4)花宴の影
1.曲坂通りの茶屋
春、降り積もっていた雪もすっかり溶け、最近では日差しもずいぶんと暖かい。今年は桜の開花もいつもより早く、すでに満開となっている。
今日、碧霧は紫月を伴って商談に行く。と言っても、気安い相手なので、紫月にはそれを伝えて
彼は午前中の執務を早々に終えて中ノ間を出た。今日の外出は仕事であるので、ひとまず左右の守役も一緒である。
長い廊下を進む途中も左近が細かな連絡事項を伝えてくる。
「西の鍛冶場に引き込んでいる用水の水量が減っているようです。今のところ作業に影響はないそうですが、水の流れが変わったのかと鍛冶役が不安がっておりまして」
「もう雪解だ。今から水量が増えないか?」
「そうですね。そう思い、もう少し様子を見るよう伝えておきました」
と、庭先に膝をついて控える二つ鬼の姿が目に入った。
肩ほどの長さのねっとりとした髪が青白い顔にかかり、
「……四洞、」
碧霧が立ち止まり声をかけると、滅多に姿を現さない蟲使いは顔を上げてにやりと笑った。
左近がすっと眉をしかめ、右近が胡散臭そうな顔をする。四洞は左右の守役をちらりと一瞥してから、すぐに視線を碧霧へと戻した。
「火トカゲがさらに入り用であるとか」
この蟲使いに火トカゲ集めを頼むのはこれで何度目か。頼りすぎは良くないと分かりつつも、彼ほどに短期間で集めてくる者もいない。結果、碧霧は今も四洞に火トカゲを集めさせていた。
「そうだ。集められるか?」
「あれは掃いて捨てるほどおりますから。ただ──、」
碧霧が「なんだ?」と眉をひそめて先を促すと、四洞は細い目をさらに細めた。
「欲張りすぎは良くないかと」
「ごみでしかなかった赤鉄が、今や月夜の貴重な収入源となっている。
四洞がどこまで知っているかは知らないが、碧霧は
収入を断たれたはずの父親からは何も言われていない。それが返って不気味だが、とは言え、こちらも譲るつもりはないので彼は気にしないことにしていた。
「とにかく、おまえは黙って火トカゲを集めればいい」
「……かしこまりました」
四洞が含みのある様子で低頭する。碧霧はさっと踵を返すと、蟲使いをその場に残して再び廊下を歩き始めた。
春の陽気に誘われて、里中の
店主は商いで財を築いた一つ鬼であり、支払いさえしっかりしていれば、誰に対しても金額相当のもてなしをしてくれる。ちょっとした会合から大きな宴会もできれば、宿泊も密会も可能。一晩限りの女の手配だってしてくれる。
紫月と合流してから、碧霧たちは
「へえ、吹き抜け二階建てのお屋敷なんて素敵よね。私、ここに入るの初めてなの」
「そりゃ紫月さま、女一人でここに来るなんて普通はないですよ。それこそ逢引かなんかだ」
「ええ、その折りは、ぜひ当茶屋を。お忍びでのご利用も承っておりますよ」
紫月と右近のやり取りに、耳心地の良い声が割って入った。玄関で一行の到着を待っていた花月屋店主である。
「若さま、お待ちしておりました」
今風の短髪にすっきりした顔立ち、耳には石飾りを付けている。なかなか
「おや、こちらのお可愛らしい御方は?」
「彼女は、落山に住んでいる姫君だ」
店主が、「落山──」と目を瞬かせた。
「ああ、あの落山の御方さまの姫君で? なるほど、お美しい方だと拝見しておりました。私は花月屋店主、那津と申します。以後、お見知りおきを」
「母さまを知っているの?」
「はは、里一と謳われる美しい女性の名を知らぬ者はおりません。さあ、先方はすでにお着きです」
さらりと笑って那津と名乗る店主は、一行を店内へと促した。
途中、誰もが気軽に飲み食いできる場所や、ちょっとした個室などを横目で見つつ奥へと進む。と、那津はそこそこ広そうな部屋の前で立ち止まった。
「こちらでございます」
那津が襖をするりと開けると、そこに二人のあやかしが待っていた。
「よう、嬢ちゃん。久しぶりだな」
「あっ、一つ目のおじさん! それに、宗比呂さんも!」
「あん時は、二つ鬼の男を引っかけて来いと言って、色男を連れて来たなとは思ったけどよ。すごいの引っかけて来てたんだな」
紫月は懐かしい顔ぶれに思わず顔をほころばせた。
「商談って、二人とだったの?」
「そうだよ。紫月も会いたいだろうと思って。あらためて紹介するよ。一つ目の
碧霧が紫月を中へと促した。守役も含めて全員が入り終わると、那津が「では、ごゆっくり」と襖を静かに閉めた。
部屋の隅にはお茶の入った土瓶と
上座に碧霧と紫月が並んで座り、全員にお茶が配られると、露店商は一つしかない大きな目をすうっと細めた。
「さて、若様。火トカゲは集められそうですかい?」
「ああ、問題ないと思う」
赤鉄を売りさばくために必要な本体である火トカゲ。この本体が不足すると、高値で転売する者が出てくる。奈原では佐一がこれを取り締まっているらしい。
ただ、取り締まっても結局はイタチごっこになってしまうだけなので、供給を安定させるのが一番の解決策だ。
そしてもう一つ。碧霧は、独歩に対して言葉を続けた。
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