8 向かうは沈海平

「被害の状況は?」

「重傷者が二人でましたが後は軽傷です。それと、物見台が損傷したので修理をしないといけません」


 九番隊長の報告を受け、碧霧は思案げに視線を巡らせる。

 彼が浦ノ川柵に来て、はや数日が経っていた。ここでは、いつ紅一族が攻めてくるか分からないため、六洞衆の部隊が一年を通して領境の警護にあたっている。

 西部はもともと土地が痩せていて荒れ地が多いと聞く。そんな中、染井川の支流である浦ノ川の流域だけは緑も豊富で木の実なども採れる貴重な場所である。

 そのためか、西のくれない一族は、浦ノ川の両岸全ての領域の所有を主張しており、川を境界線として両岸を北と西に分ける月夜一族の主張とは真っ向から対立している。そして、この争いが何百年も続いているのである。


「木材などの資材は調達できるのか?」

「近くに山笠童子や犬伏たちの村があり、そこでなんとか。ただ、相場より高めです。時期にもよりますが、安くて三倍、高い時期だと五倍以上です」

「月夜で調達して持ってきた方が安いな」

「はい。しかし、時間がかかりますので結局は近くの村に頼むしかありません」


 明らかに足元を見られて値段をふっかけられている。

 戦は、者と物のぶつかり合いだ。このどちらかが枯渇した方が負ける。物資にかかる経費はできるだけ抑えたいところである。


「もう少し調達範囲を広げて他の村にあたるのは? 少しでも安いところが出てくれば自然と値が下がる」


 すると、そのやり取りを聞いていた五番隊長が「おそれながら、」と口を挟んだ。


「碧霧さま、ここに住む者たちにも生活があります。極端な買い叩きは反感を買います」

「まあそれは、分かるけど……」


 領境周辺の村が裕福でないことは百も承知だ。とは言え、法外な値段を見過ごすことはできない。もっとちゃんと稼げる構造が必要なのだ。

 碧霧は再び九番隊長に目を向けた。


「では、物見台の修理を頼むというのはどうだろう?」

「山笠童子や犬伏たちにですか? あの者たちにそんな技術があるかどうか──」

「分からないなら最初は教えてやればいい。出来るようになれば、見合った給金を払う」


 それぞれの隊長が「なるほど」と頷く。手に職を与えて働かせようという碧霧の考えが伝わったようだった。


「では伯子、至急そのように手配します。時間がかかるようならどうします?」

「今回限りは相手の言い値で。しかし、次に備えてある程度の木材を先に調達しておこう。これについは譲歩するな。その代わり、物見台の修理を頼みたいと掛け合ってくれ」

「分かりました」


 九番隊長が満足した表情を碧霧に返す。他の隊長たちも納得顔を交わし合っている。碧霧はそんな隊長たちを見ながらひと息つく。

 ここに来て数日、何もかもが手探り状態だ。協力的な六洞衆の隊長たちとだから話し合いもすんなり進み、とても助かっている。これが鎮守府の小梶平八郎のような輩だったら相当な苦労を強いられていただろうと碧霧は思った。


 やりたいことは他にもある。負傷者を収容する救護舎の環境改善や周辺地域の開拓、西の紅一族との話し合いも然りだ。

 ふと、碧霧は月夜の里に置いてきた愛しい姫のことを思い出す。

 彼女なら負傷者を治癒することも造作ないだろうし、土地の開拓にも力になってくれそうだ。沈海平でそうであったように、ここでも二人で何かができるような気がした。


(いろいろ見通しが着いたら紫月を呼び寄せることはできるだろうか)


 するとその時、


「碧霧さま!」


 騒がしい足音とともに慌てた様子の左近が広間に現れた。いつになく緊張した彼の面持ちに、その場にいた者はみな眉をひそめる。

 左近はさっと低頭して広間に入ってくると、開口一番に言った。


「月夜の親父から急ぎの式が届きました。次洞じとう家の私設と思われる鬼兵団に不審な動きがあるそうです」

「どういうことだ?」

「詳細はまだ。しかし昨夜、数にして五百騎ほどが南西に向かって飛び立ったとのこと」

「五百──?!」


 広間がざわめく。鬼兵五百騎とは、戦を仕掛ける数である。碧霧と一緒に報告を聞いている隊長たちも、戸惑いぎみに顔を見合わせた。

 左近は驚きをあらわにする碧霧や隊長たちの様子を気にしながら、ためらいがちに言葉を続けた。


沈海平しずみだいらに向かったのではないかと思われます。それと、その鬼兵団に次洞じとう佐之助と──、おそらく鬼伯も同行していると」

「父上も?」


 ざわり、と碧霧の背中に冷たいものが走る。

 直感的にこれは悪い知らせだと頭の中で警鐘が鳴る。

 間違いない。父親は、霞郷かすみのごうを叩く気だ。


「碧霧さま、」

「……ふざけるなよ」


 唸るように吐き捨て、碧霧はテーブルに拳を激しく打ちつけた。

 そうか、と碧霧は自分への処遇に納得がいく。西の領境への出征命令は、唐突で違和感を覚えた。どうしてわざわざ自分なのだと。

 全てはこのためだ──。

 折しも、一人の隊士が「報告します」と広間に入ってきた。


「紅の攻撃です。昨夜と同じ第三物見台、敵の数はおよそ百、このままだと物見台が落とされます!」

「ええいっ、こんな時に! ひとまず五番隊わしらが迎え撃つ。碧霧さま、いいですね?」


 しかし碧霧はすぐに反応しない。呆然とした面持ちで視線をあちこちにさ迷わせている。五番隊長が、「伯子!」と声を荒げた。


 その声に圧され、碧霧はこくりと頷いた。五番隊長は、「後は頼んだ」と他の隊長に言い残し、身をひるがえして広間を出ていく。


(くそっ!)


 碧霧は混乱していた。

 本当なら今すぐにでも沈海平へ向かいたい。反逆を起こした者に対し、父親は決して容赦しない。下手をすれば真比呂たちは皆殺しだ。

 しかし、この浦ノ川柵も予断を許さない状況である。

 彼はどうにもならない状況にぎりっと奥歯を噛み締めた。

 すると、その場に残っていた一番隊長が碧霧の様子を横目で気にしつつ左近に言った。


「左近、うちの大将に増援を頼んでくれ。もう一部隊よこせと」

「親父に?」

「そうだ」


 言って彼は、含みのある笑いを碧霧に向けた。


「ここは我らに任せ、碧霧さまは気分転換に左近と一緒に沈海平にでも遊びに行かれたらどうです? 今から馬を飛ばせば、明け方頃には沈海平には着きましょう」

「……」


 その言葉の意味するところは──。

 碧霧が戸惑いながら、他の隊長たちに顔を向けると、皆が同じように笑った。彼らの心遣いが痛いほど伝わってくる。

 申し訳なく、そしてありがたく、心強い。

 そうだ、こんなところで取り乱している場合じゃない。

 碧霧は大きく息を吐き出して、それからきゅっと口元を引き結んだ。


「俺はこれから沈海平に向かう。第三物見台への攻撃はおとりかもしれない。周辺に不審な動きはないか常に警戒してくれ。浦ノ川を──頼む」

「承知、」


 六洞衆の隊長たちが好戦的な表情で応えた。

 碧霧はそれを確認し、左近とともに広間を後にする。

 向かうは、沈海平である。

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