3 新たな鬼兵団

 十兵衛は、昨日の昼ごろから今回の出兵の話に巻き込まれてしまっている。


「今回の出兵の費用、いかほどかかっているものやら」


 あごひげをさすりながら勘定方はため息まじりに言う。

 戦には金がいる。しかし、今回の出兵は寝耳に水で、そもそもどこからも資金が出ていない。今となっては、それが逆に不気味である。

 それに問題はそれだけではない。


「赤鉄のおかげで、沈海平しずみだいらからの収入は跳ね上がっております。今、水天狗たちを叩いてしまったとなれば、せっかくの貴重な収入源を失うことになります」

「赤鉄の利権を丸ごと奪うつもりであろう。伯の目的は最初から沈海平に対して支配を強めることだからの」

「……で、奪った利益は、元の裏金のように伯の私財ですか? 親子で金の奪い合いですな。伯子に沈海平からの裏金を断たれたことが余程気に入らなかったと見える」


 まるで余所よそ事のような口調で十兵衛が言った。千紫が軽く睨みをきかせると、彼は肩をすくめつつも悪びれる様子もなく言葉を続けた。


「もともと沈海平からの裏金は、それなりに大きな額だったでしょう? それこそ鬼兵団を一団養えそうな──。ちなみに今回の出兵の費用は、その奪った利権で賄ってくれるのでしょうな?」


 しかし刹那、十兵衛は冗談半分に放った自身の言葉にはっと息を飲む。そしてそれは、千紫も同じだった。


「そういうことか──!」


 ほぼ同時に二人が声を上げた。二人のやり取りを黙って聞いていた重丸が、「つまり、私兵団の設立資金?」と言葉を挟めば、千紫が苦々しい面持ちで頷いた。


「あれほどの規模の私兵をどうやって集め、兵団として作り上げたのか不思議に思っていたのじゃ。いくらなんでも莫大な金がいると」

「ええ。与平からの報告を受けて、勘定方でも沈海平の裏金のことは調べていたのですが、最終的にどこに金が流れていったかは不明で。なるほど、これで合点がいきましたな」

「……まずいの」


 千紫が忌々しげに呟く。十兵衛も難しい顔でうーんと唸った。


「確かにおもしろくないですな。つまりこれは、気まぐれに寄せ集めて作った兵団ではないということになる。六洞りくどう衆に対抗するための戦力だ」


 六洞家は臣下として伯家に仕えているが、旺知に従順な訳ではない。むしろ、碧霧の考え方にくみすることが多い彼らは、明らかな伯子派と言える。

 旺知にとって六洞衆は、北の領を守る貴重な戦力であると同時に、目の上のこぶでもある。

 しかし今、六洞衆に対抗しうる戦力を旺知が手に入れたとなると、事情が変わってくる。


 折しも、吏鬼が「沈海平からの連絡です」と遠慮がちに入ってきた。


「二日後、鬼伯が次洞じとう佐之助さまとともにご帰還なされるそうです。鬼兵たちも御座所へと入るとのこと」

「……あい分かった。下がれ」


 千紫が答えると、吏鬼はそろそろと部屋から出ていった。東二ノ間に重苦しい空気が流れた。

 重丸が苛立ちをあらわに吐き捨てた。


「御座所に入れることで、鬼伯は正式な鬼兵団を名乗らせるつもりか。六洞われらで阻むこともできますが──、間が悪ければ分も悪い」

「奥の方、どうされます?」


 二日後、旺知が新たな戦力を引き連れて帰ってくる。

 千紫は思案げに視線を巡らせた。四番隊の報告では、碧霧は伯に退けられ、大怪我を負ったらしい。この流れで、重丸を配置して真っ向から対立するのは得策とは思えない。何より、今はまだ、その時ではない。


(今できうることをしておかねば──。とは言え、できることなど限られておるの)


 心の中で嘆息しつつ、千紫はまず十兵衛に目を向ける。


「十兵衛、伯を迎える準備を御用方の利久を中心に進めよ。あと、霞郷かすみのごうが鎮守府預かりとなれば、近々、沈海平からの収入についても話にもなるであろうから、数字を低く見積もっておいてくれ」

「低く──」

「下手に高いと同じ収入を維持しろと言われかねぬ」


 十兵衛が飄々とした顔で「さて、どうごまかしますかな」とぼやく。次に千紫は、重丸に言った。


「新たな鬼兵団が入ってくる。今、月夜に残っている三と六番隊でもしもの事態に備えてほしい。ただし、あくまでも受け入れの姿勢を保て。あと──、」

「?」

「与平は外せ。新たな隊長を立てよ」


 重丸と十兵衛が顔を見合わせる。思えば今日、与平は執院に上がった早々に千紫に呼び出されていた。以後、姿が見えないので、彼女の命を受けてどこかに出かけたのかと思っていた。

 重丸が不審な顔を千紫に向けた。


「昨日も西の領境への増援は三番隊以外で対応しろとおっしゃいましたな。そして今度は、与平を隊長から外せと。やつが何かしましたか? 最も信頼のおける者であることは奥の方も十分ご存知のはず」

「……与平は、今日限りで御座所を下がらせる」


 すると、珍しく十兵衛が険のある口調で口を挟んだ。


「それは──、儂と重丸を納得させる理由がおありで?」


 与平は六洞衆三番隊長という立場であるが、十兵衛の元姓である「下野しもつけ」を名のっていることからも分かるとおり、八洞やと家にとっても大切な臣下だ。

 二人の態度は当然の反応である。千紫は、悩ましく眉根を寄せつつも、きっぱりとした口調で二人に答えた。


「与平には個人的に大切なことを頼んだ。それゆえ、もう御座所にはおられぬ。本人も了承済みだ」

「個人的な頼みとは?」

「……深芳と紫月を里から放逐する。女二人はあまりにも心もとないゆえ、護衛を頼んだ」


 十兵衛と重丸が目を見開いて顔を強ばらせる。彼らはさらなる説明を求め千紫をまじまじと見つめた。

 しかし返ってきたのは、それを拒絶する強い眼差しだった。


「これ以上は今は言えぬ。行き先も含め」

「ですが、隊士には説明が必要です。皆がまとまらねばならない時に理由も聞かされず隊長の解任など、千紫さまへの不信にも繋がります」

「ならば、私の怒りを買ったとでも言っておけ。頃合いを見計らい、適当な噂を流す」

「それこそ納得しますまい」

「重丸の言う通りです。ちなみに、伯が帰ってくる前に放逐ですか?」

「言えぬと言っておる」


 十兵衛の唯一の質問にさえ千紫は態度を崩さない。しかしその答えは「是」だ。さらに言うなら、彼女はこのような大事なことを夫にも息子にも報告する気はないようだった。

 まるで二人を隠そうとしているようだ──。


 とりつく島のない千紫の態度に、重丸と十兵衛は黙るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る