4 最後の結界
一方、岩城の屋上は火と煙に囲まれていた。郷の端に降り注いでいた火矢はあっという間に岩城に届き始め、矢が城内にまで入り込み爆発した。
屋上でもいくつか矢を受けてしまい、飛び立つ前の何人かが吹き飛ばされてしまった。初めて見る爆発する火矢に、勇比呂はもとより魁も驚くばかりだ。
勇比呂は倒れて動かなくなった水天狗たちの傍らにひざまずき必死に声をかける。しかし、翼を失い体を激しく損傷した仲間にすでに息はなく、言葉が返ってくるわけもない。
「ちくしょう! 起きろっ、みんなが待ってる!!」
見かねて魁が勇比呂に駆け寄り、その腕を掴んで引っ張り上げた。
「もう死んでる。俺たちも行くぞ、ここに長居は無用だ」
しかし勇比呂は応じない。彼は魁の手を振り払い、仲間の遺体を抱き上げた。
「みんなを連れていく」
「駄目だ。死んだ者は──荷物になる。置いていくしかない」
「……」
「勇比呂、まだ逃げ切れた訳じゃねえ。俺たちも早く真比呂たちと合流しないと、あいつらが逃げた先が安全かも分からねえ!」
気持ちは分かるが、今は一刻を争う時だ。こうして言い争っている間にも火矢がまた飛んでくる。魁は勇比呂に厳しい口調で言い聞かせた。
しかしふと、燃え残っている敵の矢が魁の目に入る。
矢じりに何かが残っていた。おそらく敵が矢じりにつけて飛ばした物だ。
(爆発する火矢の秘密かもしれない)
魁は燃え残った矢を拾い、その何かを確認する。
それは黒こげになった生き物の頭部だった。
「これは、火トカゲ──!」
魁は息を飲んだ。同時に、爆発の正体はこれかと魁は納得した。地面に叩きつけられた衝撃で、火トカゲがその身を炎とともに破裂させているのだ。
赤鉄を食べた火トカゲは発火する。その性質を利用して、伯子は燃料として多くの者に売り込んだ。
一方、父親の鬼伯はどうだ。生活を豊かにするために息子が考えた火トカゲと赤鉄の利用法を、相手を殺すために使うなんて。
「なんてことをしやがる……」
これはわざとだ。おまえが考えたのはこういうことだと、息子に突きつけている。手段を選ばないやり方に魁は恐れを抱いた。
再び火矢が飛んできた。あちこちに火矢が突き刺さり、大きく
「いけねえっ、逃げていることがばれた!!」
「!」
思わず魁と勇比呂は、火矢が飛んでいく夜空の先を振り仰ぐ。自分たちこそ炎の真っ只中にいるということを忘れて。
刹那、二人のすぐ後ろで火矢が爆発した。
とっさに右近が結んだ結界は、襲いかかる火矢の一部を辛うじて受け止めることができた。しかし、防ぎ損ねた火矢は水天狗たちの列に直撃し、炎に包まれながら何人かが落ちていく。
「あ──」
右近は香古の顔を胸に押しつけ、落下していくそれを何もできずに見送った。走ることを止める訳にはいかない。仲間を見捨ててでも進むしかない。右近は悔しさでぐっと奥歯を噛み締めた。
さっきの斥候の鬼が、付かず離れずの場所で青白い鬼火を灯し、常にこちらの場所を味方に知らせていた。しかし、それに気づいた凛香が、一人鬼火へと向い斥候を始末してくれた。
戻ってきた凛香に右近は声をかけた。
「凛香さん、ありがとう」
「どうってことないさ。それでも油断はできないよ」
「はい。香古を頼めますか? 結界を上手く結べない」
「まさか、あの火矢を一人で防ぐ気かい?」
「誰か結界を結べる者は?」
凛香が悔しそうに首を振った。おそらく水天狗たちの中にもいない。
結界術は六洞衆なら誰でも使える術ではあるが、もともと阿の国の技術ではない。あやかしに対抗するために人間によって産み出された人の国の技術だ。
六洞衆がこうした術に長けているのは、父親の重丸が人の国の猿師と旧知の仲であるからだ。
「香古、しばらく凛香さんのところに」
右近は馬体を凛香に寄せて、香古を彼女に渡した。凛香が「ああ、いい子だ」と笑顔を見せる。香古は口をへの字に曲げながら必死に凛香にしがみついた。
と、先頭の真比呂と佐一が降下し始める。森の入り口がもうすぐそこに見えた。大きな犠牲を払いながらも、なんとか
「さあ急げっ。みんな、森の中へ!」
真比呂に続き、地上に到着した者から森の中へと入っていく。後は秘密の場所へと逃げ込むだけだ。
折しも、遠くの空から火矢が再び飛んできた。右近は身をねじって歯をくいしばると、両手を火矢に向かって突き出した。
さっきより大きな結界が現れる。右近は、襲い来る矢を真正面から受け止めた。しかし、火矢の爆発に耐えかねて結界はすぐに砕け散った。
「右近!」
「私にかまわず、森の中へ! 私は最後尾に付きます!」
右近は凛香に笑い返した。その後も右近の呼びかけに応じて、次々と水天狗たちが彼女の脇を通り過ぎ森へと入っていく。
右近は最後の一人を見送ってから、自身も森の入り口付近まで後退した。しかしそこで馬の足を止めた。まだ、魁と勇比呂が来ていない。
遠くの空で、再びかがり火がぽつりぽつりと灯り始める。
自分たちが森に逃げ込んだことは知れたと考えていいだろう。でも、正確な場所まで分からない。となると、森全体を燃やそうとするはずだ。
彼女は大きく息を吐いて呼吸を整えた。そして馬から降りると、夜空に広がる炎の帯を鋭く見つめた。
「これ以上は、させない」
右近は片手を空に向かって高く掲げる。その手に、青白い鬼火が燃え上がる。これは、標的の場所を知らせる合図だ。火矢の狙いが、こちらに向いたのが分かった。
「……さあ、来い」
次の瞬間、火矢は迷うことなく右近目がけて飛んできた。
両足を踏ん張り、彼女は両手を突き出して結界を結ぶ。そこへ雨のように無数の火矢が降ってくる。
結界に衝突した火矢が大きく
流れ矢が森へ入り爆発した。しかし怯んでいる暇はない。右近はできる限り大きく丈夫な結界を結び直した。
そして、火矢が彼女を再び襲う。圧されてじりじりと後退する。森に流れていく矢が少しずつ多くなる。
でも、まだだ。まだいける。結界が砕ける度に右近は何度でも結界を結び直す。
そしてまた──。今度は爆発の衝撃で体が吹き飛ばされた。
左腕がやられ、だらりと下がる。呼吸をする度に胸が軋むように痛い。しかし、彼女は立ち上がった。諦めてたまるものか、右手はまだ動く。
ふと、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。ぶっきらぼうな、それでいて春の風のように優しい声。
まだ何ひとつ伝えていないな、と右近は思う。言いたいことはいろいろある。けれど、これだけは彼に伝えたかった。
私も一緒に行きたい、と。
まだ見ぬ世界に右近は思いを馳せる。魁とならどこへでも行ける気がした。
しかし、それはもう無理だ。なぜなら、力がほとんど残っていない。ここがきっと自分の最終地となる。
それもまあいいか、と彼女は笑った。
これで水天狗たちは助かる。伯子の思いを守ることができる。後悔はない。魁だって、きっと「
わずかな気力を振り絞り、右近は最後の結界を結ぶ。
火矢の群れが容赦なく彼女に降り注ぎ大きく
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