10 決別の言葉

 碧霧の呼びかけに、真比呂と佐一、そして魁と凛香、月夜の鬼からは左近と四番隊長のかくれが集まった。それぞれが、碧霧と紫月の回りに円になって座る。


「紫月、体はなんともない?」

「大丈夫。葵、みんなに話を」


 紫月がまだ戸惑いを見せつつも、しっかりとした口調で答えた。今の状況を理解して、ちゃんと気持ちを切り替えたようだった。碧霧は皆の目が自分に集まったのを確認すると、静かに口を開いた。


「森を燃やして終いにすると、父上にそう言われた。雨が降って火矢が使えない以上それもない。きっとこれ以上の攻撃はない。ただし、岩山がっさん霞郷かすみのごうは鎮守府預かりとなる」

「鎮守府預かり……。事実上の召し上げですね」


 佐一が苦々しく呟く。碧霧は小さく頷いた。


「そうだ。しかし、これを不服としてまだ抵抗するつもりなら、関係する全ての者を探し出して処分をすると。そう釘を刺された」

「なるほど。脅しではありますが、鬼伯としては譲歩された形ですか」


 かくれが「妥当なところだろう」と言って、それに左近も同意する。そこへ魁が口を挟んだ。


「残党狩りは? しない訳ねえよな」

「そうだな。父上はもう興味がないだろうが、佐之助はそうはいかない。沈海平の見分も兼ねて、鬼伯の名の元に残党狩りはすると思う」

「だとしたら、どちらにしろ早く身を隠さねえと」

「そういうことになる」


 誰もが重苦しいため息をついた。

 碧霧は口元に悔しさをにじませながら吐き捨てた。


「父上の動向に気づくことのできなかった俺の失態だ。しかし、これ以上の抵抗は意味がない。悔しいけれど、今は退く」


 完全にこちらの負けだった。

 父親に対し、まともに意見を言える力がないことを思い知らされた。

 今の自分は与えられた地位に甘え、そこで声を張り上げていただけだ。自分の信念を貫くためには、何者にも負けない強い立場を自分自身で掴み取らなければならないと知った。


 皆が碧霧の次の言葉を待っている。彼は全員の顔を一つひとつ見つめた。


「今は退くしかない。けれど──、このままでは終わらない。俺は自分自身の信じるもののために、必ずこの手で伯座に就く」


 静かに、しかしはっきりと碧霧が宣言する。黙って父親に従っていれば自然と転がり落ちてくるであろう地位を、彼はあえて自分の手で掴むと言う。それは、父旺知あきともとの決別の言葉にも聞こえた。

 彼の言葉に、誰もが息を飲む。

 しかしややして、真比呂が淡々とした口調で言った。


「今の言葉、覚えておく。俺たちはおまえを信じてここまで来た。この先、幾多の犠牲を払おうと、それを全部踏みつけてでも──、おまえには伯座に就いてもらう。謝罪も、言い訳も聞くつもりはない」


 例えば、ここで散々に罵られたとしたら、どれほど楽だっただろうと碧霧は思う。しかし真比呂はそうしない。それが当然であるという顔をする。

 弱音を吐くことなんて許されない。ましてや、途中で放り出すなどありえない。


 信じる先に続くのはいかなる道か。少なくとも平坦な道ではないことは確かだ。

 それでも、もう進むしかない。


 紫月がぎゅっと碧霧の手を握る。自分が感じたことを彼女も感じたようだった。

 碧霧はぐっと口を引き結ぶと、静かに真比呂に頷き返した。


 その時、

 ふいに隣の紫月が「あっ、」と声を上げた。彼女は、「迷い道が……」と木々の間を指差した。


 碧霧たちが紫月の指差す方に目を向ける。すると、木々の間の空間が不自然に歪み、大きな洞窟へと続く道ができていた。かつて碧霧も通ったことのある迷い道だ。


「迷い道が出た──!」


 上ずった声で言い、真比呂が立ち上がる。妃那古が思わず彼の腕に抱きつき、瞳を潤ませた。これで、佐之助の追っ手がかからない森深くへと逃げることができる。

 力尽きて座り込んでいた他の水天狗たちも「出たぞ!」と声を上げた。


「待て、誰かいる」


 真比呂の声に皆が入り口を注視する。迷い道の入り口に一人の童が立っていた。

 若草色の髪に浅黒い肌、目はきれいな緑黄色。亜麻色の貫頭衣に蔓の腰紐を巻いている。

 ちょど周囲の騒がしさに目を覚ました香古が彼の存在を見つけ、小さな体で冷たくなった父親をかばいつつ彼に声をかけた。


「あなたはだれ?」


 緑黄色の瞳の童は、香古を見てにこりと笑った。そして香古と勇比呂の元へ歩み寄った。


ととにさわっちゃダメ」


 小さな両腕を必死で広げ童をぐっと睨みつける。童はさして気分を害した様子も見せず、香古に言った。


「死んだ者は森の一部となる。消えるにあらず。その姿を変えるのみ」


 愛らしい子供の声で、子供とは思えない堅苦しい言葉を童が口にする。香古は、言葉の意味を理解できないでいるようだったが、それでも童に敵意がないことは理解したらしく、両手を静かに下ろした。

 そんな子天狗の手を緑黄色の瞳の童が握る。


「さあ、行こう」


 言って彼は、さも当然のように香古を迷い道へと誘う。同時に勇比呂の体がふわりと浮き上がった。

 香古がためらうことも振り返ることもなく、童とともに迷い道へと歩き始める。まるで術か何かにかかったようだった。


「香古、待て!」

「大丈夫、悪い子じゃないわ」


 思わず香古を呼び止める真比呂を紫月が止めた。そして彼女は、驚きの声を出す。


「不思議な子。すごい優しくて穏やかで……清浄な気をまとってる。まるでこの森そのものみたい」


 初めて古閑森こがのもりを訪れた夜のことを紫月は思い出した。あの時、こちらの呼びかけに応え、迷い道に自分たちをかくまってくれたのはきっとあの童だ。

 そして今、父親を失った香古を導いてくれようとしている。


「森はあなたたちを受け入れる。あの子について行けば大丈夫。香古のように振り返らずに行って。さあ、急いで」


 紫月は力強く真比呂を促す。真比呂が大きく頷いた。


「──分かった。碧霧、紫月、そして魁たちも、みんな感謝する」


 真比呂が「行こう!」と他の水天狗たちに声をかけた。やわらかな朝日が差し込む森に、水天狗たちの歓喜の声が上がった。


 香古に続き、水天狗たちが迷い道へと入っていく。そして霞郷かすみのごうの者は、とうとう真比呂と妃那古、佐一だけとなった。


「佐一も行くのか?」


 碧霧の問いに、皆の視線が佐一に集まる。当然ながら、佐一も鎮守府へは戻れない。

 佐一は「そうですね……」と笑った。


「このまま真比呂たちと行動を共にしたいと思います。俺も真比呂たち同様、沈海平を離れるつもりはありません。姉を──よろしくお願いします」


 強い意思を感じさせる口調で佐一がはっきりと答える。月夜の鬼ではあるが、彼もまた、この土地とともに生きる者なのだと碧霧は感じた。


「真比呂、また会いに来る。会えないかもしれないけれど、森に来た証しを残していく」

「分かった。俺たちの力が必要となった時は呼んでくれ」


 迷い道は真比呂たちを招き入れると、跡形もなく姿を消した。どこへ通じているのかは、碧霧たちにも分からない。でも、もう心配ない。


「行っちゃったね」

「ああ、」

「……香古と話せなかったな」


 少し寂しそうに紫月が呟く。碧霧は、「またすぐ会えるよ」と彼女の肩を優しく抱いた。




 水天狗たちが起こした反乱からおよそ一年。沈海平しずみだいら岩山がっさん霞郷かすみのごうは、鬼伯旺知あきともの報復により炎の海に沈む。碧霧が水天狗たちと結んだ和平は事実上無効となり、以降、岩山霞郷は鎮守府の預かりとなる。


 この地が彼らの元に戻るのは、まだもう少し先の話である。

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