6)謀る者、決する者

1 異変

 その日の夜遅く、利久は七洞家の屋敷に戻ってきた。

 当主が遅く帰ってくることは役職を持つ洞家ではよくあることである。そんな時、当主を出迎えるのは妻の役目であるが、七洞家では慣れた家の者が全て世話をしてくれるので、佐和がわざわざ出迎えたことはなかった。

 しかし今日は珍しく、佐和は夫に呼び出された。


「このような夜半近くに、なんでございましょう?」


 利久の書院に入ってすぐ、佐和は不機嫌な顔を夫に向けた。正直、今はそれどころではなかった。

 なぜなら、御座所おわすところから帰ってきた美玲が部屋に閉じこもって出てこず、ついさっきまで佐和は彼女の部屋の前であれこれと気をもんでいたのだ。


「美玲が具合を悪くしておりまして。用件は早めにお願いします」


 佐和は険のある口調で利久に言った。自分の不機嫌さを誇張すれば、夫はあたふたと慌てるのはいつものことだった。

 しかし、今日の利久は慌てるどころか、冷えびえとした顔を返してきた。


「美玲は明日からしばらく出仕を控えさせる。おまえがかまう必要はない」

「いきなり何を──」


 刹那、佐和の前に一枚の手紙が差し出された。透かし模様の上品な和紙に包まれたそれを見て、佐和は息を飲んで凍りつく。利久の抑揚のない声が降りかかってきた。


「この手紙は、おまえの手だな? 美玲の名で落山の方に宛てたものだ。美玲の休みに合わせて都合良く落山の方が呼ばれたのも、清音に美玲の予定をおまえが教えたから──。違うか?」

「これをどこで──」

「おまえの知るところではない」


 利久は妻の反応を確認したところで手紙を再び懐深くしまい込んだ。そして妻へ短く言い渡した。


「出ていけ。期限は明日の朝。それ以降、この屋敷内をうろついていたら切って捨てる」

「おっ、お待ちください! みっ、美玲のためにございます!!」


 蒼白になりながら佐和は額を畳に擦りつけた。


「落山の姫は、奥の方に取り入って好き放題な振る舞いをしております。その証拠に、清音という侍女が美玲びいきというだけで奥院から追い出されました。落山の姫の仕業にございます。このままでは、美玲も奥院から排除されます。ですから私は……」

「何を言い出すかと思えば。清音の配置替えは、美玲の進言だ」

「え?」

「落山の姫君に対する根も葉もない噂が聞くに堪えないと、美玲が奥の方にお願いしたものだ。嘘とお喋りは、美玲の最も嫌いとするところだからな」


 そんな馬鹿な。

 清音を使い、自ら撒かせた嘘の数々。全ては娘のためにやったことだ。

 そうだ、全ては娘のため。これで彼女の将来が決まる。


(旦那さまも私の話を聞けば納得するはずだ。私は間違っていない──)


 佐和は利久に食い下がった。


「旦那さま、これは次洞じとう佐之助さまに頼まれたことにございます。次洞さまもお困りの様子で、かの姫にお灸を据える必要があると。そ、それにっ、上手くいけば、美玲を正妻に推してくださるとおっしゃって──、」

「その証拠は?」

「は?」

「次洞佐之助が関わっていたという証拠だ。手紙を書いたのはおまえ、それを知って落山の方に渡るよう仕組んだのは清音という侍女。それ以上の事実は出てこんよ。それぐらいのことも分からんか」

「でも、次洞さまは美玲を伯子の正妻にと……」


 しかしその声は尻すぼみとなった。なぜなら利久が興味を失くした顔でため息をついたからだ。そして彼は、会話を打ち切るように立ち上がった。


「今は着替えをしに戻ってきた。着替えたら再び出仕する。その間におまえは出ていけ」


 そう言い残し、利久はその場に茫然自失で座り込む佐和に目もくれず部屋を出ていった。





 夜半過ぎ、千紫は雪乃の声で起こされた。とは言え、もともと眠れていた訳ではない。


 自分の預かり知らない内に深芳が奥院を訪れ、そして何もせずに帰って行ったと報告を受けたのが夕刻、すでに日もとっぷり暮れてからだった。

 少し気になったものの、後日あらためて本人に聞けばいいだろうと千紫はその報告を受け流した。


 次に、下野しもつけ与平が火トカゲのことで里中に行ったきり帰って来ないと、八洞やと十兵衛が帰り際に訪ねて来た。が、これについても明日に報告を受ければいいのではと十兵衛を帰した。


 さらに奥院に下がると、今度は小野木がやって来て、旺知が夕刻前から出かけたきり帰らないと言う。

 どうせまた、良からぬことを考えているのでは──と思った時に、今日の妙な報告のあれこれがふいに思い出された。いくらなんでも重なり過ぎだ、と。


 すぐに阿紀という名の一つ鬼の侍女を呼びつけ、旺知の所在を確認するよう命を下す。ついでに落山の屋敷まで行って、何か変わったことはないか様子を見てくるよう頼んだ。

 火トカゲのことは、息子が取り仕切っていたことなので何も分からない。これについては、当初の予定どおり明日報告を受けることとし、千紫は早々に寝床に就いた。


 妙な胸騒ぎを抱えたまま、寝たり起きたりを繰り返す。ようやくうつらうつらとし始めた頃、廊下で雪乃の声が静かに響いた。


「千紫さま、お休みでございましょうか」

「起きている」

「至急、お知らせしたいことがございます」

「うむ、入れ」


 刹那、阿紀を伴った雪乃が障子戸を開けて中へ入ってきた。二人は素早く戸を閉めると、そろって軽く頭を下げた。


「何かあったか、阿紀」

「はい」


 緊張した面持ちで阿紀が前に進み出る。千紫が先を促すと、彼女は口を開いた。


「落山に、深芳さま、紫月さまのお姿がありません。加えて、姉の波瑠もおりません」

「どういう──ことじゃ?」

「分かりません。しかし、部屋は土足で踏み荒らされ、調度品なども倒れておりました。さらに土間には血痕が残っており、おそらく波瑠姉さんのものかと思われます。すぐに花月屋へ式神を飛ばし、兄の那津に行方を探すよう頼みました」


 愕然とした面持ちで千紫は阿紀の言葉を聞いた。ややして彼女は、きっと鋭い視線を阿紀に向けた。


「伯は見つかったか?」

「それが、皆目分からず。ただ、気になったことが──」

「なんだ?」

「何やら、次洞じとう家が私兵を集め、どこかへ向かわせた模様です。出ていく様子を見た者がおりまして」

「私兵だと?」

「はい、一気に空へ舞い上がり、夜空の闇に消えてなくなったとのこと。私兵の規模、佐之助さま本人が同行しているかどうかまでは分かりませんでした」

「……」


 自分の知らないところで何かが起きている。彼女は思案げに視線を巡らせた。


「雪乃、六洞重丸を至急呼び出し、四番隊に方々の空を調べるよう伝えよ。あと、次洞家の加野に連絡を。佐之助が屋敷にいるかどうか知りたい。亜紀は、那津と合流して深芳たちを探してくれ」

「承知しました」

「私は、東ニノ間ひがしにのまで待つ。着替えをしたい。小野木を呼べ」

「はい」


 二人の侍女が低頭し、足早に部屋を去る。千紫は大きなため息とともに立ち上がった。

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