2.東の端屋敷《はやしき》

「独歩、販路を広げたいと思っている。できるか?」

「販路──ですかい?」

「そうだ」


 月夜や奈原の売り上げが順調なのを受け、碧霧は販路を広げられないかと考えるようになっていた。

 ふうむ、と独歩が思案げに一つ目を細めてあごをさする。


「広げると言ってもなあ。月夜と奈原、北の領でこの二つと同じくらい大きい里はありませんぜ。それとも小さな里をまわる? 効率的とは思えねえな」

「東や南の領は?」

「そっちですかい。伝手つてがないことはねえが──。なんせ、もともと俺は月夜と人の国を主に行き来しているもんで」

「難しいか?」

「──だったら葵、魁に頼めば?」


 二人のやり取りに紫月が割って入った。


「別れ際、阿の国のどこでも売りさばけるようなことを言ってたじゃない」


 独歩が「おやっ」と目を瞬かせる。


「嬢ちゃん、誰か知り合いがいるのか?」

「西の紅一族の鬼よ。沈海平しずみだいらで知り合ったの。ねえ、右近?」


 突然、紅の鬼の話を振られ、右近は目を白黒させた。

 紫月の隣では碧霧が面白くない顔をした。


「あの、派手な旅商人だろ。確かに、別れ際にちらりと声をかけられたけど……、素性も知れない相手だ」

「独歩だって似たようなもんじゃない」

「仕事を頼むまで何度も話し合いをしているし、悪いが身辺調査もさせてもらった」

「でも魁だって右近を助けてくれたし、いつも右近と仲良くしてたわよ。右近、何か聞いてない?」

「しっ、知りませんよ! なんで私が……」

「だって仲良かったから」


 この姫は「隠し事」という言葉を知らないらしい。右近はしどろもどろになった。

 ただ、「素性も知れない」と伯子に言われるのはひっかかる。

 右近は躊躇ためらいがちにぼそぼそと答えた。


「素性は分かりませんが、あやしい者ではないと感じました。確かに、碧霧さまへ取り次いでもらうために私に近づいた節はあるのですが……」

「そうかしら?」


 紫月が小首を傾げた。


「まあ、そうかもしれないけれど──。でも、そうだとしたら私に近づいた方がよほど早いわ。どう考えたって、護衛をしている右近の方が警戒心があるわけだし。ほら、私はほとんど警戒しないじゃない?」

「……それはそれで、問題なんだけどな」


 呆れた様子で碧霧がため息をつきつつ、話題を元に戻す。


「どちらにしろ、秋の話だ。もう奈原にはいないだろう」

「いや、ぎりぎり望みがあるかもしれませんぞ」


 今度は、黙って話を聞いていた宗比呂が口を開いた。


沈海平しずみだいらは気候が温暖なので、冬の時期を奈原などの里で過ごす旅商人は多い。もしかしたら、まだ滞在しているかもしれません」

「では宗比呂おう、仮にいたとしたら交渉を頼むことは可能ですか?」

「しかし、私は面識が全くありません。それに私は月夜にしばらく滞在する予定でして」


 うーんと唸り声が響く中、皆の視線が自然と右近に集まった。

 その意味するところは──。右近がひくりと顔をひきつらせた。


「まさか、私ですか?」

「適任でしょう。右近殿ならお一人で沈海平にも行けますし、守役ですから伯子の名代として交渉もできる」

「そうね。何より魁と仲良しだし、」

「そんな簡単に──っ」


 いよいよ右近が取り乱す。しかし、もう誰も右近の言い分など聞いていない。ただ一人、彼女の兄だけが苦虫を噛み潰したよう顔をしている。


「碧霧さま、お言葉ですが、右近にそのような大役を任せるなど少々不安です。そもそも北の領と西の領の情勢を考えれば、紅の鬼などどこまで信用できることやら。右近、こちらの内情を話してはいないだろうな?」

「そんなことしていない」

「では、いつも西の鬼相手に何を話しておったのだ?」

「いやね、左近。そんな無粋な質問をして!」


 あれこれと問い詰める左近を紫月がうるさそうに止めた。そして右近に向き直る。


「ちゃんとお別れしてないんでしょう? 会ってきたら?」

「別に会う必要なんてないですからっ! てか、まだいること前提ですかっ」

「紫月、話がずれている。今はそんな話をしているんじゃない」


 右近と例の紅の鬼との間に何かあったのかと気にはなったものの、碧霧は話を再び元に戻した。紫月が「こっちも大切な話なのに」とぶつぶつと独りごちている。

 ただ、右近と紫月のやり取りから、今さらながらすでに繋がりが出来ていると碧霧は感じた。そして、そんな碧霧の思いを後押しするように独歩が意見を述べる。


「伯子、こういうのは縁です。俺たち商人は縁を大切にしやす。そいつも商人の端くれなら、そこの守役の嬢ちゃんに不義理はしねえはずだ。奈原に知り合いがいるから、魁って名の旅商人を探してもらいやしょう。もしかしたら、評判も分かるかもしれねえ」

「ありがとう、助かる。じゃあ決まりだ。右近、春の宴が済んだら、すぐに沈海平へ行ってくれるか。あっちの様子も見てきてもらいたい」

「……」


 トントン拍子に右近の沈海平行きが決まる。

 当の本人は、困惑ぎみに「はい、」とだけ返事をした。




 それから今後の細かいことを決め、その日は散会となった。

 宗比呂は、元四洞家の直孝とちょくちょくと会っているらしい。碧霧自身、彼に会いたいと考えていたが、「直孝の庵にはお越しにならないよう」と宗比呂に釘を刺された。

 宗比呂いわく、元洞家との繋がりは碧霧の立場を悪くするからというもので、「その代わりに自分が直孝の相手をしましょう」と笑って締めくくられた。


 独歩や宗比呂と別れた碧霧は、左右の守役ともここで別れた。

 今日はこれから紫月ととある場所へ行く。「東の端屋敷はやしき」と呼ばれる元伯家は末姫藤花の居宅である。


 二人で手土産に芋饅頭を買い、空馬の疾風はやてに乗って明山あからやまへと向かう。春の気配をまとった山野は、みずみずしい気で満ちあふれている。細い山道をひたすら奥へと進むと、小さな門が見えてきた。


「叔母さまっ、芋饅頭を買ってきたよ!」


 馬から飛び降りて紫月が元気な声で門をくぐる。

 奥の庭先から、まずは狛犬の吽助うんすけが駆け出してきた。その後、豊かな黒髪を後ろでゆったりと結んだ一つ鬼の女性が出てきた。彼女こそ、東の端屋敷はやしきの女主人藤花である。


「今日二人で来たのかえ?」


 藤花は、紫月に続いて門をくぐり抜けてくる碧霧の姿を認めながら嬉しそうに笑った。

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