6 激情の伯子

「姫さんっ、来てくれ!」


 いきなり現れた魁は、紫月の姿を認めると、なりふりかまわず彼女を呼んだ。肩に黒装束の長い黒髪の女を担ぎ、後ろには焼け焦げた水紋様の衣を着た男を乗せている。自身も花柄の派手な小袖があちこち燃え落ちて、背中は火傷で真っ赤にただれていた。

 しかし彼は、自分のことなどかまう様子も見せずに必死の形相で叫んだ。


「あんた、癒やしの術を使えるんだろ?! 早くこいつらを──手の施しようがねえっ!!」

「魁!」


 紫月と碧霧は大急ぎで魁に駆け寄る。魁は馬から降りると、黒髪の二つ鬼と翼を失った水天狗を静かに草地に寝かせた。


「右近、勇比呂!!」


 紫月が悲鳴に近い声を上げた。

 蒼白になりながら紫月と碧霧は、すぐさま二人の傍らに膝をついた。兄の左近も、「右近!」と言葉を失い駆け寄った。少し離れたところでは、凛香に抱かれた香古が、「ととっ、ととっ」と泣き叫んでいる。

 魁は、紫月たちに対し、手短に説明した。


「勇比呂は、俺を庇ってまともに爆発を食らいやがった。右近は、森の入り口で火矢を一人で相手にしているところを見つけた。二人を癒せるか?」

「二人一緒はさすがに無理よ。どちらか先に──」


 と勇比呂と右近の状態を確認したところで、紫月はひゅっと息を飲んだ。

 だってこれは──。


 手が震える。目の前の現実に、呼吸が止まりそうになる。すると、同じように二人の様子を伺っていた碧霧が、震える声を絞り出した。


「駄目だ。右近はともかく、勇比呂は……」


 魁が「え?」と怪訝な声を出し、視線をわなわなと勇比呂に向ける。ぼろぼろに傷ついた水天狗は、もうすでに息絶えていた。


「んなはずは──! 馬に乗せた時には、息が……あった……」


 最後は独り言のように呟く魁に碧霧が小さくかぶりを振った。途中で状態を確認する余裕もなく、彼は必死に二人をここまで運んできてくれたのだろう。

 魁は拳を自身の膝に激しく叩きつけた。


「なにをしているの?」


 ぽつり、と愛らしい子供の声が響く。凛香の腕の中、香古が紫月にまっすぐな眼差しを向けた。


姉々ねえね、早く歌を歌って。姉々ならなおせるでしょ?」


 信じて疑わない口調で子天狗は言う。紫月は、じっと自分を見つめる香古を見返した。

 唇が震えてうまく動かない。発する声は掠れている。それでも、言わないといけない。彼女は、やっとのこと「ごめんね」と声を絞り出した。


「香古、無理なの。もう……、勇比呂は治せないの」

「どうして? ととが背中のつばさを失くした時も、香古がひざをすりむいた時も、いつだって歌ってくれた!」


 紫月はぐっと言葉に詰まる。そんな彼女をかばうように今度は碧霧が香古に話しかけた。


「香古、聞いて。違うんだ」

「違わないっ! どうしてなおせないなんて言うの? 香古たちを助けにきてくれたんじゃなかったの? ととが死んじゃう!」


 そして彼女は、「わああああ」とそのまま空を仰いで泣き出した。凛香が香古をぎゅっと抱き締める。今はもう、かける言葉もない。

 幼い鳴き声が響く中、しかし、魁が容赦なく紫月を急かした。


「姫さんっ、右近も虫の息なんだ! 早く!!」


 その声に、はっと紫月は我に戻る。あらためて右近を見る。右腕を肩から失い、左腕も焼けただれていた。腕だけではない。胸や腹部も激しく損傷して──、ここまでひどい怪我を紫月は見たことがない。


「姫さん、」

「分かってる」


 正直、勇比呂の死を置き去りに右近を癒すのは、ひどく躊躇ためらわれた。自分が命の選別をしているように思え、勇比呂を助けられなかった罪悪感が重たくのしかかった。

 くじけそうになる心を奮い立たせ、紫月は静かに目を閉じる。

 紫月の治癒の方法は独特だ。大地の気を取り込み、負傷者の気の波長に合わせ流し込む。そうすることで、負傷者自身の再生能力を上げるのだ。

 しかし、殺気だった大地は紫月の呼びかけになかなか応えてくれず、蛍の光のように弱々しい右近の気は今にも消え入りそうだった。

 少しずつ、自分の手から彼女の命が離れていくのが分かる。もうこちらの呼びかけに答える元気が右近の気にはない。


「ああそんな、駄目よ。右近、かないで──!」

「右近っ」


 碧霧もまた、何もできずに見ていることしかできない。すると魁が、岩城で拾った矢じりを懐から取り出して碧霧に渡した。


「あんたに会えたら渡そうと思って持って来た。爆発する火矢だ。うまいこと考えている。見てみろ、便利な火トカゲも矢じりにくくりつければ、あっという間に殺りく兵器だ」

「──!」


 矢じりに残った黒こげの火トカゲの頭。碧霧は、驚きながらそれを受けとった。なんだこれはと、持つ手が震えた。その時、背後に控えていた四番隊長が碧霧に言い添えた。


「一つ報告が。碧霧さまが遠征に発たれてからほどなく、月夜の里の火トカゲが一夜にして消えてなくなりました。与平が調査をしていたところです」

「……なんだと?」

「関係ないかと思い、今は報告を控えておりました。火トカゲを集めたのは、全てあの蟲使いです。なんらかの細工を施していたとしても不思議ではありません。消えた火トカゲをここで使っているのだとすれば、この火矢の攻撃も合点がいきます」

「そんな、馬鹿な……」


 碧霧は愕然とする。ややして、口から乾いた笑いが自然と漏れた。果たしてこれは、なんの冗談か。

 利用したつもりが利用された。いや、違う。重丸や左近の再三の忠告を聞かずに、四洞を使い続けたのは自分である。

 だったとしても──。

 火トカゲの活用法は日々の生活を豊かにするために考えたのだ。こんな風に誰かを傷つけるためじゃない。


「うおおおおっ!!」


 唸り声を上げ、碧霧は自身の額を激しく地面に打ちつけた。両の爪を立て、土を掴む。

 心の奥から今まで感じたことがないほどの激しい怒りが沸き起こった。


 これが北の領を統治する者のやることか。

 こんなことが許されるのか。

 そんな訳があるものか。


疾風はやてぇっ!」


 碧霧の呼びかけに、鹿毛かげ色の馬が躍り出る。碧霧はそれに飛び乗ると、次の瞬間、どんっと一直線に走り出した。


「いかんっ! 碧霧さま、お待ちください!!」


 しかし、四番隊長の呼び止める声はもう碧霧には聞こえない。疾風はやては地を蹴ってそのまま空へと駆け上がった。


「止めるぞっ、左近!!」

「はいっ!」


 四番隊長と守役が馬に飛び乗り、碧霧に続いて空へと駆け上がっていく。

 紫月は右近の治癒を一瞬忘れ、森の枝葉の奥へと消えていく碧霧の背中に向かって叫んだ。


「葵っ、やめてぇっ──!!」


 一人で次洞軍に突っ込んだりしたら死んでしまう。

 誰かお願い、彼を止めて。


 どうして──。


 もう泣かないと決めていたはずなのに、目から涙がこぼれ落ちる。

 これ以上、何も失いたくない。

 なのに、どうして手の平からポロポロと大切な物がこぼれ落ちていくの。どうして自分はこうまで非力なの。どうして。


 お願い。私に力を。

 紫月の鼓動が、どくんっと鳴った。

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