5 合流と再会

 紫月が吽助うんすけとともに古閑森こがのもりまでたどり着いたのは、夜明け前だった。南西へと流れる風を上空付近で捕まえて、一気にここまで運んでもらった。

 まだ辺りは真っ暗で眼下に見える平野も黒い海のように見える。しかし、古閑森の向こうに広がる沈海平しずみだいらの異変は見てとれた。


 遥か遠く、地表付近が煌々と赤く揺らめいて夜空を同じ色に染めている。まるで大きな炎が空を飲み込もうとしているかのようだ。


 あの方角は、まさに岩山がっさん霞郷かすみのごうの方角である。たぶん、いや間違いなく燃えている。紫月の胸の動悸が早くなった。


 式神を真比呂が受け取ったのは感じた。こちらの一報は届いているはずだ。ちゃんと逃げることができただろうか。


 その時、空の向こうから赤い光が綺麗な弧を描き古閑森の端へ流れ落ちた。

 なんだ? と紫月が思った直後、どとんっという爆発音とともに森から火の手が上がった。


(今のは何? 森を攻撃している?)


 一瞬、何が起こったのか分からない。しかし戸惑う紫月をよそに、赤い光は再び森に向かって流れ飛んでくる。そして落ちた途端にそれは次々と爆発した。

 違う。森を攻撃しているのではない。きっとあそこに水天狗たちがいる。


「行こう! 吽助っ!!」


 紫月は火の手が上がる森を指し示した。吽助が、ガウッと応えて急降下した。


 森に入り、紫月は感覚を解放させる。

 流れ込んでくるのは、不安、恐怖、悲しみ、そして怒り──。その感情の波に紫月は押し潰されてしまいそうになる。

 ややして、遠くで真比呂の声が聞こえた。大きな声で指示を出している。迷わず声のする方向へ進むと、森の少し開けた場所に水天狗たちの姿を見つけた。


「真比呂! みんな!!」

「紫月──か?」


 突然現れた紫月を見て、真比呂が信じられないと目を見開いた。傍らには不安げな顔で瞳を潤ませる妃那古がいる。そして、魁と同じ赤髪の鬼たち。きっと彼の仲間に違いない。彼らは空馬にまたがり、武器を片手に水天狗たちを守るように取り囲んでいた。


 その中の一頭が紫月と狛犬のもとへと歩み寄る。肩までの赤髪をふわふわと揺らし、小さな子天狗を抱いた紅の鬼は、少し母親の深芳を思い出させる女性だった。

 彼女の腕の中で半べその香古が、「姉々ねえね!」と声を上げた。


「私は凛香、魁の仲間だ。あんたが噂の歌姫さんだね」

「紫月よ。みんなを助けてくれてありがとう。魁や右近は? それに勇比呂も」


 怪我人も大勢いる中、見知った顔が足りず、紫月は凛香に問い返す。凛香が厳しい顔を彼女に返した。


霞郷かすみのごうから逃げようとした矢先に爆発する火矢で攻撃されてね。命からがらここまで逃げてきた。魁と勇比呂は殿しんがりだ。右近は森の入り口付近で結界を結んでくれている。頃合いを見て、こちらに合流すると思う」

「これからどうするの?」


 すると今度は真比呂が二人の間に入ってきた。


「森に祈りを捧げる。そうすれば、森の意志で俺たちを森の奥深くへきっと案内してくれる」

「……もしかして、あの迷い道?」


 初めて真比呂たちと遭遇した夜、森が招いてくれた不思議な道。確かに、あそこに逃げ込めば安全だ。


「だったら、私も呼びかけるわ。炎を怖がって、森が気持ちを閉じているもの」

「助かる。怪我人も大勢いる。後から癒して──」


 その時、

 どどどんっと、激しい爆発音が再び鳴り響き、二人の会話をかき消した。今度はばらばらと無秩序に火矢が森へと流れ飛んでくる。


「今度は乱れ打ちです! 森を焼き払うつもりだ!」


 佐一が森の上空を仰ぎ見る。

 あちこちで爆発が起こり、火の手が上がる。その場にじっとしておられず、恐怖でわっと逃げ出す者も出てきた。


「みんな、ばらばらになっては駄目です!」

古閑森こがのもりは絶対に俺たちを見捨てない。信じろ!」


 刹那、誰かが「あっ」と悲鳴に近い声を上げた。その声につられて皆が顔を上げると、森を覆う木々の間から火矢が複数本まっすぐに飛んできた。


「伏せろおっー!!」


 誰もが死を覚悟して地に伏せた。

 ぎゅっと身を固くする。もう、駄目だ──。


 その時、

 

 目に見えない壁が水天狗たちを覆う。火矢は着弾するぎりぎりのところで、その壁に阻まれ空中で爆発する。

 一瞬、何が起こったのか誰にも分からない。

 紫月がそろりと顔を上げて周囲を見回すと、黒い武装束に身を包み、愛馬疾風はやてに乗った碧霧が左近とともに木々の間から姿を現した。

 紫月は目を瞬かせつつも、くしゃりと安堵の表情を浮かべた。


「葵──!」

「……なんでいるの」

「こっちのセリフよっ」


 紫月が碧霧に駆け寄る。彼は、驚きを隠せない様子で馬から降りて彼女を抱き止めた。


「紫月、一人で来たのか?」

「そうよ。沈海平しずみだいらに派兵すると聞いて、逃げるだけなら一緒にできると思って」

「そんな無茶を──。沈海平のことは誰から聞いた?」

「それは……。与平、さん」


 ほんの一瞬言葉に詰まり、紫月はとっさに嘘をついた。旺知本人の口から聞いたとなれば、どうしてそんな状況になったのかと問われてしまう。

 あの夜の記憶が生々しく甦りかけ、彼女は必死でそれを頭の中から振り払う。何もなかったとはいえ、碧霧には知られたくなかった。

 碧霧が、「与平?」と少し怪訝な顔をした。しかし、それ以上は何も言わず、彼はすぐさま真比呂をはじめとした水天狗たちに目を向けた。


「すまない。来るのが遅くなった」

「助かった。もう少しで全員やられるところだった」


 碧霧は小さくかぶりを振り返す。真比呂は「助かった」と言ってくれたものの、この状況はお世辞にも「間に合った」とは言いがたい。碧霧は疲弊しきった水天狗たちの様子を気遣いながら「被害は?」と真比呂に尋ねた。真比呂が悔しそうに唇を噛み締めた。


「爆発する火矢で攻撃されて……、何人も死んだ。霞郷はどうなったか分からない」

「そうか、」


 碧霧がぐっと拳を握りしめ、怒りをはらんだ眼差しをさ迷わせる。傍らにいた左近が、いさめ口調で遠慮がちに言った。


「碧霧さま、どうか穏便に。下手な抵抗はさらなる火種となります」

「……分かっている」


 大きく息を吐いて自身の感情を圧し殺す。ここに来たのは真比呂たちを助けるためで、決して父親と喧嘩するためではないと何度も自分に言い聞かせる。折しも、上空の木々の隙間から黒い武装束姿の一つ鬼が新たに舞い降りた。その一つ鬼──途中で合流した四番隊長かくれが、碧霧の元にひざまずいた。


「上空に広範囲の結界、結び終えました。森全域は無理ですが、この辺りはもう大丈夫です」


 四番隊長の報告に、誰もがほうっと息をつく。しかし、すでに上がった森の火の手をなんとかしないといけない。

 とその時、


「誰かっ!」


 荒々しい蹄の音が鳴り響いた。

 黒い空馬に乗った大柄のくれないの鬼が、全身すすけた姿で現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る