4.紅の鬼は馴れなれしい

 奈原の里の大通りは、月夜の里の「曲坂まるざか通り」と似ている。

 食べ物から衣服、小間物、めし屋まで大小さまざまな店が所狭しと立ち並び、その隙間に座敷を広げた露店商もある。

 一つだけ月夜の里と大きく違うのは、鬼の姿が少ないことだ。直轄地であるので、全くいないわけではないが、やはりその数は少ない。


 特に、小袖袴姿で帯刀している右近は目立つ。六洞家の娘である男装の麗人は今や奈原でもすっかり有名である。そして、今日も右近は姫君たちの買い物に付き合わされている。


「ねえ右近、あなたもたまには可愛いのとか着ないの? 例えば、私が着ているこれとか」

「着ません。それは裾がもたついて、いざという時に動きにくいじゃないですか」

「あ、だったら脇にスリットを入れるとか──」

「いいですね。右近さん、上背もあるから似合うと思います」

「特注してくれたら考えますよ」


 バカバカしいと言わんばかりに右近が肩をすくめた。そして、あちらこちらに鋭い視線を投げつけて歩いていく。そんなに威圧的にならなくても、と紫月は内心苦笑するが、「これぐらいしないと舐められる」というのが右近の弁だ。

 実際、右近を女だと軽んじた輩に絡まれたことがあった。しかし、彼女はあっという間に悪漢を組み伏せてしまい、以来、彼女は「月夜つくよの女武人」と呼ばれている。


 大通りをしばらく歩くと、大きな服屋が見えてきた。色とりどりの生地が店の前に並べられた衣桁いこうにかかり、ゆらゆらと風に吹かれて揺れている。

 紫月と妃那古が「新色が出た!」と手を取り合って歓喜の声を上げた。


「じゃあ、私はここに座って待ってますから」


 右近は店先の端に置かれた縁台に腰を下ろすと、二人にひらひらと手を振った。姫君二人は、きゃあきゃあと騒ぎながら店の中に入っていく。

 その後ろ姿を見送りつつ、彼女はふうっと息をついた。


 正直、嘘みたいに平和だと思う。問題が全くないわけではないが、沈海平の問題がここまで順調に行くとは思わなかった。

 伯子が話し合いを望んでいたとは言え、それなりの武力衝突を一つ二つ経て、半ば力で押さえつけながらの和平を予想していた。事実、今の伯家は、そうして北の領の不満を押さえ込んでいる。

 こんなにすんなりと水天狗たちに受け入れられたのは、伯子が誰よりも大切にしているあの歌姫のおかげだ。


 すると突然、


「よお、六洞りくどうの姫」


 ふいに、呼ばれ慣れない呼び方で声をかけられ、右近は声のした方へと首を回した。そこに褐色の肌に赤い髪の派手な男が立っていた。


「魁、」

「今日も姫さんの護衛か?」

 

 彼と出会ったのは二か月ほど前か。「女のくせに」と因縁をつけてきたゴロツキを組み伏せた時に、隠れていた仲間が飛びかかってきたのを助けてくれた。まあ、助けてもらわなくても大丈夫だったと右近自身は思っているが。


 今日の彼は、芥子からし色の小袖に濃紺の上衣を片肌脱ぎして、腰には色鮮やかな太い飾り紐を幾重にも巻いている。なんともかぶいた格好だ。

 そして頭には二本の角。しかし、形状が少し違う。右近の頭の角は真っ直ぐなのに対し、「魁」と呼ばれる男のそれは少し反っている。西の領は鬼の一族、「くれないの鬼」の特徴だ。


 魁は阿の国をまたにかけて旅をしている商人らしい。今は奈原に滞在中らしく、ゴロツキの一件以来、右近の姿を見つけては声をかけてくるようになった。


 片手に団子の皿を持ちながら、彼は右近の隣にどかりと座った。上背のある右近よりさらに頭一つ半ほど高く、体格もがっちりしている。もみ上げからあごにかけての無精ひげは旅人らしい風貌であるが、筋肉質な太い腕は商人のものとしては少々たくまし過ぎるように思えた。


「ほら、団子を食うか?」

「別にいい」

「そう言うな。甘すぎず、ここの団子は美味い」


 言って彼はぐいっと強引に団子が乗った皿を右近に押しつける。「六洞りくどうの姫」などとこちらの立場を強調するくせに、その肩書きを全く意に介していないことが分かる。右近は押し負ける形で団子の皿をしぶしぶ受け取った。


 ちらりと魁を見ると、人懐っこい顔でこちらが食べるのをじっと待っている。ぱくりと団子を頬張ると、梅の香りが口の中に広がった。


「うん、美味い」

「だろ?」


 思わず呟く右近に、魁は満足そうに口の端を上げた。そして、やんわりと服屋の奥に目をやった。


「あんたは入らんのか?」

「ああ、必要ない」

「そんな堅苦しい格好ばかりしてないで、たまには色っぽいの着ろ。なんなら俺が見立ててやる」

「断る」


 右近が嫌悪感をあらわに魁を睨んだ。そして、ごちそうさまとばかりに団子の皿を彼に返す。人懐っこい顔に油断をしてしまうが、この男はくれないの鬼である。

 北の領と西の領の関係を考えた時、気安くしていい相手ではない。


「用がないなら行ってしまえ」

「つれないな。団子を食わせてやっただろ。この前は饅頭だって。これだけ貢いでるんだから、少しくらい情が湧いてもいいだろう?」

「だったら金を払う」

「いらねえよ。借りは作っておいて損はしないからな」


 魁はにやりと笑って煙管きせるを懐から取り出す。そして断りもなく火をつけると、ぷはりと煙をくゆらせた。どうやら立ち去る気はないらしい。


「それにしても長い滞在だな。いつまでいるつもりだ? 月夜の伯子ってのは、そんなに暇なのか?」


 今度は話が若き主のことになる。右近は、すっと厳しい顔つきになった。


「毎日ふらふらしているおまえに言われたくない。それに、碧霧さまの予定をおまえにベラベラ話すつもりもない」

「俺はただの商人だぞ」

「西の領の間者かもしれないだろ」

「だとしたら、もう少し懐柔しやすい相手に声をかけてらあ。例えば、あの美人でキャピキャピな姫さんとか」

「な──っ」


 暗に紫月にちょっかいを出すと言われ、右近は思わずぎろりと目を見張る。魁が「はははっ!」と大声で笑った。そして、これで終いだとばかりに煙管きせるを膝で打って、彼は立ち上がった。


「またな、右近。そうさな、次に会う時はもう少し色っぽいので頼むわ」

「二度と声をかけるな!」


 しかし、彼女の声はむなしく通りの喧騒に飲み込まれた。

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