慎重に、しかりはっきりと碧霧は本題を切り出した。この流れで、黙秘はあり得ない。話し合いを拒むことは、碧霧が持つ情報をも拒むことにもなる。

 深芳がふうっとため息をつく。彼女はちらりと与平を見やってから、おもむろに口を開いた。


「話の前に一つだけ、」

「はい」

「勘違いしているかもしれないから、はっきりさせておくわ。あなたの不在中に紫月の身に起こったことについてだけど……。あの男の相手は私が代わりにさせてもらったから、娘の体には傷一つ付いていない。そこは、安心してちょうだい」

「え?」


 碧霧は深芳を見つめ、それからやおら与平を見る。傍らで与平が黙って目を伏せた。

 ことの真偽より──いや、間違いなく事実なのだろうが、それを与平の前で平然と話したことに驚いた。

 深芳が淡々とした口調で言葉を続ける。


「押し倒されたところまで。それでも揉み合いにはなっていたから、男の本能的な部分を十分に味わっただろうし、自分が汚された気持ちにはなったと思う」

「……」


 では、その相手をしたあなたは? その問いは言葉にならなかった。碧霧はどう反応していいか分からず俯いた。


(最低だな、俺は)


 明らかにほっとしている自分がいる。目の前に犠牲になった女性がいるにもかかわらずだ。あまりに自分勝手な感情に、碧霧は我ながら呆れ返った。

 そして今、自分はさらに彼女を問い詰めようとしている。

 しかし、


(迷うな──)


 碧霧は小さく一礼してから顔を上げると、あらためて真剣な眼差しを深芳に向けた。

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