7 佇む後ろ姿
火トカゲ消失の調査に急きょ里中へ出かけることになった与平は、何の手がかりも得られないまま日が暮れてから帰途に着いた。
発火する火トカゲは、燃えない鉄製の檻で飼うのが通常で、そうでなくても鎖の首輪をしている。つまり、逃げ出すとは考えにくい。
百歩譲って逃げ出したのだとしても、里中にある火トカゲが一斉にいなくなるなどありえない。結局、何が起こったのか分からないまま、購入者に対し補償をすることになった。
商人は信用が第一で、それを失うことを最も恐れる。このままだと、せっかく協力してくれた独歩の信用に傷を付けてしまう。そこで、原因究明は二の次にして、とにかく客への被害を最小限にすることにした。
とは言え、赤鉄を燃やす本体である火トカゲがいなければ、赤鉄自体の売り上げにも影響が出てくる。なんとか火トカゲを確保しても、また消えてしまっては、同じことを繰り返すことになる。
「どうしたものか……」
相談しようにも、伯子が西の領境に行っているのでどうしようもできない。
明日にでも、
柱を立てただけの門をくぐり、馬から降りて玄関へと向かう。と、玄関口にうずくまる何かの影が見えた。
「……与平さん?」
か細い声が弱々しく響く。その隣で、犬の唸り声が聞こえる。
与平は驚いてその影の主に駆け寄った。
「紫月さま、いかがなされた?」
「与平さん──!!」
刹那、涙で顔をくちゃくちゃにした紫月が胸に飛び込んできた。狛犬を伴っているとは言え、日も暮れてから一人で出歩くなど普通ではない。
与平は声を殺して泣き出す紫月をなだめながら、目につかないよう素早く彼女を家の中へと引き入れた。そして、玄関の上がりに彼女を座らせ、自身はそこにひざまずくと落ち着いた声で彼女に尋ねた。
「紫月さま、何がありました? 深芳さまは?」
紫月がびくりと体を震わせた。彼女は目をあちこちにさ迷わせた後、何かを訴えようと口を開いた。
しかし開いた口からは何も発せられず、紫月は再び押し黙った。
「紫月さま?」
「……」
怪訝な顔で与平は紫月の顔を覗き込む。すると彼女は、再び何事かを話そうとし、やはり声に出すことができないまま絶望的な顔で俯いた。
これは──、姫のこの様子は。
里中出身の与平は、似たような症状を何回も見たことがある。程度の違いこそあれ、同じ目に遭った女は、ほとんどが似たような状態になる。
彼は目の前の姫に起こったであろうことを理解した。同時に、今ここにいない深芳の安否を思い血の気が引いた。
「紫月さま、首を縦か横に振るだけでいい。できますね?」
紫月の両肩を優しく掴み与平が言い聞かせる。紫月がこくりと頷いてくれたので、彼は言葉を選びながら彼女に尋ねた。
「何かあったのですね。それは、落山の屋敷ですか?」
紫月がこくりと頷く。
「深芳さまは今……屋敷ですか?」
再びこくりと頷かれた。
与平は絶望的な気持ちで額を押さえた。娘を庇い自分だけ残ったのか、それとも連れて来ることができない状態だったのか。とにかく一刻も早く落山へ助けに行かなければならない。彼は再び紫月に言い聞かせた。
「紫月さま、居間に入って待っていてください。念のため結界を結んで行きます。何があっても儂が戻るまで外に出ては──」
「……く」
「はい?」
「き、きは──く」
「……」
与平は紫月が必死に絞り出した言葉を口の中で噛み砕く。
まさか──。
そして次の瞬間、彼は身を翻して外へと飛び出した。
与平は落山まで一気に馬を走らせた。
旺知が相手と知れた今、命の危険はないと思われた。しかし、あの男が深芳相手に何もしないとは考えにくく、無事であるかは別である。
気持ちが逸る一方で、与平は今後のことも考える。深芳を奪い返せたとしても、旺知に刃を向けては、もう
いっそ隙を突いて殺してしまえないかとも考えるが、伯子がいない今は間が悪すぎた。碧霧さえいれば、あの男を殺した流れで碧霧を無理やり伯座に就けることも可能だ。
謀反となるかもしれないが、碧霧派の
しかし、擁立する者が不在の今、下手をすれば
明確な結論がでないまま落山の屋敷に辿り着く。与平は馬から降りると、玄関ではなく庭の方から気配を消しつつ屋敷の中に入っていった。
落山の屋敷は、所在は知っていたものの実際に来るのは初めてである。簡素な佇まいの屋敷は、しかし、それなりの大きさがあり、与平の家ほどこじんまりはしていない。
今夜は三日月で月明かりもほとんどあてにできない。暗闇の庭を通り抜け、いくらか進むと、燭台の火が灯る部屋に一人佇む女性の後ろ姿があった。
着ている物は大胆にはだけ、胸のふくらみが背後からではあるがちらりと見てとれる。明かりに照らされた雪肌は、どこまでも透き通るように美しくそして艶かしい。
「……深芳さま、」
震える声を抑えておそるおそる名を呼ぶと、彼女が慌てることもなく恥じ入る様子も見せず、さらけた裸体をゆっくりこちらに向けた。
「良かった。紫月は助けを求めに行ったか。土間に波瑠が倒れているらしい。そちらも心配ゆえ見てきて欲しい」
何があったか、彼女に問うまでもない。
与平は呆然とした面持ちで深芳に歩み寄った。
「あの男は……?」
「風情の欠片もない。事が済んだらさっさと帰りおったわ。余裕のない男は嫌いじゃ」
深芳が呆れ返った様子で鼻を鳴らした。そしてはだけた小袖を肩まで引っ張り上げながら与平に向かって小さく笑う。
「すまぬの。見苦しい姿を見せた。好きな男を思い、命を絶つほど乙女でもない」
「当然です」
言って与平は土足のまま部屋に上がり深芳を抱き締めた。
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