4)花宴の影

1.曲坂通りの茶屋

 春、降り積もっていた雪もすっかり溶け、最近では日差しもずいぶんと暖かい。今年は桜の開花もいつもより早く、すでに満開となっている。


 御座所おわすところは、例年にない慌ただしさに包まれていた。春の宴を三日後に控え、誰もがその準備に大忙しだ。中でも御用方の七洞利久は、いつもの三倍くらいあたふたしている。


 今日、碧霧は紫月を伴って商談に行く。と言っても、気安い相手なので、紫月にはそれを伝えて曲坂まるざか通りの龍の像の前で待ち合わせした。

 彼は午前中の執務を早々に終えて中ノ間を出た。今日の外出は仕事であるので、ひとまず左右の守役も一緒である。

 長い廊下を進む途中も左近が細かな連絡事項を伝えてくる。


「西の鍛冶場に引き込んでいる用水の水量が減っているようです。今のところ作業に影響はないそうですが、水の流れが変わったのかと鍛冶役が不安がっておりまして」

「もう雪解だ。今から水量が増えないか?」

「そうですね。そう思い、もう少し様子を見るよう伝えておきました」


 と、庭先に膝をついて控える二つ鬼の姿が目に入った。

 肩ほどの長さのねっとりとした髪が青白い顔にかかり、えた臭いが鼻につく。


「……四洞、」


 碧霧が立ち止まり声をかけると、滅多に姿を現さない蟲使いは顔を上げてにやりと笑った。

 左近がすっと眉をしかめ、右近が胡散臭そうな顔をする。四洞は左右の守役をちらりと一瞥してから、すぐに視線を碧霧へと戻した。


「火トカゲがさらに入り用であるとか」


 この蟲使いに火トカゲ集めを頼むのはこれで何度目か。頼りすぎは良くないと分かりつつも、彼ほどに短期間で集めてくる者もいない。結果、碧霧は今も四洞に火トカゲを集めさせていた。


「そうだ。集められるか?」

「あれは掃いて捨てるほどおりますから。ただ──、」


 碧霧が「なんだ?」と眉をひそめて先を促すと、四洞は細い目をさらに細めた。


「欲張りすぎは良くないかと」

「ごみでしかなかった赤鉄が、今や月夜の貴重な収入源となっている。沈海平しずみだいらをやみくもに制圧して不当な収益を上げるよりよほど合理的だ」


 四洞がどこまで知っているかは知らないが、碧霧は旺知あきともが沈海平で裏収入を上げていたことを揶揄やゆした。

 収入を断たれたはずの父親からは何も言われていない。それが返って不気味だが、とは言え、こちらも譲るつもりはないので彼は気にしないことにしていた。


「とにかく、おまえは黙って火トカゲを集めればいい」

「……かしこまりました」


 四洞が含みのある様子で低頭する。碧霧はさっと踵を返すと、蟲使いをその場に残して再び廊下を歩き始めた。




 春の陽気に誘われて、里中の曲坂まるざか通りは大勢のあやかしでごった返していた。その一角に「花月屋」という名の大きな茶屋がある。気位が少し高そうな店構えは、しかし、入ってみるとそうでもない。

 店主は商いで財を築いた一つ鬼であり、支払いさえしっかりしていれば、誰に対しても金額相当のもてなしをしてくれる。ちょっとした会合から大きな宴会もできれば、宿泊も密会も可能。一晩限りの女の手配だってしてくれる。


 紫月と合流してから、碧霧たちはくだんの店の桜が描かれた優美な暖簾のれんをくぐる。華やかな飾り玉が垂れ下がる広くて高い玄関を、紫月が目を輝かせながら見上げた。


「へえ、吹き抜け二階建てのお屋敷なんて素敵よね。私、ここに入るの初めてなの」

「そりゃ紫月さま、女一人でここに来るなんて普通はないですよ。それこそ逢引かなんかだ」

「ええ、その折りは、ぜひ当茶屋を。お忍びでのご利用も承っておりますよ」


 紫月と右近のやり取りに、耳心地の良い声が割って入った。玄関で一行の到着を待っていた花月屋店主である。


「若さま、お待ちしておりました」


 今風の短髪にすっきりした顔立ち、耳には石飾りを付けている。なかなか洒落しゃれ風貌ふうぼうの一つ鬼の男は、碧霧に向かってにこやかに頭を下げた。そして、碧霧の隣に立つ紫月に目を向けた。


「おや、こちらのお可愛らしい御方は?」

「彼女は、落山に住んでいる姫君だ」


 店主が、「落山──」と目を瞬かせた。


「ああ、あの落山の御方さまの姫君で? なるほど、お美しい方だと拝見しておりました。私は花月屋店主、那津と申します。以後、お見知りおきを」

「母さまを知っているの?」

「はは、里一と謳われる美しい女性の名を知らぬ者はおりません。さあ、先方はすでにお着きです」


 さらりと笑って那津と名乗る店主は、一行を店内へと促した。

 途中、誰もが気軽に飲み食いできる場所や、ちょっとした個室などを横目で見つつ奥へと進む。と、那津はそこそこ広そうな部屋の前で立ち止まった。


「こちらでございます」


 那津が襖をするりと開けると、そこに二人のあやかしが待っていた。


「よう、嬢ちゃん。久しぶりだな」

「あっ、一つ目のおじさん! それに、宗比呂さんも!」

「あん時は、二つ鬼の男を引っかけて来いと言って、色男を連れて来たなとは思ったけどよ。すごいの引っかけて来てたんだな」


 曲坂まるざか通りで人の国の雑誌を売っていた一つ目の露店商である。隣には、水天狗の宗比呂がにこやかな顔で座っている。

 紫月は懐かしい顔ぶれに思わず顔をほころばせた。


「商談って、二人とだったの?」

「そうだよ。紫月も会いたいだろうと思って。あらためて紹介するよ。一つ目の独歩どっぽだ。月夜の里で沈海平しずみだいらの赤鉄を売ってもらっている」


 碧霧が紫月を中へと促した。守役も含めて全員が入り終わると、那津が「では、ごゆっくり」と襖を静かに閉めた。


 部屋の隅にはお茶の入った土瓶と湯呑ゆのみが置いてあり、左近と右近が人数分のお茶を用意する。お茶を自分で用意しなければならないと言うことは、しばらく誰も来ないと言うことだ。


 上座に碧霧と紫月が並んで座り、全員にお茶が配られると、露店商は一つしかない大きな目をすうっと細めた。


「さて、若様。火トカゲは集められそうですかい?」

「ああ、問題ないと思う」


 赤鉄を売りさばくために必要な本体である火トカゲ。この本体が不足すると、高値で転売する者が出てくる。奈原では佐一がこれを取り締まっているらしい。

 ただ、取り締まっても結局はイタチごっこになってしまうだけなので、供給を安定させるのが一番の解決策だ。

 そしてもう一つ。碧霧は、独歩に対して言葉を続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る