2.伯子、本気で赤鉄を売る

 昼食を終えて河童の様子を少し見てから、碧霧は真比呂と霞郷かすみのごうへ戻り、紫月たちはそのまま奈原へ遊びに行った。


 奈原は治安があまり良くないが、吽助うんすけも連れているし、右近に護衛に来てもらうよう鎮守府へ連絡した。買い物にしても、鎮守府のツケで買うため現金は持ち歩かなくてもいい。


 碧霧たちが霞郷に戻ると、すでに到着していた宗比呂が二人を出迎えた。


「ただいま、真比呂。伯子もお変わりないようで何よりです」

「宗比呂おう、いろいろありがとう。どうですか? 月夜での商売の方は?」

「おかげさまで」


 宗比呂は上機嫌な様子で笑った。


「ここ数日、一気に寒くなったでしょう? 並べた先から赤鉄が売れていく。あんな物が高値で売れるなど、誰も思っていなかったでしょうな」


 ほくほく顔の彼に碧霧も満足げに頷く。


 里中の商人の協力を得て、「火トカゲ」と「赤鉄」を本格的に売り出したのは二か月ほど前。最初の頃は、「そんなもの、どこにでも落ちているじゃないか」と誰もが冷ややかな反応だった。


 しかし、火を使えないあやかしに「お試し一回限り」と銘打って火トカゲと少量の赤鉄を無料で配り続けること半月、「使い勝手が良かった」と再び赤鉄を買いに来る者がぽつりぽつりと現れた。

 その内、「火トカゲは便利がいい」という噂が広がり、中には火を自身で操れるはずのあやかしまで買いに来るようになった。


 以降、購入者の数は徐々に増え続け、本格的な冬の到来とともに一気に需要が高まっているという訳だ。これを機に、奈原でも火トカゲと赤鉄を売り込む予定だ。

 店は元水天屋のあった場所を予定している。水天屋の主人がなくなった後に他の者の手に渡ったが、佐一がそれを買い戻すため交渉中である。


 しかし一方で問題も出てきた。「火トカゲは儲かる」と知った輩が、似たような商売を始めたのだ。中には大トカゲに赤い色を塗って「こっちの方が燃えがいいよ!」と詐欺まがいの商品まで出てくる始末だ。


 一階の応接室で、碧霧たちは相談をすることになった。ちなみに勇比呂は、秋に植えた麦の様子を見に行っている。

 宗比呂が南部特性の果実茶を慣れた手つきで淹れ、それぞれに配った。ちなみに、このお湯を沸かしたのも火トカゲである。


「さて、例の類似品対策なんですが、やはり安い物が出てくると客はそちらに流れてしまい」


 どかりと椅子に座り、さっそく宗比呂が話を切り出した。隣で真比呂が渋い顔をする。


「もともと赤鉄なんて無料タダ同然だと思っているだろうしな。どうする、碧霧? 値段を少し落とすか?」


 しかし碧霧は、二人に対して「いや、」と首を横に振った。


「値段は絶対に落とさない」

「強気だな」

「安易な値下げは値崩れの原因になる。別に最初の値段がぼったくりというわけでもない。この価格は正当なものだ」

「しかし、このままでは安物に負けてしまいますぞ」

「ええ。そこで宗比呂おう、差別化を図ろうと思います」


 言って碧霧は一枚の木札を宗比呂に差し出した。

 木札には「沈海平の純赤鉄」という文字と河童の皿の絵が焼き印されている。


「赤鉄の銘柄ブランド化です」

「ブランド化……ですか?」

「類似品は土が混じっていたりして品質が悪い。うちの赤鉄は少し高いが、純度の高い赤鉄だということを全面に出す」

「本気か、碧霧? ブランドって、ただの赤鉄だぞ」

「ただの赤鉄じゃない。うちのは、河童たちが丁寧に集めた混じりけなしの純赤鉄だ」


 いや、そうかもしれないが。でも、やっぱりただの赤鉄だ。

 真比呂たちは、碧霧の並々ならぬ熱の入れように思わず絶句する。


 この伯子、本気である。

 本気で赤鉄を高級品として売りまくるつもりだ。


 真比呂は、紫月が碧霧のことを「お金の塊に見える」と言っていたことを思い出した。水天狗の前で月夜の伯子は勝負師のような顔でにこりと笑った。




 一方、鎮守府では、左近が執務室で帳簿と一人にらめっこしていた。

 右近を紫月たちの護衛のために奈原へ向かわせたため、ここ本殿の離れには誰もいない。


 和平の合意を碧霧が取り付けてすぐ、六洞りうどう衆三番隊は月夜の里へと引き上げた。これ以上の争いはなく、駐留する必要がなくなったからだ。隊長の下野しもつけ与平にいたっては、勘定方筆頭としての執務もあり、わざわざ沈海平に戻ってきてもらうまでもない。それで、碧霧の判断で六洞衆は解散となった。


 現在、鎮守府にとどまっているのは、碧霧と左右の守役だけである。


 静かな執務室でぱちぱちと算盤そろばんをはじく。武門の家ではあるが、学問もそれなりに厳しく教えられた。数字と世情に疎くては他の洞家たちに遅れをとるというのが、両親──重丸夫妻の考えである。


 今、左近が見ているのは碧霧が真比呂から預かってきた帳簿だ。正確に言うと、妃那古が持っていたものを真比呂づてに預かった。それは、今は亡き水天屋の主人の帳簿だった。

 彼女は水天屋の娘で、父親亡き後、奈原の茶屋を追い出されて霞郷かすみのごうに身を寄せていた。父親はかなりの商才であったらしい。奈原では茶屋だけでなく、手広くいろいろな商売をやっていたようだ。

 そして、その利益の一部をへ納めていた。一部と言っても、相当の額だ。

 最近、妃那古からその話を初めて聞いた碧霧が、彼女が身の回りの品と一緒に持ち出したという帳簿を見せてもらうことにしたのだ。


 左近は、帳簿を眺めながら「ふむ」と一人で考え込む。

 ここに来て三か月、若き主は月夜の里の政治から解放されて、のびのびと過ごしている。そんな彼の耳には入れたくないモノが帳簿から見えてきた。


 とは言え、耳に入れない訳にもいかない。


 左近が小さなため息をついた時、廊下の向こうで言い争う声がした。


 争う声の一つは、加野だ。もう一つは──。


 左近は素早く立ち上がると、部屋を出て声のする方へと廊下を進む。

 と、本殿へ続く廊下の手前、加野と平八郎が揉み合っていた。


「や、やめてくださいっ」

「今さら何を嫌がる? 少しくらい──」


 左近は聞こえよがしに咳払いを一つする。平八郎は、はっと加野から離れると狼狽うろたえた顔を見せた。

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