9.美玲の宣言

 紫月と仲直りしてから数日後、碧霧の執務室である中ノ間にとある客が訪れた。

 ちょうど左近と二人、所用で部屋を空けていたところで、戻ってくると右近が部屋の前で立っていた。右近は所在なさげに腕を組み、碧霧たちの姿を認めると、むすっとした顔を向けた。


「ああ、やっと帰ってきた」

「どうした、右近? 中に入って待っていればいいだろう?」

「嫌ですよ。気まずいですから」

「?」


 なんのことだと顔をしかめても、右近は何も言わずに親指を立てて中を見ろとばかりに部屋を指差す。どうやら誰かが中にいるらしい。

 なんだろうと障子戸を開けると、鮮やかな南天柄の打掛を羽織った二つ鬼の姫君が藍染のソファーにゆったりと座っていた。


「おまちしておりました。碧霧さま」

「七洞姫──!」

「あら、私のことは美玲みれとお呼びください。もそう呼んでくださいますよ。聞いておられませんか?」


 言って彼女は気の強そうな瞳をにこりと和ませた。碧霧はそんな彼女に険のある眼差しを向ける。


「何しに来た?」

「私は紫月の教育係ですもの。別に碧霧さまとお話をすること自体、不自然なことではないでしょう?」

「悪いが、紫月に誤解を与えるような真似はしたくない。何か用事があるのなら右近に伝えてくれ。話はおしまいだ」

「心配には及びません。今日、こちらをお訪ねすることは紫月にも伝えてあります」


 余裕たっぷりの笑みを浮かべ、美玲は立ち上がる素振りもない。

 左近が「あー、ちょっと用事を思い出した」とわざとらしい声を上げ、踵を返して去っていく。右近も「私も!」と兄に続いて行ってしまった。


 一人取り残され、碧霧はしぶしぶ部屋に入って障子戸を閉める。そして、彼は不機嫌なため息を遠慮なく吐き出して、彼女の向かいにどかりと腰を下ろした。

 美玲が満足げに頷いた。


「本性はそんな感じですか。当たり障りのない顔がカマボコのように板に張り付いた、掴みどころのない方だと思っておりましたが。分かりやすくて助かりました」

「おまえも分かりやすくなったな。あの時は、もう少し慎ましやかに振る舞っていたように思ったが?」

「一応は。でも紫月から『には本音をぶちまけて話した方がいい』と教えてもらいまして」


 しれっとした顔で美玲が答えた。そして「そんなことより、」と彼女は話を切り出した。


「聞けば、春に宴を催すとか」

「それがなんだ?」

「あの歌を……、皆の前で披露させるので?」


 刹那、険を含んだ碧霧の顔が当たり障りのない無表情に変わった。美玲が良く知る、伯子の顔だ。彼女は、そんな彼の顔を面白そうに見つめた。


「伯子さまは歌の上手な姫がお好みだ──なんて嘘。あなたさまは歌の上手な姫が好みだった訳ではない。あの歌を探していらっしゃった」

「紫月の歌を聞いたのか? いつ?」

「彼女と初めて会った日に。私の父が、庭の梅の木を剪定したのを喜んでくれまして。正直、これは歌かと驚きました。後からあれは月詞つきことと言うものだと父より教えられました」


 碧霧はため息を一つ吐く。先日、紫月が「ここでも自由に歌いたい」なんて言い出したのはそのせいかと腑に落ちた。


「それで、おまえはわざわざその話をしにここへ?」


 碧霧は探るような目で美玲を見た。美玲が「まさか」と小さく笑った。


「今日こちらにお伺いしたのは、他でもございません。過去のあなたさまの女関係について教えていただきたいと思いまして」

「なんでおまえにそんなこと──」

「紫月のためです。彼女に敵対しそうな不穏な女を事前に把握しておきたいのです」

「話を蒸し返す気はない。冗談言うな」


 美玲に対し、碧霧がすかさず頭を振り返した。

 途端、


「能天気ね」


 もどかしさを含んだため息を吐いて、美玲がさらに横柄な態度になった。


「私みたいに割り切っていればいいけどね。中には一族の期待を一身に背負って必死な子も、玉の輿を夢見る夢子ちゃんもいるのよ。ぽっと出の隠し姫なんかに正妻の座を持っていかれちゃうなんて、怒り狂うでしょうね。矛先があなたに向けばいいのだけれど、こういった場合、大抵が相手の女に向く」

「おまえがその怒り狂っている一人じゃないという保証は? 俺から聞き出した情報を紫月に告げ口することも、他の腹黒い姫と手を組むこともできるだろう?」

「そんなセコい真似はしないわよ。あの七洞利久の名に傷を付けるようなことはしない」


 呆れた様子で美玲は肩をすくめた。そして彼女は、洞家の姫君らしいすまし顔になり、そのまますっと立ち上がった。


「あの歌を聞けば、紫月が誰よりもあなたさまの隣に相応ふさわしい姫であると皆分かるでしょう。でも、だからこそ周りの反応が怖いし、あなたさま以外にも彼女の側で支える者が必要です。少なくとも、私は紫月に付く。きちんと駒としてお使いくださいませ」


 美玲は恭しく碧霧に頭を下げると、何事もなかったように場を辞した。一人になり、碧霧は大きなため息とともに体をソファの背もたれに投げ出す。


 あれが七洞の姫──。初めてではないはずなのに、まるで初めて会ったような感覚に陥った。


 七洞利久は凡庸で無害な男として通っている。しかし、ただの無害な男ではない。彼の支配下にある御用使いは、総じて口が堅い。いつどこで何を聞こうとも、彼らは決して口外することはない。

 だからこそ、彼らはいついかなる場所にも入り込み作業ができる。あまりに当たり前にやってのけているので、これがどれだけすごいことかを誰も気づいていないだけだ。


 そして「七洞利久の名に傷を付けるようなことはしない」と言った美玲の目は信頼できると感じた。なるほどな、と感心すると同時に、紫月を側で支える者としても適していると碧霧は思う。

 

(母上以外に味方がいない今の奥院で、洞家の姫と繋がりができることは悪くない。状況もよく見ているし、はっきりした物言いも紫月と合う)


 紫月自身も「最初に仲良くなったのが美玲で良かった」と言っていた。だとしたら、このまま紫月の身の回りのことは彼女に任すのが得策だと言える。

 まあ、だからと言って、自分の過去の素行を美玲に白状し、弱味を握らせるつもりはないが。


沈海平しずみだいらでは、もっと単純に物事を考えられたな)


 あれこれと損得勘定で物事を考えている自分に気づき、碧霧は再びため息をつく。また紫月に怒られそうだと独り笑いつつ、彼女が側にいないことがもどかしく感じた。


 だがそれも、しばらくの辛抱だ。


 春の宴で、紫月に月詞つきことを披露させ、伯子の側に侍る姫としてその存在を父親にも洞家たちにも認めさせる。


 なんの心配もない──はずなのに、頭の隅、常に不安がつきまとう。しかし、碧霧はそれを無理やり振り払った。

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