8)和平の条件

1 薄っぺらい同情

 鎮守府では、伯子の使者として佐一と右近が岩山がっさん霞郷かすみのごうへ出発した。

 当初の予定では佐一だけが使者として向かうはずだったが、右近が同行すると言って聞かなかったためだ。

 紫月の側にいて、彼女を守ることができなかったことに責任を感じているらしい。


 紫月の身は、心配しなくていいと佐一が約束してくれた。囚われの身であることには変わりないが、理不尽な扱いを受けることはないだろうとのことだった。


 ただ、それでも心配ではあるので、右近に紫月の様子を見てきて欲しいと頼んでおいた。


「碧霧さま、お茶をお持ちしました」


 戸口で、控え目な声がした。

 昨夜から自分の身の回りの世話をしてくれている加野だ。


「ありがとう。適当にそこへ置いておいて」

「はい」


 加野がテーブルの上に静かにお茶を置いた。

 昨夜よりずっと顔色がいい。少しは安心して過ごせているかなと碧霧は思った。


 昨夜、離れを訪れた加野は、弟から事情を聞いていたはずなのに、相変わらず感情の抜け落ちたような顔をしていた。どうやら信じきれないでいたらしい。

 特に何もさせることもなかったので、そのまま右近の部屋で寝るように言うと、ようやく拍子抜けしたようなほっとしたような顔をされた。


 そして今日は、こうやってお茶出しや食事の準備など身の回りの世話をしてくれている。


 碧霧は出されたお茶を一口飲むと、そのままふうっとため息をついた。


「あの、お茶が不味まずうございましたか?」

「ああ、ごめん。そうじゃない」


 慌てて尋ねてくる加野に、碧霧も慌てて否定した。


「和平交渉のことを考えていた」

「左様でございますか。碧霧さまなら、きっと大丈夫です」


 加野が気遣うような笑みを見せる。碧霧はそんな彼女に曖昧な笑顔で答えた。


 (俺のことを何一つ知らずに、「碧霧さまなら大丈夫」か──)


 社交辞令的な決まり文句だな、と思わないでもない。

 すると、そんな碧霧の雰囲気を感じ取ったのか、加野がすぐさま付け加えた。


「私は詳しいことは分かりませんが、とであれば大丈夫だと思います」

「……加野も真比呂のことを知っているのか?」

「はい。沈海平しずみだいらは水天狗の一族なしに今の発展はありませんから。この平野と染井川とともに彼らは生きてきたのです」

不躾ぶしつけだけど、加野たちの両親は?」


 ふと加野たちの身の上が気になった。

 彼女もまた、弟と同様に水天狗に強い信頼を置いている。北の領の鬼のほとんどが月夜の里に住む中で、こうした辺境に根づく鬼は珍しい。

 小梶平八郎にしたって、ゆくゆくは月夜の里に戻るつもりでここに赴任しているだけだ。


 しかし、碧霧の問いかけに対して加野はすっと顔をこわばらせて言いよどんだ。


 まずい、踏み込み過ぎた。


 碧霧は慌てて片手を上げた。


「すまない、本当に不躾で。両親も水天狗と交流があったのかと思って」

「両親は──、もういません。私と佐一の二人、路頭で迷っていたところを平八郎さまに助けていただいたのです」

「そっか、」


 助けていただいた、と言えば聞こえはいいけれど。

 加野も佐一も大切にされているとは言いがたい。


「今のごたごたが片付いたら月夜つくよの里に来るつもりは?」

「え?」

「ええと、変な意味じゃなくて。佐一と一緒にっていう意味だけど。あっちなら働き口もあるだろうし、兄妹二人、独立できる」

「ありがとうございます。でも──、」

「府官長には、俺から話をする。理由なんて適当につければいい」


 加野が戸惑った顔で目を伏せる。


 あ、また踏み込み過ぎた。


 どうにも不遇の二人を思うと余計な口を出してしまう。

 それで碧霧が気まずい顔で「例え話だから」と言葉を濁すと、加野が控え目な笑みを返した。


「伯子さまからの身に余る申し出、ありがとうございます。佐一に相談してみます」


 そして加野は一礼して部屋を出て行った。


「はあ、」


 めっちゃくちゃ気を遣う。

 碧霧は、誰もいなくってから二つ目のため息をついた。


 すると、


「なんのため息ですか?」


 加野と入れ替わりに今度は左近が入ってきた。

 碧霧は、首を傾げる左近に軽く肩をすくめ返した。


「与平やおまえが変なことを言うから、加野にはとても気を遣う」

「変なこと?」

「だから、加野が府官長に……」


 碧霧が言葉を濁すと、左近が「ああ、その話」と片眉を上げた。


「よくある話です。あなた様の薄っぺらい同情なんて、加野も佐一も期待なんかしていませんよ」

「……薄っぺらいって言うな」

「どうせ『月夜の里に来い』とか言うのが関の山でしょう?」


 鋭いところを突いてくる。

 というか、もう言ってしまった。


 思わず両手で顔を覆う碧霧を見て、左近は「分かりやすいですね」と冷めた口調で言った。


「ま、言ってしまったのなら仕方がない。二人が助けを求めてきた時は何か具体的な方法を考えましょう。それよりも、月夜の里に戻った下野しもつけ隊長から、さっそく式が届きました」

「来たか」


 碧霧がすっと真顔に戻る。

 左近は頷きつつ、碧霧の近くの席に座った。


 与平には昨日の内に月夜の里に戻ってもらった。直轄地拡大の話の真偽を確かめるためだ。

 左近を遣いに出そうかと考えていたところ、隊長自らが名乗り出た。ただ一人で帰るだけなら、自分が一番早いというのがその理由だ。

 また与平であれば、あるじである八洞やと十兵衛に直接かつ内密に尋ねることも可能だ。


「勘定方の十兵衛さまに確認したところ、そういう報告も話もやはりないと。しかし、このことを今度は十兵衛さまが奥の方に申し上げたところ──」

「母上は知っていた?」

「はい」


 ふーん。やっぱり。


 碧霧は左近の前であることもはばからず、舌打ちをした。

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