7 相容れない者

 沈海平しずみだいら西の鎮守府、夕刻──。


 本殿に用意された一室で次洞じとう佐之助さのすけは、月夜の里からの式神を受け取っていた。小柄で愛想の良い顔は、「穏和で有能な鬼伯の重臣」を想起させるが、それは本心を隠すただの仮面に過ぎない。


 彼が月夜の里を鬼兵団とともに出発したのが昨日の夜。今日の夕方に鎮守府入りを果たし、今は兵を休ませている。

 六洞衆と同じ行程を、同じく一日かけて来た。しかし同じ一日でも、六洞衆は水天狗の襲撃を受け古閑森こがのもりを一晩中さ迷い歩いた上での一日だ。まだまだ六洞衆には及ばないことを佐之助は歯噛みする。


 主の旺知あきともは、本殿の離れの館で寝泊まりだ。府官長の小梶平八郎に言って、夕餉ゆうげには酒と複数の女を用意させた。しかし主は、酒だけ飲んで、女は全て下がらせてしまった。

 いわく、「もっと洗練された美しい女はおらんのか」と来たもんだ。

 こんな田舎に深芳のような女がいるわけないだろうと佐之助はため息をつく。


 落山の姫を手に入れる計画は途中まで順調だった。しかし、異変に気づいた深芳が帰ってきてしまい、結果、母親は娘を逃がし自ら旺知の相手をしたらしい。本来の目的は果たせなかったが、あの孤高の花である落山の方をものにしたことで、佐之助は叱責を免れた。


(とは言え、伯子の勢いを削ぐにはいささか傷が浅すぎたな)


 あの歌姫をどうにもできなかったのは残念だったと佐之助は思う。彼女は間違いなく伯子の立場を強固なものにする。次洞家の先を考えたときに、紫月は奪うか潰すかしておかなければならない存在だった。相手の虚をついた今回が失敗に終わった以上、次はかなり難しい。いっそ、殺す方が簡単だ。


 月夜の変以来、旺知の圧倒的な力を信じ、自らの地位を不動のものとするため彼の重臣として仕えてきた。そしてそれはこれからも変わらない。

 しかし、この状態が永遠に続くとは思っていない。旺知もいつかは老いて力を失う。そしてそれは自分も同じ。

 次の世代に繋ぐこと──。ここ最近、佐之助が考えるようになったことだ。

 月夜の里の次洞家には、ようやく授かった幼い息子がいる。彼が大きくなった時に安定した地位を用意してやらねばならない。しかし今、旺知と碧霧の険悪な親子関係は、そのまま自分と碧霧の関係となっている。彼が次の伯座に就くとなれば、どこの家が取り立てられ、どこの家が排斥されるかなど子供でも分かるようなことだ。


 そうなる前に手を打たねばならない。

 旺知には側妻そばめとの間に息子が二人いる。また、かつて側妻だった女にも認知されていない息子がいる。いずれも碧霧のような才も信望もなく、奥の方の邪魔もあり、まつりごとには関わってはいないが、このどれかを碧霧の対抗馬として引きずり出さねばならないと佐之助は思っていた。


 確かに旺知は碧霧を伯子にしたが、あの反抗的な息子を跡継ぎと認めているわけではない。ただただ、碧霧を慕う六洞家を大人しくさせるための処方であり、政治的な要素を多分に含んでいる。

 そういう意味では、伯子という肩書きは我が主にとって無意味なものだと言っていい。


 月夜の里からの式神は家頭からのものだった。手紙には、佐之助が留守の間に屋敷で起こったことや御座所おわすところの様子などが細かく綴られていた。

 彼は一通り目を通した後、「ふむ、」と息をついた。部屋の隅には府官長の平八郎が控えている。


(佐和を始末できたのは好都合だ。早かれ遅かれ騒ぎ始めるのは目に見えていたからな。しかし、その場に居合わせた加野を取り逃がしたか──)


 あの娘は平八郎の養女だということで世話をすることになったが、奥の方の息がかかっていた。何かを嗅ぎ回る様子は見せなかったが、余計なことを探られぬよう身の回りには極力近づけず、それなりに注意していた。

 取り逃がしたとなると、生き延びて千紫にことの次第を告げるかもしれない。


(とは言え、この件に伯が関わっている以上、儂を断ずることはできまい)


 千紫にできることがあるとすれば、せいぜい利久に元妻の悲報を伝えることくらいだ。家頭の報告によれば、佐和の遺体はその場で燃やし、すでにないものにしたとのことだった。

 証拠はもうない。あとはこのまま行方不明でいてもらえばいい。


「平八郎」

「は、」

「清音という名の侍女を──、すでに奥の方からなにがしかの処分を受けたかもしれないが、早急に始末しろ伝えてくれ。あと、蟲使いを呼べ」

「四洞さまですか?」

「奴には、引き続き不審な式神を始末してもらう」


 報告には奥の方が六洞重丸を呼び寄せて、慌ただしい動きを見せているとのことだった。こちらの動きはもう露見していると考えていいだろう。あの女は相変わらず頭が働くと、佐之助はうんざりする。

 こちらに来る途中、月夜から飛んできた不審な式神は、蟲使いの四洞に全て始末させたつもりだ。しかし、まだ油断はできない。


 夜が明ける前に、岩山がっさん霞郷かすみのごうに進軍する。

 今回の戦法は、旺知自らの発案だ。いつどのように誰を叩くか、我が主はそれを良く分かっている。息子を西の領境に追いやり、彼の最も大切な存在に傷をつけ、そして築いた友好関係さえも潰そうとする。今ここで叩くべきだと、本能的に感じ取っているのだろう。


「……才も信望もなければ、排除されることはなかったものを」


 ぽつり、と佐之助は呟く。

 もしかしたら碧霧は賢君の器たりえるかもしれない。しかし、彼が時代に受け入れられるかどうかは別の話である。才ある者が時代の波に飲まれ、消えていく悲劇は昔も今もよくある話だ。


 時代が選ぶのは、父親か息子か、はたまた全く別の者か。いずれにせよ、主が主である限り、佐之助は旺知の重臣であり続ける。

 そしてこの先、次洞家が望むのは新たな宿り木であり、そうある以上、佐之助が碧霧と相容れることはないのだ。




 西の領境にある浦ノ川柵は、北の領で最も堅固な砦として知られている。

 領境を流れる浦ノ川沿いに鉄製の防護柵を二里に渡って巡らせ、さらには両方の境の端まで三里おきに物見台が設置されていた。そして、鬼兵団の本隊が寝泊まりする寄宿舎は、要塞のような威容を放っていた。


 時間は少し遡る。


 寄宿舎の軍議用の広間で、碧霧は上流にある物見台で受けた襲撃について報告を受けていた。

 部屋の中央に設えられた大きなテーブルには、西の領境全域が描かれた地図が広げられている。九番隊長が指で上流付近の場所を指し示す。


「この辺りは渓谷となっており、周辺に道などもなく急勾配なところです。以前から紅はここに砦を築こうとしています」

「砦を造られるとやっかいな場所だな」

「はい。なので、これまでも見つけては月夜が壊すを繰り返しております。今回の襲撃はそのことに対する報復かと」


 碧霧がふむ、と拳で口元を押さえた。

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