5.宵の花びらが舞い散る中

 その日は、宵の口から洞家や家元の鬼たちが御座所へと集まった。


 場所は影霊殿えいりょうでんに面した南庭。一面白砂を敷きつめられたそこは、御座所おわすところで最も格式のある庭である。


 影霊殿正面から南庭に向かって延びる大きな階段の降り口に、四方をかがり火で囲まれた舞台が設置されていた。今夜は、ここでさまざまな芸能が披露される。

 その左右に設置された席は洞家のものだ。さらに庭の端には緋色の毛氈もうせんが敷かれ、家元たちが自由に座っていいようになっている。


 月夜の鬼たちは、月の雫から生まれたとされる。そしてその「月の雫」が降り落ちるとされているのが影霊殿だ。ちなみに、「御座所おわすところ」とは、月の雫が「御座おわす場所」という意味である。


 その影霊殿の上座中央、旺知が座る御座みくらが設置されていた。その右側に千紫をはじめとする夫人たちの席と伯子以外の子の席、そして左側に伯子である碧霧と紫月、美玲の席がもうけられていた。

 ちなみに、深芳も千紫の賓客として呼ばれており、他の夫人たちを差し置いて千紫の隣を陣取っている。


 宴が始まる前、南庭では各々の権勢を誇示するかのように着飾った二つ鬼たちが集まり、ここぞとばかり意中の相手と親交を深めていた。


 宴の中心に一つ鬼はほぼいないと言っていい。いたとしても家元か、そこに仕える身分の低い者たちだ。今日、洞家の中で一つ鬼なのは、六洞りくどう家の嫡子である左近くらいだった。あらためて角の数の違いによる差を知らされる。

 

 最も賑わいを見せるのは佐之助が座る次洞じとう家の一角。それに三洞みと家、五洞ごとう家が続く。

 当然ながら四洞の姿はなく、七洞しちどう利久は宴の最終準備に大忙しでそれどころではない。そんな夫の代わりに妻の佐和があちこちに挨拶をして回っていた。

 ちなみに、旺知あきともがかつて名乗っていた九洞くど家は、実質的に空席となっている。旺知の兄であり、深芳の夫でもある成旺しげあきが九洞姓をそのまま名乗っていたいたことが主な理由である。彼は、なし者であるがために、伯家に名を連ねることはなかった。


 そんな中、里守さとのかみの六洞重丸と勘定方の八洞やと十兵衛は、南庭で繰り広げられる洞家と家元たちの上部だけの交流を余所よそ事のように眺めていた。


「六洞の、おまえは輪に入らんでいいのか?」

「口ベタな儂には必要ないわい。十兵衛こそ、いいのか」

「儂は面倒臭いことは嫌いなのよ。それにほら、」


 十兵衛が、これまた所在なさげに傍らで控える下野しもつけ与平をちらりと一瞥する。


「毎回そこにおる独り身の縁談話がうるさくてな。面倒なんだわ」


 重丸がくつくつと笑う。与平がうるさそうにそっぽを向いた。

 折しも、宴が始まる太鼓が大きく鳴り響いた。


 各々が話をやめ、それぞれの席に着く。今ほどの喧騒が嘘のように静まり返る中、ややして右回廊から千紫が率いる女性たちがまず現れた。


「おお、落山の御方もご一緒ぞ」


 観衆の誰かが興奮気味の声を上げた。

 千紫は高く結い上げた黒髪に螺鈿らでんのかんざしを挿し、のし紋様が鮮やかな淡藤あわふじ色の打掛を羽織っている。

 対して、彼女と並んで歩く深芳は、緩くうねった栗色の髪を後ろに流し、裾に大輪の花をあしらった山吹色の打掛である。

 二人は扇子で口元を隠し、何事かを話しながら進んでくる。頂点を極める二人の女性の登場に会場は色めき立った。


 深芳が、ふと話すのを止めて、とある一角に目を向けふわりと笑う。その艶めいた所作にどよめきが起こったが、その視線がただ一人の男──八洞やと十兵衛の後ろに座る下野しもつけ与平に注がれているとは、皆思いもよらない。

 誰に気づかれることもなく深芳と目が合った与平は、彼女に密かに微笑を返した。


 次に左回廊から伯子碧霧が二人の姫君を伴い現れた。

 濃い青紫の直垂ひたたれに身を包んだ彼は、泰然とした様子で廊下を進む。その姿を見て、誰かが「沈海平しずみだいらでの遠征で一回り立派になられた」と囁いた。


 しかしそれも、後に続く一つ鬼と二つ鬼の姫君を評する声にかき消された。

 碧霧のすぐ後ろに続くのは、裾に小花の刺繍をあしらっただけの乳白色の打掛を羽織った紫月。まるで白無垢のような衣装をまとった彼女を、碧霧自らが左の席に案内する。そして彼は、彼女の手の甲にそっと口づけた。


「なんと。落山の姫は、婚礼衣装のようではないか」


 紫月の姿を見て、会場がざわめいた。

 一方、美玲は緋色に金糸の刺繍がほどこされた打掛である。彼女の今の勢いを彷彿とさせる華やかな衣装に、別の声が負けじと上がる。


「七洞の姫も、堂々たるものだ。落山の姫の教育係だと聞くが、そのような立場で伯子に随伴するなど、そもそも聞いたことがない」

「いやいや、」


 とは、また別の声。無責任な評し合いは止まらない。


「落山の姫君は千紫さまのお気に入りであるとか。それに加えて母親譲りの美貌──、伯子は何をされても許してしまうほどのご執心ぶりだと聞いたぞ」

「しかし、寵愛だけではまつりごとはできぬ。落山の姫はこれといった後ろ楯もなく、あるのはその美貌だけぞ。その点、七洞の姫は奥院の南舎みなみやに一室を与えられ、落山の姫だけでなく伯子の補佐もしている。最後にものを言うのは政治力よ」

「確かになあ。落山の姫は、東舎ひがしやの紅梅の間を与えられたというのに滅多と姿を現さず、宵のお務めさえ拒絶なさっているとか。奥院でそのような我儘わがままをいつまでもお許しになるほど千紫さまも甘くはなかろう」


 この対照的な二人の姫の今後で、自分達の立ち振舞いも変わるので、ある意味必死である。ただ、落ちぶれた元伯家の姫より、現洞家の姫の方がやはり有利であろうというのが大勢の意見だった。


 七洞家の佐和は、こうした評し合いを耳に入れるにつけ、密かにほくそ笑んでいた。

 落山の姫君の婚礼衣装のような白い打掛は気に入らないが、我が娘の豪華な緋色の打掛だって過分な待遇である。

 これはすでに妻の座を約束されたと思っていい。それどころか、美玲が正妻の座を奪い取ることが十分にできる、と佐和は信じていた。


 伯子とその姫君がそれぞれの席に着いた時、太鼓の音がさらに大きく鳴り響いた。鬼伯旺知のお出ましである。

 左回廊から、近習の若鬼を左右に伴った旺知が姿を現す。芥子からし色の金襴織きんらんおりが見事な直垂ひたたれをまとい、傲岸不遜な面持ちで南庭に集まった鬼たちを圧倒する。

 厳かな空気を蹴散らすように大股で歩き、彼は影霊殿中央の御座みくらにどかりと座った。


 脇に控えた侍女たちが、一斉に夕膳を運び始める。今夜は、芸能の披露と会食を同時に行う趣向である。


「皆、よく集まってくれた。今宵は楽しんでいってくれ」


 旺知がさかずきを高らかに掲げた。宵の花びらが舞い散る中、春の宴が始まった。

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