2 小さな嘘
水天狗たちや紅の鬼たちが去った後、碧霧たちも
碧霧たちは、森を出てから空を北に向かって進み、しばらくして一度立ち止まった。
ここからは、向かう先が違う。紫月は月夜の里へ、碧霧は浦ノ川柵だ。
「
「承知いたしました」
碧霧は馬体を狛犬に寄せて彼女を片手で抱き締める。今、彼女を手放すのは心配でならなかった。父親が次にどのように動くか気になったし、何より白銀の子供の存在も気がかりだった。それでも帰るべき場所がある以上、領境へ連れて行くことはできない。
「今の争いが落ち着いたら、折を見て必ず月夜に一度戻る。その時にいろいろ話そう」
「うん」
すると、紫月が返事をしたものの、ふと何かを言いかけた。しかしそれは声にならず、不自然な笑みへと変わる。碧霧が怪訝な顔を向けると、彼女は少し悩んだ後、「ごめん、なんでもない」と言葉を濁した。
「白銀の子供のこと、不安?」
「それもあるけど……」
(それもってことは、それじゃないと。じゃあ、なんだ?)
碧霧にはその先が読めない。
「紫月、何かあるなら言って。心配になるから」
「ごめんなさい、たいしたことじゃないの。戻って来たときに話すわ。待ってる」
紫月は強引に話を打ち切った。こちらから意味ありげな声を発しておいて、それはないだろうと自分でも思う。しかし、彼は今から西の領境に戻らなければならないし、心の中で抱えている悩みのあれこれを短い時間でうまく話せるとは紫月には思えなかった。
何より、自分が「旺知に女を求められ襲われた」ことをどうしても碧霧に言い出せない。責められる訳がないのも分かっているし、自分の気持ちに寄り添ってくれるであろうことも分かっている。けれど、きっと失望はさせてしまう気がした。
「待ってる」と言ったものの、どこで待てばいいのだろう。与平の家に身を寄せ続けるのにも限界がある。
しかし、紫月はいっさいの不安を押さえつけて碧霧に笑ってみせた。
「
いいことも何も、
ここに来てから碧霧にいっぱい嘘をついている。それは自分が弱いからだと紫月は思う。嘘をついて「大丈夫」と言っていないと、彼に心配ばかりかけてしまうから。
「月夜の里に戻ってきたら、絶対に聞いてね」
「……うん、分かった」
紫月が一方的に会話を打ち切ると、碧霧は小さく笑った。完全に納得している訳ではなさそうだが、彼の笑顔を見て紫月もひとまず安心する。彼女は四番隊長の
「私、風に乗って帰るけど、それでも一緒に来る?」
「ぜひ。三番隊が絶賛していたもので、私も一度ご一緒したいと思っておりました」
隠が紫月に笑って答え、碧霧たちに「では、これで」と別れを告げる。
碧霧が見守る中、紫月は四番隊長とともに月夜の里へと去っていった。
紫月たちの後ろ姿がすっかり見えなくなって、左近がふうっとひと息ついた。
「碧霧さま、それでは我々も」
「ああ。それなんだけど、」
「はい」
「おまえはこのまま通常の方法で月夜に戻ってくれ。紫月の速さに追いつけるとは思わないから心配はないだろうけど、彼女に見つからないように」
「……見つからないように、ですか」
困惑ぎみの左近に碧霧が「そうだ」と頷く。
「たぶん、嘘をついている」
誰に言うともなく碧霧は呟いた。
紫月は嘘をつくのが下手だ。今まで本心を隠す必要がなく、まともに嘘をついたことがないのだろう。大事な嘘になればなるほど、自分の顔が強ばっていることに彼女は気づいていない。
しかも今回、彼女の嘘は二回目だ。一度は、鬼伯の沈海平の出兵を「与平に教えてもらった」と言ったこと。
彼女の性格を十分に知っている与平が、こんな重要なことを軽々しく彼女に教えるとは思えなかった。百歩譲って教えたとしても、与平は紫月を一人で行かせるような真似はしない。必ず一緒について来るはずだ。問い詰めはしなかったが、彼女は誰にも言わずに沈海平に来た可能性が高い。
つまり、周囲の大人が予想しない形で彼女はこのことを知ったということになる。
「今回の沈海平の出兵以外にも何かあったのかもしれない。紫月の身の回りで不審なことがないか確認してきてくれ。右近のことも──、隠が重丸に伝えるだろうけど、身内のおまえから話したいだろ? 頼めるか」
「分かりました」
頷いて左近が馬首をひるがえす。そして彼も、紫月たちの後を追いかけるような形で月夜の里に向かって走り去った。
これ以上面倒な話は、正直なところもう聞きたくない。しかし、心にかかる不安のもやはいつまでも晴れない。
碧霧はようやく晴れ間が見えてきた北の空を仰いだ。
月夜の里では
予想はしていたが、水天狗たちは抵抗する間も与えられず
雨が降ったのは天の恵みか、と千紫は思う。
四番隊によれば、見たこともない爆発する火矢による一方的な戦い──制圧だったらしい。しかし、雨が降りだしたことにより火矢の威力が半減し、次洞軍は撤退を決定した。これ以上の追い討ちは火矢の無駄遣いと考えたのだろう。
このあと、後始末という名の残党狩りが行われ、月夜に戻ってくるのは数日先だと思われた。
「参りましたな、」
まず第一声を上げたのは勘定方の十兵衛だった。
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