6 六洞衆の排斥

 驚いた様子で左近はかくれに尋ねた。


「いないって──。隊長は落山まで姫を送り届けたのではなかったのですか?」

「最後は一人で帰ると断られてな。遠慮というよりは拒絶に感じたので、儂も不審に思い後をつけさせてもらった」


 さすが、ただでは帰らない諜報部隊長である。左近は、隠に先を促す。すると隠は、なんとも複雑な顔で苦笑した。


「姫は落山の屋敷に戻らず、どこに行ったと思う? 与平の家だ。しかも、中の様子から察するに落山の方もいた」

「は?」


 左近は豆鉄砲を食らったような顔をした。


「三番隊長のところに……、なぜ?」

「そう思うだろ。与平には悪いと思ったが、ありえない状況だったので監視を一人つけさせてもらった。で、儂自身は念のために落山の屋敷の様子を見に行ったんだが──」

「だが、なんです?」

「その間に与平が監視を気絶させ、落山親子とまさかの逃亡だ」

「ど、どどどういう、ことです?」

「状況だけ見ると、与平が落山親子を拐って逃げたと思われてもおかしくないな。さすがの儂も慌てたぞ」


 いよいよ狼狽する左近に向かって、隠はくつくつと笑いながら余所よそ事のように言う。しかし左近はそれどころではない。


「俺はこれを碧霧さまに報告しないといけないんですよ。こんな話、どう説明するんです? 捜索はされているんですか?」

「まあ落ち着け、左近。大将に事情は確認済みだ」


 隠がすっと真顔になり、声を落とす。そして彼は、膝を一つ分ほど左近に寄せた。


「明後日、沈海平しずみだいらより鬼伯が御座所おわすところへお戻りになる。例の鬼兵団も一緒に御座所に入る。状況は思った以上によろしくない」

「私兵を御座所に入れるのですか? あり得ない」

「そうだ。つまり、これの意味するところは──奴らは私兵ではなくなり、鬼伯直属の鬼兵団になるということだ。我ら六洞衆に対抗する勢力だ」

「──!」


 言葉をなくす左近に、隠が「よく聞けよ」とばかりに二本の指を立てる。


「一つ、儂らの預かり知らないところで何かが起こり、落山親子は与平とともに姿を消した。この件に関しては、奥の方が関わっているらしく、詮索も捜索もできない。問題はないらしいが、詳細は大将さえ知らされておらん。さっき、七洞夫人が殺されたと言ったな。しかし、夫人が行方不明になっているはずの七洞家は、教育係の美玲さまが体調不良で出仕していない他は静かなもんだ。夫人の死については重丸さまを通じて奥の方に報告するが、おそらく七洞当主の利久さまが騒ぎ立てることはないだろう」

「夫人が殺されたのに?」

「そうだ、つまり起こったのは落山親子が身を隠さなければならないような何かで、それはもう終結しているということだ。そして誰も、そのを蒸し返すつもりがない」

「そんな……」

「二つ、鬼伯直属の鬼兵団が誕生する。ことと次第によっては、六洞との全面衝突もあり得る。しかし大将は、今は戦う時ではないと大概のことは受け入れる覚悟だ」

「大概のこととは?」

「例えば、里守さとのかみおよび洞家の召し上げ」

「!」


 左近がさっと顔を強ばらせる。隠が冷えびえとした顔で口元を皮肉げに歪めた。


「沈海平の裏金から始まり、今回の派兵。全てはこのためだ。直属の鬼兵団を手に入れ、目障りな息子ともども六洞を里外へ追い出す算段だ」

「親父は戦わないのか?」

「大将からの伝言は、今は耐える時であると、それだけだ。与平の密命は隊長格にしか知らされておらず、他の隊士たちは突然の三番隊長解任に動揺している。中には、奥の方に対する不満を口にする者もいる。このような浮き足だった状態で、誰の相手もできまいよ。おまえは明後日、ことの次第を見届けて浦ノ川柵へ戻れ。そして、碧霧さまに隠すことなく見聞きしたことをご報告申し上げろ。伯子はまだ若い。沈海平の時のように激情にまかせて暴走せぬよう守役のおまえが言い聞かせろ。今、死なれては困る」


 淡々と言って、隠は話を締めくくる。左近は膝の上でぐっと両手を握りしめた。




 紫月たちが与平の家を出て二日が経っていた。三人は今、落山をさらに北へと深く分け入った山中にある朽ちかけた廃屋にいる。

 ここはかつて、元伯家の嫡子が囚われていた座敷牢である。彼が亡くなった後は、そのまま放置され、今は荒れ放題となっている場所だ。

 粗削りの大きな木を組み合わせただけの厳つい門には、至るところに紙札がべたべたと貼られ、当時の様子を今に語っている。これが最新の結界術の一つだったと、紫月は与平から説明を受けた。


 屋根が落ちかけた屋敷は、家の中にも雑草が生えている始末である。それでも雨風は多少なりとしのげることから、三人はここに二日ほど滞在している。


 荷物らしい荷物は何もなかった。何も持たずに与平の家に親子二人で転がり込んだのだから仕方がない。与平自身も荷物は風呂敷一つだけである。

 これから最も必要になるであろう金は、先にに渡したとのことだった。与平の懐にはわずかばかりの金が入っているだけである。魁のような旅商人かと思い与平に尋ねたら、「内緒です」と返ってきた。


 ちなみに、碧霧にこのことを伝えたいという紫月の希望は、二人を守るためだという理由で却下された。しかるべき時に千紫から伝わるはずだという与平の説明で、すでに千紫が深く関与してくれていることを紫月は知る。

 皆が自分を助けようとしている。その気持ちを無駄にするようなことはできない。紫月は心の中で「ごめんね」と碧霧に謝った。


 侍女の波瑠とは、与平の家で別れた。もともと千紫付きの侍女であった彼女だが、今さら奥院には戻れない。なんでも、花月屋主人と兄妹のような仲らしく、ひとまずそちらに身を寄せるとのことだった。


 ここに着いてから、母親はずっと荒れた庭に面した廊下で物思いにふけっている。義兄がかつて囚われていた場所なのだから仕方がないと紫月は思う。そして与平がその隣に座り、二人でぽつりぽつりと言葉を交わしている。

 自分が知らない長い時を、この二人は歩んでいる。自分も母親や与平のように碧霧となんでも話せるようになるだろうかと、少し羨ましくなった。


 暮れ始めた空を見上げる。今夜もここに泊まることになりそうだ。しかし、ここもまた、いつまでもという訳にはいかないだろう。次はどこに行くのかと思いを巡らせていたところへ、案内人は突然現れた。


 短い黒髪を後ろに撫でつけ、人の国の現代の服装であるシャツとズボンという格好である。眼光鋭い細面の男は、夕日に霞む庭先に立ち、縁側で所在なく過ごす紫月たちに頭を下げた。


「お久しぶりにございます。紫月さま、そして深芳さま」

百日紅さるすべり先生、」

「……弟子殿」


 紫月と深芳が驚きの声を出す。とは、「大妖狐九尾の弟子」という意味である。人の国は伏見谷に住む妖猿、百日紅さるすべり兵衛がにこりと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る