8)新たな地へ

1 信じる望み

 水天狗たちが姿を消し、残るは碧霧たちと魁の率いる旅商団となった。

 大木の根元には右近がまだ静かに眠っている。凛香が傍らにひざまずいて彼女の様子を気づかった。


「ねえ伯子サマ。右近をどうするつもりだい?」

「……妹は、西の領境に連れて行く」


 碧霧の代わりに左近が答えた。凛香が「領境へ?」と不満げな顔をした。

 右近は今回のことに深く関わっている。伯子の命を受けて岩山がっさん霞郷かすみのごうに滞在していたことも周知の事実だ。今さら月夜の里には帰れない。

 碧霧が魁に向き直り、表情をあらためた。


「巻き込んでしまってすまない。右近も──世話になった。商談の話は一度中断させてもらいたい。赤鉄の扱いも今後どうなるか分からない」

「もちろんだ。こちらとしてはあんたと繋がりができただけでもいい」

「あと、不躾だが、もう一つ頼みがある──」

「なんだ?」

「西のくれない一族と秘密裏に話をしたい。取っかかりが欲しい。いきなり中枢の要人とまでは言わない。話ができる者を誰か知らないか?」


 魁が驚いた様子で目を瞬かせた。そして彼は思案げな顔でちらりと凛香と視線を交わし合う。彼女が小さく頷き返し、それを受けて魁は再び碧霧に視線を戻した。


「何人か話の分かる奴を知っている。中央とも繋がりがある。ただ、すぐには無理だ。時間が欲しい」

「問題ない」

「それと──」


 言って魁が、言葉を飲み込む。そして、らしくない様子で左近を一瞥してから、彼は思いきった表情で口を開いた。


「右近を、こちらで預かりたい」


 今度は碧霧と左近が顔を見合わせた。しかしすぐ、左近が呆れた様子で口元を歪めた。


「何を言い出すかと思えば──。右近を質にでも出せと言うつもりか?」


 しかし魁は、碧霧と左近に真っ直ぐな眼差しを向けた。


「西の領境は今でも緊張状態が続いている。あんなところで休めと言われても静かに横になっている奴じゃない。右近はまた無茶をする。きっちり休ませてやりたい」


 魁の指摘はもっともだった。

 ただ、だからと言って魁に預けるという発想は、さすがの碧霧にもなかった。

 にわかに返事に困る碧霧の様子を見て、紫月が口を挟んだ。


「私もそれがいいと思う。戦いばかりの領境より、魁と一緒の方が安心だもの。ほら、旅って気分転換にもなるじゃない?」

「紫月さま、またそのように軽々しく──。阿の国を巡ることも安全とは言い難いでしょう?」

「ねえ、兄サン。私らを信じてもらえないかい?」


 苦虫を潰したような顔をする左近に凛香が声を上げた。


「出会って一か月足らずだけどね、うちの連中はみんな右近のことを気に入ってんのさ。それに、守役に阿の国を巡らせるっていうのは、伯子サマにとっても損じゃないと思うけどね。決して悪いようにはしないよ」


 左近がさらに不機嫌に押し黙る。いきなり「妹を預かりたい」と言われ、兄として戸惑うのも当然だ。それで皆が左近の次の言葉を待っていると、彼はひとしきり思案したあと、唸るような声を出した。


「……ならば必ず、碧霧さまに相応ふさわしい西の者を紹介しろ。それが条件だ」


 そして彼は、赤髪の男をぎろりと睨む。


「今回、おまえたちが結界を結ぶことができれば被害はもう少し小さくて済んだはずだ。結界術も使えないようでは話にならん。この際だ、しばらく右近を。右近に結界術をきっちり教えてもらえ。覚えるまで返してこなくていい」


 商人に対し、戦うことを前提に結界術を学べなんて無茶ぶりもいいところだ。素直に「右近を頼む」と言えばいいものを。

 碧霧は、紫月や四番隊長のかくれと視線を交わし合い苦笑する。左近は気に入らない男に娘を取られる父親のような形相である。しかし、魁たちと強い繋がりができることは、碧霧にとって歓迎すべきことだった。


 魁が壊れ物を扱うように大木の根元で眠り続ける右近をそっと抱き上げた。彼女はまだしばらく起きそうにない。

 紫月は魁の腕の中で子供のように眠る右近の顔を覗きこんで笑った。


「ふふ、きっと起きたら驚くわね」

「そうさなあ」


 満足そうに笑い、魁は左近に向き直った。そして彼にしては珍しく神妙な顔で左近に言った。


「結界術は必ず覚える。右近も、絶対に大切にする。あと、六洞りくどう当主にも必ず挨拶を──」

「いや、だからっ。貸してやるんだ、あくまでも! 親父になんの挨拶をするつもりだ?!」

 

 左近が顔をひきつらせた。そんな彼を紫月とかくれがなだめすかして後ろへと下がらせる。「まだ話が終わってない!」などと騒ぐ左近を尻目に、碧霧と魁は最後の言葉を交わした。


「領境は、西にとって不満のはけ口のような場所だ。皆がそう思うよう仕向けている奴がいる。でも、ちゃんと話が分かる奴もいる。必ず、あんたに繋ぐ」

「ありがとう。頼む」

「それまでは潰されるなよ」

「わりと図太い方だ。面の皮も厚いとよく言われる」

「そうか。なら安心だ」


 魁がにやりと笑い、右近を抱えながら空馬にまたがった。


「じゃあ、面倒なのが来る前に俺らも行くか。急いで奈原の宿に取って返し、荷物をまとめて逃げるぞ!」

「おう!」


 紅の鬼たちが野太い声を上げ、それぞれの馬にまたがる。そして魁の号令とともに、赤髪の鬼たちは一気に空へと舞い上がった。

 右近と紅の鬼の旅商団が、南の空へと旅立った。


「さあ、俺たちも行こう」


 木々の隙間に消えてなくなる魁たちの後ろ姿を見送りながら碧霧は残りの三人に声をかけた。

 散々な結果ではある。けれど、沈海平へ来たことを無駄にはできない。

 この悔しさを次の一手へ──。信じる望みは、まだ遥か先にある。

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