7.会談当日
翌日、紫月は屋上で碧霧の到着を待った。水天狗たちの発着場となっている屋上は、当然ながらだだっ広いだけで何もない。彼女は、その広い屋上のど真ん中にちょこんと座った。
昇り始めた太陽が、彼女のむき出しの肩をじりりと焼いた。しかし一方で、雲一つない澄みきった空は、秋の到来を予感させた。
碧霧に出会ってから、あっという間の一か月だった。
思えば、自分はずっと隠されていた。
そこになんの不自由も感じなかったが、いない者として振る舞うよう無意識のうちになっていたように思う。
何をするにも目立たないよう、隠れてこっそりと。
こうして誰かのために堂々と歌い感謝されることは、今までになかった経験だった。碧霧が、自分を日の当たる場所へと連れ出してくれた。
早く会いたい。
逸る気持ちを持て余しつつ、待つことしばし、北東の空に数騎の影が見えた。先日、右近と佐一は、
紫月はパッと立ち上がると、遥か遠くの騎影に向かって手を振った。
ぐんぐんと騎影が近づいてきて大きくなる。
「葵!」
待ちわびた果てに現れた今日の彼は、旅立ち当時の黒い武装束ではなく萌葱と藍のきちんとした小袖袴に帯刀した姿だ。こちらの姿に気がつくと、碧霧は馬上から飛び降りた。
「紫月!」
着地する時間ももどかしい様子で降り立った碧霧は、紫月に駆け寄ると、そのまま彼女を抱き締めた。
「すごい心配したんだぞ!」
「うん。葵は心配するだろうなって、そこが心配だった」
碧霧のあったかい気と体温をめいいっぱい肌に感じながら紫月は笑って答えた。茶褐色の彼の髪がさらさらと頬や肩を撫でてくすぐったい。
碧霧が紫月の頭上の角に口づけ、少し身を引いて肌もあらわな彼女の姿を改めてまじまじと見つめる。
「や、その格好──」
口元に手を当てて、彼は目尻を思いっきり下げた。
「俺へのご褒美?」
「どうしてそうなるの。水天狗の女の子はみんなこんな格好なの」
すかさず紫月は否定したが、碧霧は「ふうん」と興味津々だ。
彼は、紫月の柔らかな背中にするりと指を滑らせながら、首の後ろにもう片方の手を回し、固く結ばれた衣服の結び目を摘まんだ。
「だってこれ、首のここ
「あっ、ちょっと! 触っちゃダメ!!」
慌てて紫月が碧霧の手を払う。
腰や背中に手は回るだろうと予想していたが、まさかいきなり
すると、
「これが、おまえの言う『葵』か? ただの
皮肉げな声がして紫月と碧霧が声のした方へ振り向くと、城内へと続く岩壁の出入り口に真比呂と勇比呂が立っていた。
碧霧がすっと紫月の腰に手を回し、彼女を自分の元へと抱き寄せる。
さりげなく、しかし、これ見よがしな「俺のもん」アピールである。
彼らに対し、文句がないと言えば嘘になる。むしろ、言いたいことだらけだ。
しかし、碧霧はそんな素振りは一切見せず、社交辞令たっぷりの笑みを浮かべた。
「紫月が世話になった」
真比呂がぴくりと片眉を上げる。そして彼は、「別に」と肩をすくめた。
「こちらも彼女には助けてもらった。お礼を言われるほど、世話らしい世話もしていない。そもそも紫月を客として迎えたのは、俺たちの意思であって、あんたのためじゃない」
碧霧にお礼を言われる筋合いはないと言わんばかりだ。
隣では、勇比呂が品定めするかのごとく碧霧をじろじろと見ている。
うーん。ダメだわ。
お互いに話し合おうって決めたはずなのに、相手を前にして牽制し合っている。紫月は微妙に険悪な雰囲気になり始める両者の間に割って入り、碧霧に二人を紹介した。
「葵、紹介するわ。こっちが真比呂、水天狗たちの
「あのな、」
強引に話を進めようとする紫月を碧霧と真比呂が同時に睨む。すると、「ちゃんと話し合いをして」とばかりに彼女に睨み返された。
折しも、遅れて到着した左近たちが、空馬の手綱を引きながらこちらに集まってきた。
今日ここにいるのは、左近と右近、そして鎮守府からは小梶平八郎と佐一だ。碧霧は、ふうっと大きく息をつくと、あらたまった顔で真比呂たちを見た。
「話しをする前に、
真比呂が驚いた顔を見せ、勇比呂が怪訝な顔で碧霧に言った。
「そこの府官長に案内してもらったんじゃないのか?」
「俺は、おまえたちに案内してもらいたいんだ。訴えたいこと、あるだろう?」
言って碧霧は左近たちを振り返った。
「俺は二人に沈海平を見せてもらって来る。みんなはここで待っていてくれ」
「私も──」
すかさず紫月が「一緒に行く」と訴える。碧霧は「もちろん」と頷いた。
「だって紫月は俺の隣にいてくれるんだろ?」
そう答えると、紫月は嬉しそうに笑った。
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