2 佐之助の頼みごと

六洞りくどうの左近だ。店主に話はしてあるが、聞いているか?」

「はい。お待ちしておりました」


 左近が子供に告げると、童女は愛想の良い返事をして、「どうぞお上がりください」と二人を中に促した。


「あの──、左近さま。これは一体……」

「最近、里中にも遣いに出されると聞いたから。間に合って良かった」


 答えになっていないような返事をされ、加野はやはり黙ってついて行くしかない。人気ひとけのない廊下を進むと、八畳ほどの小さな部屋に案内された。

 小ぶりの芍薬が飾られた床の間に座布団が四つ置かれただけの簡素な部屋である。


「では、ごゆっくり」


 左近が加野に座るよう促す中、愛らしい童女が静かに戸を閉めた。

 二人きりで向かい合わせとなり、ようやく加野は左近に問いただした。


「左近さま、どういうことでございましょう。納得のいく説明をお願いいたします」

「あ、ああ。すまない」


 加野の困惑した顔つきに、左近が申し訳なさそうに俯く。しかし彼はすぐに顔を上げ、前のめりになって口を開いた。


次洞じとう家はどうだ?」

「はい。衣食住を与えていただき、不自由なく暮らしております」


 加野が笑いながら答える。

 しかし、左近は納得しかねる顔をした。

 着ている物はくたびれた古着、最低限の食と住は保証されてはいるのだろうが、労働の対価と思えばそんなものだ。

 千紫の口添えで次洞じとう家に入ったものの確かな後ろ立てもない身で、一つ鬼がどのような扱いを受けるかぐらい子供でも分かる。


「嫌な思いはしていないか? 俺はたまたま恵まれた境遇で角の数で不自由を感じたことはあまりない。しかし、角が一つだというだけで相手のことをさげすむ言動は数多く見てきた」

「……今日はそのようなお話をするために私をここへ?」


 一方的な左近の話を一旦打ち切り、加野が再び彼に問う。「納得のいく説明を」と言ってなお、説明をちゃんとしない左近をいさめるものである。

 左近がいよいよバツの悪い顔をした。彼はあちらこちらに視線を泳がしていたが、最後は彼らしい実直な目を加野に向けた。


「明日、西の領境へ碧霧さまとともに遠征することになった。しばらく月夜を空けることになる」

「西の領境……」

「右近も今は沈海平しずみだいらへ行っている。加野に何かあっても、守ってやれる者がいない。頼ろうにも、紫月さまや千紫さまでは遠慮するだろう?」

「何かって、何も──」

次洞じとうは信用ならん」


 左近が吐き捨てた。そしてさらに膝一つ加野に詰め寄る。


「次洞から逃げたくなった時、ここの花月屋の店主を頼ってくれ。話はすでにしてあるし、その分の金も渡してあるから心配しなくていい。この事をどうしても加野に伝えておきたくて」

「……六洞りくどう家御当主はこのことをご存知で?」

「親父は──、誰も知らん。金は俺の金だから問題ない」

「しかし、」

「少しは甘えろ。加野は十分に頑張っている」


 左近が歯がゆそうに言って加野の言葉を遮る。加野は、嬉しいような苦しいような、なんとも言えない気持ちになって黙り込んだ。

 ややして、


「では、左近さま。甘えさせていただきます」


 彼女は困った顔を見せつつ笑い返した。




 落山の姫との茶話会の帰り、七洞家の佐和は、苛々とした空気を辺りに撒き散らしながら執院の廊下を洞家専用の出入口に向かって歩いていた。

 別れ際、娘を呼び止めて話をしようとするも、「忙しいから」と相手にされず、彼女は何の成果も得ないまま帰る羽目になっている。

 今日の茶話会は、佐和にとって憂慮すべきものであった。三洞みと五洞ごとうも落山の姫を褒めそやし、なんとか取り入ろうという魂胆がみえみえだった。隣に座る美玲には目もくれず、まるで侍女のような扱いだった。

 佐和は奥歯を噛み締めながら笑顔を作るのに必死だった。


(美玲も美玲じゃ。何を大人しく宵臥の娘などの顔を立てているのか!)


 春の宴で失われた歌と言われた月詞つきことを披露して以来、かの姫の評判は上がるばかりだ。加えて、数多あまたの姫君と浮き名を流していたあの伯子が、嘘のように一人の姫君を寵愛ちょうあいしている。


 と、一人の侍女の姿が目に止まる。佐和はとっさに彼女を呼び止めた。


「清音、」

「……七洞の佐和さま」


 すらりとした長身に下がり目が愛くるしい二つ鬼の女が驚いた顔で振り返った。

 清音は、かつて金を握らせ「歌上手の七洞姫」という噂を奥院で広めてもらった奥侍女である。

 美玲が奥院に上がるようになってからは、落山の姫の悪口をそれとなくふれ回るよう頼んでいた。


「なにゆえこのようなところに? そなたは奥侍女であろう?」


 侍女にも受け持ち場所というものがある。執院で働く侍女が奥院に来ることはなく、逆もまたしかり。奥侍女である清音がどうして執院を歩いているのかと佐和は怪訝な顔を彼女に向けた。

 すると、清音は悔しそうに唇を噛み締め、ぼそりと佐和に答えた。


「奥からこちらに異動となりました」

「なんじゃと? このような時期にか?」

「はい。奥頭から突然言い渡され、私も何が何やら──」


 それを聞いた佐和はかっと顔を真っ赤にした。


「落山の姫じゃっ。あの小娘が千紫さまにお願いしたに違いない。おまえが美玲びいきなのを知って──!!」

 

 なんて汚い娘だろう。邪魔な者を千紫に取り入って排除するなんて。

 これは由々しき事態である。このままでは娘の美玲も排除される日も近いと、佐和は怒りで震えた。


「なんたる屈辱じゃ。なし者と落ちぶれた一つ角の女の娘が、千紫さまや雪乃さまをたぶらかし、奥院を意のままにしようとしておる」

「佐和さま、悔しゅうございます」

「決してこのままでは終わらせぬ。誰が見ても、我が娘の方がふさわしい。あんな歌しか歌えない娘に伯子の正妻が務まるものか!」


 その時、


「口を慎まれよ。仮にも相手は伯子の寵姫ちょうきであるぞ」


 低いたしなめる声がし、佐和と清音がはっと振り返る。するとそこに、すました顔の次洞じとう佐之助が立っていた。


「次洞さま!」


 二人はさあっと青ざめ頭を下げる。明らかに聞かれてはいけない会話である。

 しかし佐之助は、さして怒る様子も見せず、「まあまあ」と二人に歩み寄ってきた。


「七洞の奥方におかれては、かなりご立腹の様子」

「も、申し訳ございませぬ。どうかご容赦を──!!」

「いやいや。実のところ、かの姫君には我らも少々困っておりましてな」

「……は、」


 まさか同調されるとは思わず、佐和は拍子抜けした顔を佐之助に返した。佐之助がしたり顔で頷いた。


「彼女は、自分がただの慰み物だということを分かっていない。しっかり教えてやらねばならん」

「と、言いますと?」

「二人に頼みたいことがある」


 言って佐之助はにやりと口の端を上げた。

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