9.伯子が本当に戦っているもの
岩城へ帰りすがら、碧霧は真比呂に「対応策」を説明した。
「赤鉄は、川底から回収しても、結局その処理に困ることになる。だから、火トカゲを使って有効利用しようと思う」
「有効利用?」
「火トカゲは鉄が主食だ。中でも酸化した鉄──赤鉄を好んで食べる。火の吹きもそちらの方がいい」
「……それで?」
真比呂が興味深そうに続きを促すと、碧霧はよくぞ聞いてくれたとばかりに言葉を続けた。
「月夜の里には、火を操れないあやかしもいる。しかし火は、生活には欠かせない。そういう者は、どこかで火種をもらうしかない。これから冬になれば、さらに火の需要は増す」
「まさか、燃料として火トカゲを売るつもりか?」
「正確には赤鉄をだ」
碧霧は口の端を得意そうに上げる。
「火トカゲは
「その利益を税に充てろと?」
「理解が早くて助かる」
なるほどと頷く真比呂に碧霧は満足げに言った。隣では勇比呂が「うーん」と唸っている。
「後で赤鉄を買ってもらうために
「人の国でよくある商法だ。便利な物を
「考えることが悪どいな」
悪びれず答える碧霧に勇比呂はさらに唸った。真比呂は思案顔で考え込んでいる。
その顔は碧霧の話がまんざらでもないといった感じだった。
一方、紫月は初めて聞く儲け話に目をきらきらさせる。
「葵、伯子なんかより商人になった方がいいんじゃない? そんなことを考えていたなんて」
「惚れた?」
「と言うより、あなたがお金の固まりに見える」
すかさず紫月が言い返すと、碧霧は「そこ?」とがっくり肩を落とす。そんな二人の様子を見て、男天狗たちは声を上げて笑った。
それから、四人は岩城に戻り、会談前にそれぞれ時間を取り合った。他の者たちと和解案を調整するためだ。
府官長たちは一階の応接間で待たされていた。碧霧は色とりどりの座布団が並ぶ流木の椅子に皆を座らせ、すぐに真比呂に提示した和解案の内容を説明した。
まず、赤鉄を取り除く作業をこちらで行うこと。次に、赤鉄の処理を兼ねてそれを売り物にすること。最後に、紫月をしばらく
また、頭目である真比呂の内諾はすでに得ており、後は細かな調整だけだということも。
佐一は納得顔、左右の守役もさして驚いた顔をしない。すでに碧霧の意向を分かっていたのだろう。そんな中、真っ先に反対の声を上げたのは府官長だ。
「それでは、こちらが譲歩してばかりではないですか。他の地域に示しがつきません。反乱さえ起こせば、自分たちの意見が押し通ると思われてしまいますぞ」
「そもそも反乱の原因を作ったのはこちらだ。そこの話を何もせず、譲歩もくそもないだろう? それに、税は納めると言っている」
「そんなもの、直轄地となれば当然の義務です。それさえも、払えるようにお膳立てしてやるのでしょう? 宵臥の姫を質として霞郷にとどまらせるのは別にいいとして、赤鉄の処理など天狗たちにさせればいい。なぜ、こちらがせねばならんのだ」
「ちょっと待って。私は別にいいの?」
思わず府官長に突っ込むと、冷めた顔で「それがあなた様の役目でしょう?」と素気なく返された。
握りこぶしとともに、紫月が「なにをぅ?!」とばかりに腰を浮かせる。
なんだか知らないけれど、嫌な感じ! さっきから文句ばっかり!!
「紫月、落ち着いて」
今にも食ってかかりそうになる紫月をさりげなく遮って、碧霧は平八郎に言った。
「俺が手配する。鎮守府の手は煩わせない」
「そういう問題では、」
「水天狗とは、あくまでも対等な関係だ。彼らは別に俺たちの臣僕ではない。それに──」
ここで、碧霧はあえて傲然たる顔で平八郎を睨む。
「伯子である俺が決めた。それに意見をするか。平八郎?」
平八郎がぐっと言葉に詰まり、もごもごと口ごもった。
「私は伯子のことを心配して……」
「無用の心配だな。そもそもこの件に関しては、息子の佐一に任せていたのだろう? なら、黙って最後まで見届けろ」
有無を言わせない強い口調に平八郎が苦々しい顔で押し黙る。ピリピリと張り詰めた身内とのやり取りに、紫月は怒りを忘れて少なからず緊張する。
(葵が本当に戦っているのは真比呂たちじゃなく、こっちだ……)
以前、彼に対して「傍観は同罪だ」と断じたことがあった。しかし、こうしたやり取りを目の当たりにして、傍観せざるを得ないこともあったんだろうなと、今さらながらに思う。
同時に、今後の碧霧の苦労も容易に想像ができて、紫月は心の中で嘆息した。
ちょうどその時、勇比呂が応接間の戸口を叩いた。
「俺たちは準備ができた。そちらはどうだ?」
「こちらも問題はない。頼む」
不満顔の府官長を一瞥しつつ碧霧が答える。
こうして和平交渉が始まった。
交渉は予想以上に順調に進んだ。
これも、事前に碧霧が自身の手の内を全て見せ、そしてそれを受けて真比呂が宗比呂をはじめとした他の水天狗を説得してくれたおかげだ。
正式に紫月は
大広間の外で、会議の様子を盗み見していた香古が「やた!」と翼をパタパタさせたのが分かった。当然ながら紫月も嬉しい。
大筋の合意が終わると、その後は細かい調整だ。
赤鉄の採取をどうするかとか、月夜の里でどうやって火トカゲを売りさばくかとか──、碧霧は次々と課題を挙げて、あっという間に話をまとめていく。
(雑用係は、いつもこんな風に仕事をしているのね)
同意しながら半信半疑な様子だった水天狗たちも、いつの間にか前のめりになって碧霧の話に耳を傾けているのが分かる。
紫月は彼の隣にちょこんと座りながら、その様子を不思議な気持ちで眺めていた。目の前で采配を振る彼は、いつもと違ってちょっと遠い存在に感じる。
なんとなく置いてきぼりにされているようで少し寂しい。
とは言え、とても大切な話だということだけは分かるので、紫月は黙って皆の話しを聞いていた。
すると、そんな紫月の様子に碧霧が気づいた。
彼はさりげなく彼女の肩に手を回すと、自分の元へと引き寄せた。
それの意味するところは──。たぶん、「一緒だよ」もしくは、「一緒にいて」だ。
紫月がそろりと碧霧の横顔を伺うと、ほんの一瞬だけ、彼は優しい目を返してくれた。
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