2 急を告げる

 魁と一緒に阿の国を巡る──。


 考えたこともなかった魁の提案に右近はさらに言葉を失う。このまま別れてしまうことは嫌だったが、彼について行くことなど思いもしていなかったことだ。

 だってそうではないか。自分は伯子の守役で、碧霧の側に侍るのが自分の仕事で。

 魁のように自由気ままに旅ができる立場にない。


 すると、顔を強ばらせ黙り込む右近の様子を見て、魁が気まずそうに頭を掻いた。


「悪い。いきなり迷惑だったな。今のは忘れてくれ」

「……そうじゃない。ただ、」


 少し驚いただけ。そして戸惑っているだけ。あと自信も──、ないかもしれない。


「兄や両親、碧霧さまにも相談しないと。私の一存では決められない」

「俺は、おまえがどうしたいか聞きたい」


 本音を隠すためのありきたりな言葉はあっさり却下された。魁の黒い瞳が右近を射抜く。

 とくん、と右近の胸が鳴った。こんな時、ちゃんと素直に自分の気持ちを言えたらいいのに。


「私は──」


 その時、何かが空から急降下して旋回し右近の頭を掠めた。

 思わず「わっ」と言葉を飲んで見上げると、一羽のハヤブサが右近の肩に舞い降りた。


「おい、それ……」

「……親父からの式神だ」


 こんな時間に届くなんて通常ではない。右近がハヤブサに手をかざすと、ハヤブサは一枚の手紙に変化して姿を消した。

 右近は手紙を開いて中を確かめる。そこには短く伝言がしたためられていた。


『其の十一。次洞じとう家の兵団五百騎、南西へ向かう。鬼伯同行の可能性あり。攻撃に備えよ』


「これは……」

「おい、どういうことだ? 右近」


 蒼白になる右近に魁が詰め寄る。彼女は手紙をくしゃりと握り潰し、魁を見返した。


岩山がっさん霞郷かすみのごうが──、真比呂たちが危ない!」

「ちゃんと説明しろ! 五百騎がなんだって?」

「今、読んで聞かせた通りだ。次洞家の鬼兵団五百騎が、こちらに向かったらしい。しかも、これは十一番目の式だ」

「十一番目? じゃあその前のものは?」

「私に届いていない。どこかで消されている可能性が高い。つまり、相手は本当にそのつもりだってことだ!」


 六洞りくどう衆の式神には、何種類かあり、独自の決まりがある。

 今回の式神は最短で届くが敵方にも知られやすいという短所もあるものだ。そのため、途中で敵方に式神が消されてもいいように、同じ情報に番号を付けて時間差で幾重にも飛ばす。受けとる側は、届いた式神が何番目のものであるかで、自分たちの置かれた状況も少なからず分かる。


「すぐに霞郷に戻る。次洞家の鬼兵団はもう到着しているかもしれない。一刻も早くみんなを逃がさないと!」

「俺も行く。仲間を呼んでくる」

「でも、巻き込むことに──」

「んなこと言っている場合か! とにかく右近は先に行け!」


 右近がこくりと頷く。そして彼女は身をひるがえし里の外へ向かって走り去っていった。彼女の後ろ姿を見送りながら、魁もまた顔を緊張で強ばらせる。


「親父が暴君ってのは本当だな。なあ、伯子!」


 そう吐き捨てて、魁は元来た道を走り始めた。




 右近はすぐに大急ぎで岩山霞郷へと戻った。空馬を屋上に放りつけ、そのまま岩城に入る。今はもう真夜中だ、夜明け前までに、なんとか郷の水天狗たちを避難させたい。そもそも身を隠せる場所があるかどうかも分からないのだが。

 四階に右近や佐一が寝泊まりしている部屋がある。急いで降りると、佐一の部屋から明かりが漏れていた。


「佐一、起きているか? 入るぞ」


 衝立ついたて前で軽く断りを入れながら右近は佐一の部屋に入った。奥の机で書類を見ていた一つ鬼が驚いた顔を上げた。


「右近さん、おかえりなさい。どうしました? そんなに慌てて」

「大変だ、佐一。鬼伯が攻めてくる!」

「……え?」


 佐一は何を言われたのか分からないような顔をした。しかしすぐ、彼は険しい表情で右近を見返した。


「何を突然そんなことを──」

「親父から鬼兵団五百騎がこちらに向かったと連絡が。もうすでに鎮守府に入っているかもしれない。一刻の猶予もない」


 右近の言葉を聞き終わった佐一が、信じられないと視線をさ迷わせる。しかしすぐに彼は、鋭い眼差しを彼女に返した。


「分かりました。真比呂と勇比呂を起こします。右近さんは妃那古を起こしてくれますか。食堂に集まりましょう」

「分かった」


 佐一と右近は、それぞれ水天狗たちを起こしに行く。すぐに三人の水天狗と二人の鬼は食堂に集まった。

 右近は手短に式神で受けた内容を説明した。すでに式神のやり取りが妨害されていることから、相手はこちらの動きを察知していることも彼らに伝えた。


「鬼伯は反乱者に容赦がない。下手をすれば皆殺しに合う」

霞郷ここを捨てて逃げろというのか? ここは俺たちの誇りだ」


 勇比呂が難色を示す。しかし右近は反論をいっさい受け付けない厳しい顔を返した。


「そうだ、逃げるんだ。死んでしまったら、誇りもくそもない。刃を交えたら最後だ。香古だって殺される。そういうやり方をされる御方なんだ!」


 食堂のテーブルに座る誰もがごくりと生唾を飲んだ。香古を道連れにするという選択は、さすがに彼らにもなかった。すぐさま真比呂が立ち上がった。


「郷のみんなを避難させよう」

「どこに身を隠す?」


 右近が尋ねると、真比呂が「古閑森こがのもりだ」と答えた。


「沈海平は、どこを向いてもだだっ広い平野だ。森に身を隠す以外にない」

「森か……」


 それは右近も考えないわけではなかった。しかし、考えたからこそ危険だとも思った。先手を打たれている可能性もある。

 そんな右近の懸念を察したのか、真比呂がすぐに言葉をつけ加えた。


「やみくもに森の中に逃げる訳じゃない。俺たちしか知らない場所に身を潜める」

「分かった。あれこれ迷っている暇はないからな」


 折しも城の外で複数の馬のいななきが聞こえた。一瞬緊張が走ったが、魁たちが岩城の屋上に到着したものだった。右近たちは急いで屋上に出向いて魁たちを迎え入れる。この緊急事態に協力してくる者がいることは、とても心強かった。


 魁たちは、相変わらず派手な柄や色合いの上着を羽織っていたが、それぞれが刀剣や槍などの武器を手にしていた。その姿は旅商団というより武闘団のようだ。あの凛香までもが両腰に短めの刀を差していた。


「時間がねえぞ。俺が敵なら夜明け前に動く」

 

 開口一番、魁が言った。片手には大振りの槍を持っている。真比呂が手短に森へ避難する計画を彼に説明した。

 魁がひげをなでながら思案げに視線を巡らせた。


「森に逃げるしかねえってのは分かった。が、待ち伏せされているかもしれねえ。俺たちが周囲を固めよう」

「助かる。今から全員を叩き起こして、ここに集める。オババや香古は飛ぶのが遅い。馬に乗せてくれるか?」

「問題ない」


 真比呂が魁の返事を受けて「よし」と頷く。そして緊張した面持ちで皆の顔を見た。


「始めよう」


 彼の一言を合図に、右近たちは方々に飛び去った。

 夏の涼しい夜風が静かに吹く中、水天狗たちの避難が始まった。

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