4 どこか遠くへ

 一様に表情を厳しくさせる隊長たちに千紫は言葉を続けた。


「昨夜、次洞じとう家から鬼兵五百騎ほどが南西に向かって飛び立った。鬼兵団は南下を続けており、おそらく鬼伯も同行している。目的は沈海平しずみだいら岩山がっさん霞郷かすみのごう、水天狗たちの制圧」

「制圧……。皆殺しの間違いでは?」


 ぼそり、と与平の口から皮肉な言葉がついて出た。

 水天狗たちの実力は分かっている。多少腕に覚えがあったとしても、戦うために集められた鬼兵とは根本が違う。彼らは不平不満を訴えたかっただけで、戦をしたかった訳ではない。

 二番隊長も大きく頷きながら意見を口にした。


「沈海平は碧霧さまのためにも守らねばならん。しかし、援軍に向かわなければ、与平の言うとおり水天狗たちは全滅だ」

「……援軍とは、味方に送る軍のことじゃ」


 千紫が感情を押さえた声で、しかしはっきりと言った。そして、その場にいる隊長たちをぐるりと見回した。


「鬼伯が同行している以上、次洞家の私兵と言えど、月夜の軍であることには変わりない。六洞りくどうが水天狗に兵を送るは、援軍ではなく反逆行為じゃ」


 奥の方のもっともな言い分に誰もが唸る。正論と感情が解離する。

 そんな部下たちの気持ちを感じ取り、重丸が千紫に言った。


「三百年前、儂ら六洞は混乱を避けるため今の伯家に下った形をとった。が、儂らが本当に下ったのは、奥の方、あなたにだ。それは今も変わらない」


 皆がしんっと静まり返った。三百年前の月夜の変、当時の伯家の守り刀であった六洞家が旺知側についたことで政変は決着した。彼らを戦わずしてこちらに寝返らせたのは、千紫に他ならない。

 重丸の言葉は、六洞家が決して旺知に屈しているわけではないことを意味していた。

 千紫が笑いを交えつつ嘆息する。


「しかし、六洞衆を動かすことはできぬ。おまえたちの立場が悪くなる」

「とは言え、沈海平への派兵の知らせを聞いて、碧霧さまが黙って聞き入れるとは思えません」

「……分かっている。が、伯子に公然と肩入れはさせられぬ。これは碧霧の問題じゃ。碧霧自身に尻拭いをさせねばならぬ」

「では、せめて諜報が主な四番隊だけでも」

 

 重丸が進言した。


「あと、西の領境にさらに援軍を送りましょう。そうすれば、碧霧さまが少しでも動きやすくなります」


 千紫が思案げな顔で頷いた。諜報が主な四番隊は表に出てくることはない。西の領境への増援については、苦戦したと言えば言い訳が立つ。仮に碧霧が沈海平へ向かったとしても、六洞衆とは関係がない。

 女主人が了承の意を示したことを受け、重丸が各隊長に命令を下す。


「四番隊は一部を残して全て沈海平へ向かえ。西の領境へは──」

「二か六番隊で。与平は、ここでしてもらわねばならぬことがある」


 重丸の指示の途中、千紫が口を挟む。すると、短髪の一つ鬼がすかさず前に進み出た。


「では大将、領境へは二番隊が行く。最近、どうも体がなまって困っていたところよ」

「玄二、頼めるか」

おうよ」

「決まりだな。西の領境へは二番隊、そして六番隊は里内外の警固にあたれ」

「はっ、」


 こうして、朝の緊急召集は散会となった。

 それぞれが立ち上がり部屋を出ていく。そんな中、与平は千紫に呼び止められた。


「与平、里中の火トカゲが消えたと大騒ぎになったとか」

「……ああ、申し訳ありません。報告が遅れました」


 いろいろありすぎて忘れかけていた。沈海平への派兵を傍観する気にはなれなかったが、同じくらい家に置いてきた深芳のことも頭から離れない。

 しかし与平は、自身の心の揺れを全く顔に出すことなく千紫に淡々と答えた。


「それが、原因が全く分からず。客に対しては、火トカゲの代金を補償することでひとまず話をつけました。四洞さまに問いただしたい所なのですが、なかなか掴まらないお方ですし」

「蟲使いなら、伯に同行しているやもしれぬ。洞家とは名ばかりの、あれこそ伯の私兵だからの」

「確かにそうですね。どちらにせよ、沈海平の情勢で今後の対応も変わってきます。それを見極めてからになるかと」

「分かった。それと──」

「?」

「元気か?」


 ふいに投げられた全く別の質問。千紫が含みのある目で見つめてくる。


(全てお見通しか)


 与平は、ほんのわずか視線を巡らせたあと、ため息混じりに答えた。


「……元気ですよ。ただ、」

「ただ?」

「どこか遠くへ行きたいと」


 彼は、今朝ほど深芳に呟かれた言葉をそのまま千紫に告げる。彼女は「そうか」と複雑な顔をした。




 その頃、次洞家の加野は屋敷周辺の掃除をいつもより丹念に行っていた。

 奥院から急な式神が届いたのは真夜中のこと、「佐之助の様子を報告して欲しい」と言われ、彼女はすぐに次洞家当主が不在であることを返した。

 昨日の午後から屋敷内に鬼兵が集まっていたことは知っている。その時は、そんなこともあるのかと思っていたが、どうやら何か起こったらしい。彼女は、鬼兵についても合わせて報告した。


 それからは連絡がないが、「もしかしたら何か来るかも」と気持ちが落ち着かない。それで彼女は、もしもの時に屋敷の他の者に見とがめられないよう、こうして屋敷回りを掃除しているという訳だ。


 とは言え、掃除し続けるのにも限界がある。どうしたものかと、ほうき片手に思案していると、加野は背後から声をかけられた。


「そこの女、」


 振り向くと、頭に角が二つある女性が立っていた。

 きちんとした身なりで、着ている物は一目で上質な物だと分かる。どこかの良家の夫人であると、加野は思った。


「なんでございましょう?」

「佐之助さまにお会いしたい。七洞の佐和が来たと取り次いでおくれ」

「七洞佐和さま……」


 洞家の夫人である。初めて聞く「七洞」の名に加野は内心驚いた。


 例えば、同じ洞家でも三洞みと五洞ごとうの当主や夫人、遣いの者は、度々次洞家を訪れている。対して、七洞しちどう八洞やとの名は今まで聞いたことがない。六洞りくどう家に至っては言うに及ばずだ。


 その聞いたことがない洞家の一つ、七洞家の夫人が一体どうした用だろう?

 目の前の七洞家夫人を加野はまじまじと見つめた。すると、佐和はきっと目をつり上げた。


「早くせよ、何をぼうっと突っ立っておる!」

「は、はいっ。申し訳ありません」


 いきなり叱責され、加野は慌てて佐和を屋敷内へと案内する。彼女の苛々とした様子から何やら焦っているらしいことが伺えた。


 加野は来客用の玄関に佐和をひとまず待たせ、家頭へと取り次ぐ。すぐに通せと言われたので、彼女は家頭が待つ客間へ佐和を案内した。

 佐和は家頭の顔を見るやいなや、加野がいることもかまわずに、「佐之助さまに会わせてくださいませっ」と詰め寄った。

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