4.宴の前

「お忙しいところ申し訳ありません」


 美玲があらためて千紫に対し頭を下げた。気の強そうなつり上がった目はそのままに、一転して人懐こい笑顔を見せる。

 千紫も柔らかい笑みを美玲に返し、向かいのソファーに座った。


「かまわぬ。ちょうど休んでいたところじゃ。して、何事か?」

「はい。奥侍女の配置について、お願いがございます」


 美玲がすっと真顔になり居ずまいを正す。その厳しい顔つきは少し小野木を思い起こさせる。

 千紫が頷いて先を促すと、美玲は言葉を慎重に選びながら話を続けた。


「あれこれと根拠のない噂話をする侍女がいます。私は元より大勢の前でためらうことなく自慢げに話します。中には、紫月が私のことを鼻持ちならない生意気な姫だと言っているという告げ口まがいのものまで」


 美玲が権勢を笠に着るような振る舞いをしていることは千紫も承知の上である。奥院にはそんな彼女の姿を見て、「側妻そばめ」どころか「正妻」候補だと噂する者がいるのも確かだ。中には、みえみえの下心を隠しもせず美玲にすり寄ってくる輩もいる。


「具体的には誰のことじゃ?」

「……清音という名の侍女にございます。笑い話のような噂であれば聞き流すのですが、あれの言葉には相手との関係を断ち切らせようとする悪意を感じます。ああいう物言いは、紫月の最も嫌いとするところ。私も好きではありません」


 美玲が嫌悪をあらわにした顔で吐き捨てた。口を閉ざすことを美徳とする御用方の娘らしい。

 彼女の言葉を受け、千紫は部屋の隅に立つ雪乃に「という話だ」と目を向ける。雪乃がにこりと笑った。


「美玲殿、お話は分かりました。こちらで真偽のほどを確かめさせてもらいましょう。その後の処遇についても任せてもらえますか」

「ありがとうございます。もちろん、全てお任せいたします」


 神妙な顔で頷く美玲を見て、千紫は満足げ笑う。彼女は表と裏の顔を上手に使い分けている。敵に回すと厄介だが、味方であれば頼もしい限りだ。


「美玲、南舎みなみやに用意させたそなたの部屋はどうか」

「はい、おかげさまで何かと便利です。私は仕事以外でのお泊まりはありませんので、あの場所がちょうどいいです」


 南舎みなみやは、奥院の中でも執院に近く公的な場所になる。千紫は、そこに美玲の部屋を用意させた。これは、奥頭の雪乃や筆頭侍女の小野木など、一部の女性にしか認められていない待遇である。

 今は、春の宴に向けて紫月の衣装などを美玲主導のもと決めている。当然、そこには美玲自身のものも含まれている。一介の洞家の姫の衣装を奥院が用意するなど聞いたことがなく、ただの教育係とは思えない扱いに、七洞家では母親の佐和がほくほく顔だ。

 ただ美玲は、こうした扱いは全て教育係としての給金のようなものだと考えていた。母親は「東舎ひがしやに部屋を与えられる日も遠くない!」と息巻いているが、当の本人は南舎みなみやの一室で満足であり、そこで充実した毎日を送っている。


「今日、紫月は奥院に来ないのかえ?」

「ええ、宴の当日まではやることもありませんし。今日は、里中で碧霧さまと会っていると思います。きっと伯子は夜までお帰りにならないのでは?」


 美玲がふふふと笑って千紫に答える。三日後、紫月の本当の姿を見て誰もが驚くだろう。それまでは、せいぜい自分が目立っていればいいのだと、美玲は思っていた。




 夕方前、思いのほか早く碧霧が御座所へ戻ってきた。

 彼の執務室である中ノ間、左右の守役が「おかえりなさいませ」と出迎えると、沈んだ顔で入ってきた碧霧はそのまま机に突っ伏した。


「どうされました?」

「……なんでもない」

「なんでもないで、その状態はないでしょう? ここに来たのなら仕事をしてください」


 左近に言われ、碧霧がやおら顔を上げる。その情けない表情に左近と右近は怪訝な顔を見合せた。


「また……、紫月さまと何かおありで? せめて半年くらいはもたせられないので?」

「違う、そうじゃない」

「では、なんです?」

「……猿師に会った」


 猿師とは、人の国伏見谷の妖猿で、大妖狐九尾の唯一の弟子である百日紅さるすべり兵衛ひょうえのことだ。端屋敷はやしきに強力な結界を結び、今も女主人である藤花を大切に守っている。

 三百年前の政変では、一人で月夜の里に乗り込んで来たという話も残っており、碧霧にとっても一度は会ってみたい憧れのあやかしで、端屋敷に通っていれば会えるかもと期待していた気持ちはあった。

 右近が「へえ、」と無邪気に笑った。


「会えたんなら良かったじゃないですか。以前から一度会って話をしたいとおっしゃってましたよね」

「良くない!」


 言って碧霧は両手で顔を覆った。

 そう、全く良くなかった。

 なぜなら、離れの部屋で紫月と愛し合っている最中にかの妖猿はやって来て、彼にことの一部始終を聞かれていたのだから。


 地を穿つような眼光鋭い細面の男は、後ろに撫でつけた短髪にシャツとズボンという現代の人の国の格好で、一目見ただけで「猿師」だとすぐに分かった。

 そして、そんな彼から投げつけられたのは、身も凍るほどの冷ややかな視線──。その目は、「余所よそんちで何やってんだ、このタコ」と言っていた。


 碧霧からことの顛末てんまつを聞かされ、左近と右近は顔を引きつらせ絶句する。


「俺、絶対にただの馬鹿だと思われた……」

「それは、まあ、」

「そうですね……」


 再び碧霧が、わっと机に突っ伏した。そんな若き主を、左右の守役は気の毒そうに見つめた。

 自業自得と言えばそうなのだが、我が主はここぞという時に間が悪い。

 ちなみに、紫月と会って間もない頃、両目に受けた呪詛じゅそは猿師の仕業であるということは、知る由もない碧霧だった。


「そんなに落ち込まないでください。春の宴が終われば、紫月さまの扱いも変わるでしょう」

「そうですよ。そうすれば、逢引のような真似をする必要もなくなりますし。うちの母親も、これで端屋敷が逢引宿でなくなると言ってましたし」

「初音もそんなことを言ってたのか?」

「あ──、いや、はい」


 左右の守役が微妙な感じに主を励ます。

 伯子と落山の姫と、二人に関わる者たちのさまざまな思惑が交錯する中、春の宴が始まる。

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