4.お茶の苦味

 不満顔の紫月に千紫は説明を続ける。


「七洞利久は出世欲もなく権力争いにも興味がない。もし仮に洞家の誰かをめとらねばならないというのであれば、最も影響がない七洞の姫を私は迷わず選ぶ。何より、くだんの姫は此度の大喧嘩の原因じゃ。おまえを認めていない伯にも説明を通しやすい」

「で、私の下につけるってこと?」

「ひとまずは。だが、洞家の姫をこのように扱うこと自体が異例。事実上の側妻そばめ候補と思っている者もいるだろう」

「……葵に、このことは?」

「もちろん話した。怒り狂うておる」


 千紫が茶化した風に答える。その様子から息子の意向を全く聞き入れるつもりがないことが伺えた。とは言え、千紫にとっても、洞家や家元たちへ牽制をしなければならない中で導き出した苦渋の一手だ。彼女の為政者としての顔が垣間見える。

 紫月はにわかに「良い」とも「悪い」とも答えられずに黙り込んだ。


 好きな相手とただ一緒にいることがこんなに難しいなんて。御座所おわすところとは、なんてややこしいところだろう。


 すると、そんな紫月の手を千紫が優しく取って、真な眼差しで彼女を見た。


「おまえが怒る気持ちは十分に分かる。しかし、碧霧はおまえ以外はめとらぬと言っている。それでもう許してはくれまいか」

「七洞の姫君は怒ってない?」

「さあ? 妙な期待を持たせぬよう、彼女には慢心することなく務めよとだけ伝え、碧霧とのこともあえて謝ってはおらぬ。これで、身の程を知らず欲をかくような娘であれば私が潰す。半端な覚悟で伯子の側に上がるとどうなるのか見せしめにもなる」

「……物騒な話ね」


 思わず紫月が苦笑すると、千紫が「ここはそういう場所じゃ」と当然のように笑った。


 本来であれば、その覚悟は自分自身にも課せられるものだろう。今回の一件が碧霧と自分ではなく他の姫君であったら、その姫はきっと怒ることさえ許されなかった。


 あらためて自分は守られていることを紫月は知る。

 同時に、小野木の「女は男の道具」という言葉を思い出す。自分が本当に怒りを向けるべきは、おそらくそこだ。

 紫月はきゅっと口を真一文字に結ぶと、両手をついて頭を下げた。


「七洞の姫君の話、分かりました。私は辺鄙へんぴな山奥の育ちゆえ何かと粗相がございます。かの姫君にいろいろと教えていただきとうございます」

「ありがとう、紫月」


 千紫がほっと表情を和ませ、大きく頷いた。




 同じ頃、碧霧は落山の屋敷にいた。

 千紫がまさか紫月を呼び出しているとは知らず、お忍びで彼女に直に会いに来たのだ。碧霧にしても、千紫に落山へ出かけることは言っていない。親子間での情報共有不足(秘密主義とも言う)は、碧霧の家あるあるだ。


 あの日以来、紫月に対して飛ばした式神はことごとく無視されているし、右近を遣いに出しても追い返された。

 本当ならすぐにでも会いに来たかったが、三か月も御座所を空けていたので、そのしわ寄せが一気に来た。なんとなく気後れしてしまったというのも正直なところある。しかし、そんな悠長なことも言っていられなくなった。


 七洞の姫を紫月の教育係として千紫が召し出したからだ。

 洞家や家元たちを牽制するためだと千紫には言われたが、納得できる訳がない。紫月に「ふざけるな」と言われるのは目に見えており、とにかく弁解に行かないとと思ったのだ。


 波瑠という名の侍女に、南の庭に面した部屋に案内される。閑静な森に囲まれた屋敷は、部屋の造りも質素で、ひなびているが趣きがある。庭は冬という季節柄のせいか、枯れた草で荒れ放題だった。

 以前、母親が薬草好きで訳の分からない草がいっぱい生えていると紫月が言っていたことを碧霧は思い出す。


 待たされることしばし、一人の女性が部屋に入ってきた。


「お久しゅうございます。碧霧さま」


 緩やかにうねった栗色の髪を揺らし、美しい一つ鬼がたおやかに笑った。

 落山の女主人にして紫月の母親である深芳である。手には湯呑が乗ったお盆を持っている。


「申し訳ございません。紫月は所用であいにく外出しております」


 言って深芳は柔らかな所作で碧霧の前に座ると、彼にお茶を差し出した。


「話は私が承ります。さ、粗茶でございますが、どうぞ」

「ありがとうございます」


 碧霧はがっかりと落胆しつつも、それを顔に出すことなく湯呑を手に取る。風変わりな匂いが立ち上るそれは通常のお茶ではないことが一目で分かる。おそらく薬草茶だ。

 彼女が薬草に精通していることは母親の千紫からも聞いている。両目に呪詛を受けたときに塗った彼女の薬は、薬所くすどころが用意したものよりもずっと効き目があった。


 おそるおそる口にすると、驚くほどの苦味が口の中に広がった。およそ客に出すお茶の味ではない。それでも我慢し、一口分をぐいっと飲む。喉に痺れるような苦味が絡みついた。


 ちょっとこれ、本当に苦い。


 ちらりと深芳を見れば、にこりと無邪気に笑い返される。碧霧は観念して二口目を口にすることにした。


「変わった味でございましょう?」

「はい。薬草茶ですね。どのような効能が?」

「ええ。なります」


 思わず碧霧は飲みかけのお茶をごふっと吹き出した。深芳が「あらまあ、いけない」と、さして慌てる様子も見せずに手拭いを差し出す。

 碧霧は慌ててそれを受け取ると、目を白黒させながら口の回りを拭った。


「た、たた──、え?」

「紫月には、」


 動揺する碧霧をまったく無視して深芳が淡々と話し始める。


「男の女遊びなどよくあることだと言い聞かせておきました。まさか母親の私まで一緒になって怒るわけにもまいりませぬし、あなたさまの素行は以前から私の耳にも入っておりましたゆえ。そもそも、女が思うままに生きられないのは世の常にございます」

「あの──」

「しかし、」


 口を挟もうとする碧霧を退け、深芳が言葉を続ける。彼女は一呼吸置いてから、鋭い視線を碧霧に投げつけた。


「こちらとしても納得した訳ではございませぬ。今まで好き勝手に女を摘まんでいた方が、いきなり本気だと言われても……。どうせなら、過去の素行をきれいさっぱり揉み消すぐらいの悪どさをお見せくださいませ。そちらの方がよほど清々するというもの。中途半端な男ほど、どうしようもないものはございませぬ」


 そのドスの効いた声に碧霧は身を強張らせた。

 きれいさっぱり揉み消せなんて、言っていることがめちゃくちゃだが、ものすごく怒っていることだけは分かる。


「で、碧霧さまはいったい何をしにいらしたので?」


 何も言えなくなる碧霧の前で深芳はにこりと優美に笑った。

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