4 地平線の向こう(後)

「……古閑森こがのもりで戦っていたはずの私が魁といると言うことは、ひとまずかくまわれているということか?」


 だんだん状況が見えてきた。ここは、魁の旅商団の天幕テントで、自分は意識を失っている間に一緒に運ばれて来たのだ。

 確認も兼ねて右近が尋ねると、魁はなんとも言えない複雑な顔を返した。


「おまえは水天狗とも深く関わっていたから生死不明のまま俺たちが預かることになった。実際、死んでもおかしくないほどの瀕死状態だったし、休養も必要だと考えての処遇だ。、俺たちと行動を共にしてもらう」


 魁は、「当分の間」という言葉を強調した。つまり、「ひとまず」ではなく、「しばらく」は帰れないということだ。


(そもそも、私が月夜に帰れば六洞に迷惑がかかる──か)


 自分に戻る場所がないことを見越した上での判断であると右近は理解する。伯子の守役が、おたずね者になるなんて屈辱でしかなかったが、今はきっと耐える時だ。

 自分に言い聞かせつつ、右近はさらに魁に尋ねた。


「私は相当な傷を負っていたはずだ。癒してくれたのは紫月さま?」


 あの歌姫が不思議な治癒力を持っていることは知っている。右近としては、当然の推測だった。しかし、魁が歯切れ悪く答えた。


「確かに姫さんが治してくれたんだが──、あれをと呼んでいいものか……」

「どういうことだ?」

「瞳が銀色に変わり、中身が全く別の者だった。伯子は何やら面識がありそうだったがな。どちらにしろ、あの力はまずい。はぼ死にかけていたおまえを呼び戻し、森に雨を降らせた」

「どういう、意味だ?」

「言葉通り。おまえのことは、黄泉よみの国からの干渉を排除したって言ってたな。あれは、あやかしの類いじゃねえ」

「……」


 ぞわりと背中に寒いものが走った。自分はやはり死にかけていたんだと思う一方で、そこに得体の知れない存在が関わっていたことを知る。

 不思議な姫だとは思っていた。が、魁の話はそれだけでは説明がつかない。思わず右近が考え込むと、魁が気を取り直したように声をかけた。


「それより、体の具合はどうだ? 結構いい場所に野営しているから、外の空気を吸いに行こう。気分が晴れる」


 魁が手を差し伸べてきたので、彼の手を取り立ち上がってみる。やはり体が立つことを忘れているようで、膝に力を入れた途端にふらついて、倒れかかったところを魁に抱きかかえられた。


「やっぱりいきなり立つのは無理だな」

「悪い。体が相当なまってる」

「気にするな。俺が連れていってやる」


 言って魁は自分の肩にかけていた小袖を右近にかけると、彼女をそのまま抱き上げた。右近は身をすくめて顔を真っ赤にさせた。


「じっ、自分で歩ける!」

「意識がはっきりしてきた途端にうるさいな。今日くらいは甘えてろ。さっきまで塩らしかったじゃねえか」


 うるさそうに顔をしかめて魁はさっさと歩き出す。「さっきの自分は変だったんだ」と言い返したかったが、なんとも分が悪そうなので右近はしぶしぶ引き下がる。

 魁が垂れ幕をくぐった。と、一面に広がる草原が彼女の目の中に飛び込んできた。

 右近は思わず息を飲んだ。風に揺られる草原は、まるで波打つ大海原のようだ。


「ここは?」

「北と南の領境の辺りだな。もう少し行くと、南の領の関所がある」

「南──、日輪ひのわ一族の土地か」


 阿の国で、どの領の肩を持つこともなく中立でいる南の領。日輪ひのわと呼ばれる鬼たちが統治しているその土地は、自由でかつ、身分の差がないと聞いたことがある。


「行くのは初めてか? 右近」

「ああ。北の領を出ること自体、初めてだ」


 少し緊張ぎみに右近が答えれば、魁がふっと笑った。しかし彼はすぐ真面目な顔になり、右近をまっすぐ見つめた。


「右近、俺はおまえを匿うという名目でここに連れてきた。でも、もう一度だけ言わせてくれ」


 黒い瞳が優しげに揺らぎ、右近を捉える。


「一緒に阿の国をまわらないか? 伯子の守役として、決して損はさせない。何より、俺はおまえにいろんな土地を見せてやりてえんだ」

「……」


 吹き抜ける風が、右近の黒髪をすくい上げ頬をなでる。

 この風と同じように、魁とならきっとどこへだって行けるだろう。

 右近は遥か向こうに見える地平線へと目を向けた。果てのない天と地の連なりは、まるで先の見えない未来のようだ。


「私も──、魁と一緒に行きたい」


 あの日、言えなかった言葉を右近は口にする。それは、魁への返事というより自分自身への宣言だった。

 右近は魁に向かって力強く笑った。


「損はさせないというからには、私は当然の利を期待していいんだろうな?」

「当たり前だ。俺は商人だぜ? 利益の出ないことはしねえ」


 魁が自信たっぷりに口の端を上げ、おもむろに右近の頭上の角に唇を寄せた。

 鬼にとって角へのキスは、親愛の気持ちを表す最も手軽な行為である。ただし、場合によってはとても意味深な行為でもある。

 友人としてのそれだと思うが、お姫様抱っこをされている今、別の可能性も考えてしまう。


 今のはどっち?


「……魁、おまえも打ち所が悪かったのか?」

「そうかもしれねえな」


 右近が問えば、魁は曖昧に笑って答えた。

 まあ、どちらでもいいか。右近は魁の首に両手を回し、思い切り抱きつく。今日の自分はので、こういうことも許される。

 同時に、この男に完全に惚れてしまったと、はっきりと自覚する。

 これから始まる旅は、どのようなものとなるだろう。まだ見ぬ土地に思いを馳せて、六洞りくどうの姫はひとまず紅の鬼に甘えることにした。

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