8 親子、衝突
弓矢隊がはっきりと目視できるところまで碧霧は来た。腹の奥の怒りは当然ながら収まらない。あの一撃だけで終わらせるつもりも毛頭ない。
それで碧霧が再び利き手に鬼火を宿した時、矢のごとく勢いで一騎の馬がこちらに向かって飛び出してきた。
黒髪を高い位置で一つにくくり、赤に金糸の派手な陣羽織をはおっている。手に持つのは、装飾品かと思うような豪奢な太刀。何より、他を圧倒する不遜な顔つき。
乗っているのは鬼伯にして彼の父親、旺知である。
ぐんぐんと両者の距離は縮まる。そして、走る勢いそのままに二人は激突した。
碧霧は容赦なく炎をまとった刃を旺知に向かって打ち下ろした。旺知がそれを受け止め、火炎が辺りに飛び散った。
「なぜ水天狗たちを攻撃した?!」
ぎりっと刃を押しつけながら碧霧は旺知を睨んだ。旺知が平然とした様子で顔を傾ける。
「反乱を起こした
「ふざけるなっ!!」
声を荒げ、碧霧は旺知を力任せに押し返した。そして、巨大な鬼火を繰り出し、そのまま父親に投げつけた。
旺知が碧霧の鬼火を無造作に払いのけたところへ碧霧が再び刀を振り上げて斬り込む。旺知が碧霧の刃を受け止め、ガキンという鈍い音が響いた。
「こんな──っ、和平を結んだ相手に裏切り行為を!」
「……儂は反乱を止めろとは言ったが、和平を結べとは言っていない」
「だからって、水天狗たちを攻撃する意味がどこにある?! あんたには何の
「分かってないな」
旺知が苛立ちをあらわに息子を睨む。そして彼は碧霧の刀を押し返して距離を取ると、片手を高らかと上げた。
「放て、」
旺知が手を振り下ろしたのと同時に、彼の背後から火矢が一斉に放たれた。今度は森の北東方向、水天狗たちが逃げた場所ではないが、だからこそ四番隊が結界を結んでいる場所ではない。
「なっ──、」
防ぎきれない。森が燃える──。
瞬きほどの間、思わず碧霧は火矢が向かった方角を目で追った。
しかしその時、
「よそ見をするな。命に関わるぞ」
父親の声が耳元で響いた。
次の瞬間、碧霧は腹に激しい衝撃を受ける。父親の掌底が、腹にめり込んだのが分かった。ぐらりと体勢を崩す碧霧の顔面に今度は岩のような拳が入り、彼は馬上から吹き飛ばされた。一瞬、碧霧の意識が飛んだ。
「興が削がれた。沈海平への攻撃は森を燃やして
「──くっ!」
すぐさま落下する体を立て直し、とっさに結んだ結界を足場にして碧霧は空中で踏みとどまる。が、顔を上げた刹那、殺意をはらんだ刃が目の中に飛び込んできた。
「西の領境へ戻れ」
短い言葉とともに振り下ろされた刀。とっさに受け止めようと翻した刃はあっけなく退けられ、重たく鈍い痛みとともに体が
肩から胸にかけて鮮血が飛び散り、目の前が朱色に染まる。
「もし、これ以上やると言うのなら──、水天狗をはじめ関わった者を全て見つけ出し処分する」
遠のく意識の中、碧霧は父親の最終通告を耳にする。父親らしい脅しであり、しかしある意味、それは妥協案でもあった。
力を失った碧霧が無情にも落ちていく。その様を父親は冷ややかな目で見届けると、それから彼は興味が失せた様子で馬首をひるがえした。
暗い暗い闇の底、碧霧はぼんやりと思案する。地面に体が叩きつけられた記憶はないが、体が鉛のように重たくぴくりとも動かない。
果たして、これは止めたと言えるのだろうか。森での難を逃れさえすれば、水天狗たちはこれ以上の追撃を食らうことはない。しかし、古くから慣れ親しんだ土地を奪われ、彼らにどこへ行けと言うのだろう。
結局、何もできなかった。
やったことと言えば、子供のようにわめき散らかしたことだけだ。自分がしたことを全て否定され、ひっくり返された。
起きなければ、と碧霧は思う。
このまま納得できる訳がない。起きてもう一度──。
「止めておけ。おまえの負けだ」
澄んだ声が響いた。聞き慣れた大好きな歌姫の声。しかしそれは、まったく別の者の響きをまとっていた。
動かない体を叱咤して、やっとのこと顔だけを声のした方へ向ける。
すると、彼の傍らに白銀の瞳の紫月が狛犬の吽助をともなって立っていた。
「……紫月、か?」
碧霧はかすれた声で尋ねた。感じる霊力が半端ない。そのせいか、明らかに主人の様子がおかしいのに吽助も大人しく従っている。
紫月が月の光のような白銀色の瞳をすいっと細めた。
「
「……」
まるで謎かけのような返事だった。しかし戸惑う碧霧をよそに、彼女は言葉を続けた。
「おまえに
いきなり覚悟を問われる。この状態でいったい何を覚悟しろというのだろう。泰然とした口調は、その問いが当然であるかのようにいっさいの疑問を差し挟ませない厳しさを持っている。
しかし、それでも碧霧は白銀の瞳にあえて問い返した。
「俺がおまえの名を聞けば、何がどうなる?」
「……覚悟に条件を持ち出すか、
冴えざえとした言葉が返ってきて、碧霧はぎくりとする。しかし、紫月であってそうでない者は「ふむ」と嘆息した後、興味深そうに笑った。
「おまえは
そして、白銀の瞳の紫月は人差し指を高々と掲げ、奈落の底のような黒い天を指差した。碧霧が怪訝な顔をすると、彼女は感情のない顔でうっすらと笑った。
「森の火を鎮めなければならぬ。おまえの体も癒さねばならぬ」
刹那、ぽつりぽつりと冷たいものが頬に当たった。ややしてそれは、ぱたぱたと本格的な雨粒となった。
(こんな闇の底で雨?)
どこから落ちてくるのだろう? 優しい雨粒が体の中に優しく染みていく。ふんわりと柔らかい真綿に包まれるような感覚を覚えながら碧霧は意識を手放した。
「碧霧っ」
「碧霧さま!」
次に目を覚ますと、碧霧は真比呂や左近たちに囲まれ森の中にいた。
朝の到来を告げる柔らかな光に、ほんの一瞬だけ目がくらむ。糸のような雨がさらさらと降っていて、朝もやがふんわりと森を包んでいた。
さっき頬に当たった雨粒はこれかと思いながら碧霧は体を起こした。
「一人で突っ込むなど無茶な真似を──! 肝を冷やしましたぞ!!」
左近の怒鳴り声に居心地の悪さを覚えつつも、現実に戻ってきたと理解する。頭を軽く振りながら、碧霧は辺りの様子を確かめた。
そこかしこに座り込んでいる水天狗たちは、憔悴しきっていて誰もが放心した様子である。大木の根元には、血色を取り戻した右近と灰白色のままの勇比呂が寝かせられていて、香古が父親に寄り添うように眠っていた。その傍らに妃那古や凛香もいる。
火矢が飛んでくる気配はもうなく、くすぶる臭いは漂ってくるものの、森の火はすっかり鎮まったようだった。
「……俺は父上に斬られ、馬上から落ちたはずだ。どうしてここにいる?」
碧霧は左近に尋ねた。父親に斬られたところまでは覚えている。しかし、その傷も綺麗になくなっていた。
左近が何も答えずに、戸惑う視線をとある方へ向ける。碧霧がその視線の先を見ると、そこに白銀の瞳を持った紫月が立っていた。
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