5.月夜からの知らせ

 碧霧が宗比呂との商談を終えて鎮守府に戻ると、左近と加野、そして佐一が執務室に集まり何やらあれこれと言い合っていた。


「どうした? そんなに頭を寄せ合って、」

「ああ、おかえりなさいませ。右近から、紫月さまを霞郷かすみのごうへ送ると連絡がありましたが、お会いになれました?」

「いや……入れ違いになったかな。俺が出る時はまだ帰ってきていなかった」


 答えながら碧霧は三人の中に混じって座る。テーブルには、分厚い帳簿がいくつも広げられていた。


「それは、真比呂から預かっている水天屋の帳簿だな。上納金のことは分かったか?」


 左近が「はい」と頷きつつ、「上」という文字をマルで囲んだ印を指差す。


「この『上マル』という印の付いたものは全てそうかと」

「……具体的にはいくらだ?」

「毎月百五十貫ほど。人の国の金で払われている時もあります。どちらにしろ、決して安い金額ではありません」


 阿の国は、貨幣制度が脆弱で人の国ほど発達していない。人の国を真似て、御座所おわすところでも昔ながらの銭貨を発行しているが、そもそも必要だと思っていない者も多く、今でも物々交換がまかり通る。そこへ、人の国の硬貨や紙幣が流入してくるので、阿の国の銭貨はさらに価値が低くなり、千紫や十兵衛の悩みの種となっている。

 その阿の国で、定額の金を納め続けることは、それなりの財力が必要だ。


「上納金の記録は、三年ほど前から突然始まっています。佐一によれば、平八郎が直轄地を広げようとし始めた時期と一致するそうです」

「水天屋は鎮守府への陳情を一手に引き受けていたと言っていたな、佐一」

「はい。水天狗の要望だけでなく、沈海平しずみだいらに住むあやかしたちと鎮守府の仲介役を担ってくれていました」

「そうか、惜しい者を失くした」


 その水天屋が続けていたという上納。

 つまり、今までは水天屋の金が、鎮守府の横暴な動きを止めていた可能性がある。おそらく、水天屋の主人は小梶平八郎を金で黙らしていたのだろう。

 そして、その上納額が年々増えていっている。いくら奈原で成功した商人と言っても、かなりの負担となっていたはずだ。


「問題は、この金の行方です。下野しもつけ隊長に式を飛ばして再度確認したのですが、この金は鎮守府からの収入としては上がっていません」

「……平八郎が甘い汁を吸っている?」

「可能性は十分に。しかし直轄地拡大の話自体、鬼伯が知ってのことです。この裏収入を鬼伯が把握していないとも思えません」


 碧霧は佐一に目を向けた。


「佐一、鎮守府の財務状況について分かるか?」

「金勘定については、勘定頭という役の者に全て任されています。公の資金についてはある程度分かりますが、裏金のこととなると……」


 すると、加野が遠慮がちに口を挟んだ。


「あの……。このことか分かりませんが、月夜の里に送るのは三分の二だと、義父ちちが言っていのを聞いたことがあります」


 皆が一斉に彼女を見た。加野が伏し目がちに答える。


「たまたま義父ちちの部屋に居合わせた時に、勘定頭に対して出していた指示を耳にしたのですが……。なんとも曖昧な言い方だなと不思議に思いながらも、相手が勘定頭なので、お金の話だろうと思ってぼんやりと聞いておりました」


 碧霧が握りこぶしを口元に当てて考え込む。奈原から上がってくる裏金を府官長に全て握らせるほど父親は甘くない。おそらく、平八郎はおこぼれに預かっていた考える方が妥当だろう。


 では、残りは月夜のどこへ?


 その時、廊下の向こうから足音が近づいて来て、部屋の前でぴたりと止まった。


「伯子、よろしいでしょうか」


 まさに話をしている府官長の平八郎が、執務室の様子を伺うように入ってきて、戸口で一礼した。

 左近がさっと庇うように加野を背中に隠しつつ平八郎に向き直った。


「どうした? 夕餉ゆうげの時間にはまだ早いはず」

「月夜の里から式神が届きましてございます」

「式?」

「はい。次洞じとう佐之助さまからでございます」


 洞家筆頭の佐之助は旺知の右腕である。左近がちらりと碧霧を見やると、碧霧は小さく頷き返した。


「佐之助はなんと?」

「はい。伯子におかれましては、月夜の里にお戻りになり、すみやかに事の次第を鬼伯へと報告してくださいますようにとのこと」


 場の空気が少なからず重たくなる。佐之助からの連絡ではあるが、明らかに父親からの帰還命令だ。

 平八郎がおずおずと言葉を続ける。


「それと……」

「なんだ、まだあるのか?」

「宵臥の姫君も必ず一緒にお戻りになりますようにと」


 碧霧の顔がぴくりと強ばった。ややして彼は、「分かった」とだけ平八郎に返した。


「では、夕餉ゆうげの用意が整いましたらお声かけいたします」


 言って平八郎は何事もなく部屋を後にした。彼が立ち去り、その気配がなくなってから、左近がゆっくりと口を開いた。


「碧霧さま、いかがなさいます?」

「……こちらからも式を。半月後に帰ると」

「半月後、ですか?」

「まずは半月後と。もっと早く帰って来いと言われれば、それに従う。仮に半月でいいと言われれば、その分こちらにも余裕ができる。まだ、やり残していることがある」


 本当はもう少し引っ張りたいところだが、半月が限度だ。それ以上引き伸ばせば、父親から余計な不興を買う。下手をすれば、水天狗たちに迷惑がかかる。


「明日、真比呂と紫月に話をしに行く」


 碧霧はため息まじりに言った。

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