2 堅物の与平さんと美女の深芳さん③ 仲良し夫婦(後)

 碧霧はこれまでにないくらいテンパっていた。

 確かに、紫月に「驚くな」と言われた。

 でもそれは、人の国の珍しい生活様式であったり、そういうものについてかと思っていた。

 まさか、御座所おわすところでも堅物で有名だった「六洞りくどう衆の三番隊長」と、月夜の里の男の憧れ「落山の方」がリビングのソファーでいちゃついているなんて、誰が想像するだろう?


 邪魔をされた二人は顔を上げ、碧霧を見て驚いた顔をした。しかし二人は、すぐに対照的な態度に転じた。与平は少し嬉しそうに、深芳は少し腹立たしそうだ。

 とにもかくにも、碧霧はまず深芳に対してご機嫌を伺うことにした。


「ええと、伯母上は元気そうで何より……です?」


 語尾が疑問系になってしまったのは、これが正しいか自信がないからである。

 絶対に見てはいけないものを見てしまった気がする。二人はまだソファーの上で体を重ね合い、離れる様子もない。深芳が深いため息をついた。


「やだわ、ヘイさん。噂をすればだわ」

「ミィ、碧霧さまが驚いているから降りて」


 ヘイさん、ミィ……って。なんだ、それは。

 さらに混乱を極める碧霧の隣で紫月が満足げに笑う。


「だから驚かないでねって言ったでしょ?」


 いやいや、明らかな説明不足だし! 碧霧は、すがるような目を紫月に向けた。


「ど、どどどどどういうこと?」

「見たまんま。見てて鬱陶しいくらい仲良し夫婦」

「……」


 今の状況と紫月の言葉を碧霧は懸命に飲み下す。途中、いろいろもろもろ引っかかるが、この際どうでもいい。とにかく今は飲み下すことが重要だ。

 すると、いいところを邪魔された深芳が「ふん」と鼻を鳴らしてようやく体を起こした。


「お久しゅうございます、碧霧さま。一年も娘を放りつけ、どの面を下げていらっしゃったので?」

「……え?」


 さっきのくだけた様子はどこへやら、深芳の態度ががらりと豹変した。かつての「落山の方」そのものだ。

 深芳は、スウェット着とのギャップをもろともせず、落山節で言葉を続けた。


「おかげさまで、親子ともども悠々自適に暮らしております。今さら何用でございましょう? まさか、娘とよりを戻そうなどとお思いですか?」

「あの……、伯母上?」

「月夜の里に紫月を迎え入れる体制が整ったのかと問うているのでございます。とてもそのようには見えませぬが?」

「…………」


 いちゃつき現場からの、辛辣な落山節攻撃。

 も、ギャップが半端なくて、めちゃくちゃ怖い。さっきまでの猫なで声はどこへ行った。

 たまらず碧霧は助けを求めて与平にちらりと視線を送った。すっかり髪の短くなった与平がやれやれと苦笑する。


「ミィ、そんなに伯子をいじめるな。困ってなさる」

「困らせてるの。ヘイさんも何か言って。仮にも義理の父親でしょ?」


 深芳の言葉を聞いて、碧霧はさらに衝撃を受けた。

 確かに二人が夫婦となったのなら、与平は紫月の──。


「そう。私のパパ」

「や、パパって、なんか別の意味にも聞こえるんだけど?」

「……どうして、人の国のそういう俗語を葵が知ってるの?」


 鋭い指摘に、碧霧はウッと言葉に詰まる。味方になってくれるはずの紫月から思わぬ追及を受ける羽目になった。口は災いの元である。


「まあ、碧霧さま。立ち話もなんですから、こちらにお座りください」


 紫月のパパ──もとい、与平が深芳とともにソファーに座り直し、テーブルの向かいのクッションの席を碧霧に勧めた。

 ちらりと紫月を伺うと、彼女も「遠慮せず座って!」と促してくる。


 ああ、もう逃げ場がない。正直、ここまで予想外の展開になるとは思っていなかった。

 本来であれば、一度体制を立て直し、万全を期して臨みたいところである。が、誰も待ってくれそうにない。

 碧霧は観念してそこに座ることにした。




 碧霧は与平夫婦と向かい合う形で、可愛いクマ柄のクッションに座った。正座であることは言うまでもない。


 なんとも言えない空気が漂う。


 母親の深芳は不服そうな視線をこちらに容赦なく投げてくるし、与平はそんな妻を困った様子で眺めている。そして、紫月はどこまでも楽しそうだ。

 猿師はというと、部外者に徹すると決め込んでいるようで、「我関せず」といった態度で末席に黙って座っている。


 この膠着こうちゃく状態をなんとかしなければ。


 碧霧は意を決して口を開いた。


「あの──、」

「誰が口を開いていいと?」

「はい、すみません」


 決した意は、すぐさま深芳に叩き割られた。どうやら話の進行権限は深芳にあるらしい。今だかつてない緊張に碧霧は見舞われた。

 見かねた与平がやんわりと口を開く。


「碧霧さま、この一年、大変でございました。あらかたの事情は猿師から聞いておりますが、碧霧さまから改めて説明願えますか?」


 与平が口を開いても怒られない。そこに不公平を感じつつ、碧霧はこの一年のことを手短に話した。

 六洞衆が事実上の里外放逐となったこと、自分自身も西の領境の浦ノ川柵に足止めされていること、御座所に父親直属の近衛衆が誕生したことなど。どれも良い話ではないものばかりだ。


「……ま、聞いてはおりましたが、散々な状況ですな」


 与平がため息混じりに呟いて、深芳を見やる。深芳は興味が失せた様子でそっぽを向いている。


「知らないわ。人の国にいる私たちにはもう関係ないもの」


 どうやら「落山モード」は長続きしないらしい。

 碧霧は会話をさっさと打ち切られ、心の中で嘆息する。深芳の言い分はもっともで、彼女の気持ちも分かる。その覚悟で阿の国から人の国へ逃れてきたのだろうから。

 さて、どうしたものか。

 するとその時、隣に座っていた紫月がふいに口を開いた。


「私、葵のこと待つよ。だって、私も葵と同じ当事者だもの」


 深芳が複雑な面持ちで娘を見る。反対しているのは明らかだった。そんな母親に紫月は力強い笑みを返した。


「母さんは言っていたじゃない。最後は笑っている者が勝つって。だとしたら、私が笑っているのは葵の隣だわ」


 最後はきっぱりと紫月が言い切る。

 刹那、ふうっと大きなため息一つ、深芳が立ち上がった。


「じゃあ好きにしてちょうだい」


 吐き捨てるように言って、深芳が奥の部屋へと消えた。結局、最後まで母親の機嫌は悪いままだった。与平が苦笑しつつ碧霧に言った。


「紫月が阿の国に関わる以上、あなたに任せるしかないことは儂もミィも同じ考えです。ただ今は、藤花さまのこともあって気持ちが揺らいでいます」

「分かっている。紫月をいきなり阿の国に連れて帰るつもりもないし、今日は俺もこれで帰るつもりだ。──て言うか、紫月も今じゃ呼び捨てなんだな」


 大切な話もそっちのけで思わず碧霧は突っ込む。三人の中で最も変わったのは与平だろう。すっかり落山親子と家族の仲だ。

 なぜか紫月が「そうよ」と偉そうに笑った。


「だって、私のパパだもの。母さんだって大丈夫よ。一晩たてば、どんな機嫌でも直るんだから」


 どうやら、与平はあの落山の方を完全に掌握しているらしい。

 どんな機嫌でも直る一晩って……。そこを詳しく聞きたい気もしてちらりと与平を見ると、彼から含みのある笑みが返ってきた。


「拗ねる女の扱いには慣れております」

「与平、おまえそんな男だったっけ?」

「もともとは。十兵衛さまに仕える前は、かなり腐った男でしたよ」


 それは何百年前の話だ? 与平に歴史あり。

 紫月との久しぶりの再会は、彼女の「パパ」の存在を嫌というほど味わうものとなった。

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