8.一夜明けて
紫月が目を覚ましたのは、すっかり日も暮れてからだった。
思った以上に体は疲れていたらしい。
深い眠りに落ちていた彼女は、誰かの呻き声ではっと目を覚ました。
外はすでに夜。天井と四方の壁に掛けられたランプが広間を明るく照らしていた。
呻き声を上げているのは、さっきまで静かに寝ていた負傷者たちだ。どうやら、その時が始まりだしたらしい。
紫月はばっと起き上がると、一人の負傷者の傍らにひざまずく真比呂と妃那古の元へと駆け寄った。
「二人とも、ごめんなさい。寝すぎたわ」
「ああ。個人差があるが、遅かれ早かれ始まる。ほら、背中がコブのように盛り上がっているだろう? このコブが割れて羽が出てくるまでに何時間もかかる。その間が一番ひどい」
真比呂が厳しい顔で部屋の中を見回す。紫月は負傷者を挟んで二人の向かい側にひざまずくと、背中の状態を見た。
傷口はすっかり塞がっている。しかし、そこが大きく膨れ上がりコブのようになっていた。
紫月はそっとそのコブに両手を置いた。
すでに熱を帯びているその内側から溢れんばかりの生命力がたぎっているのが分かる。
(まるで何かが生まれようとしているみたい──。ううん、新しい翼の誕生だもの、生まれるのと同じことね)
この生命力が外に出ようと体の中を暴れまわっているのだ。これは、相応の痛みを伴って当然だ。
紫月は素早く立ち上がり、バルコニーへと走り出た。空を見上げると、今夜は曇っていて月が見えない。夜中には雨が降ってきそうだ。
やっぱり空は機嫌が悪い。頬をなるでる風も、湿り気を含んでぐったりとしている。
ごめんね。でもちょっとお願いね。
紫月は大きく息を吸い込んで、感覚を解放させた。
心の中で風に呼びかける。と、風は少し面倒くさそうに紫月に応えた。
それから紫月は、部屋に急いで戻り、一番苦しそうにしている水天狗の傍らに座った。真比呂たちが、怪訝な顔をして紫月の行動をじっと見ている。
紫月は真比呂に力強く笑いかけた。
「翼が生えることは別に病気でもなんでもない。ただ、翼の生命力が大きすぎて体がうまくそれを外に出せないのよ。だから風にのせて、痛みを──内にこもった力を外へと導く」
「どうやって?」
「同調するの。それだけ」
言って紫月は、両手をコブの上に置いて目を閉じた。
通常の怪我の治療なら、大地の気を取り込んでそれを相手の体へと流し込む。
しかし今は逆だ。体の中で暴れ回る気を取り込んで、風に乗せるのだ。
コブから熱くて重い気がどっと紫月の中に流れ込む。そして暴れる生命力が紫月の手に絡みついた。
と同時に、彼女は風に呼びかけ、熱くて重いそれをそうっと渡す。
紫月が背中から両手をぱっと引き上げると、螺旋を描くように淡い光が宙に舞い上がった。
その一瞬、水天狗がうっと呻いて体を強ばらせた。しかし、すぐに大きく息をつき、ほうっと体の力を抜く。
コブが割れ、深緑色の羽が背中から顔を出していた。
「コブが割れた──! 両手を引き上げただけで、こんなに簡単に……」
真比呂が驚きの声を上げて目を見張る。紫月は「ふうっ」と額の汗を拭った。
そして彼女は翼が生え始めた背中に向かって声をかけた。
「痛みを全て消すことは無理だけど、少しは楽だったでしょう? もう少し頑張って。後は新しい翼がゆっくりと出てくるわ」
言って彼女は立ち上がる。次は向こうで苦しみ始めた水天狗だ。
「私はこれから全員に同じことを繰り返す。二人は処置の終わった天狗の世話をお願い」
「分かった」
真比呂と妃那古が頷くと紫月はにっこり笑った。そしてふと、鈴のような澄んだ声で柔らかに歌い始める。
独特の抑揚をつけた歌声が広間全体を包み、優しい夜風が吹き抜けた。まるで傷を負った水天狗たちを気遣うように。
(……彼女は一体何者なんだ?)
そこかしこで聞こえる呻き声さえ、彼女の歌声に包まれると赤子の泣き声に聞こえてくる。
きっともう大丈夫──。なんの根拠もないのに、真比呂はそう感じた。
次の日の朝は雨音で始まった。岩肌に当たる雨垂れの色とりどりの音は、まるで自然が奏でる音楽のようだ。
三階の広間では、負傷した水天狗たちが静かに寝入っていた。もう苦しんでいる者も、呻き声を上げている者もいない。
そして、同じく部屋の隅ですやすやと寝ている一つ鬼の姫が一人。
紫月はあれから全ての天狗の羽化の手助けをし、そこで力尽きた。
誰かと同調することは、一人でもそれなりに疲れる。それを羽化で苦しむ十人以上の水天狗に対してやってのけた。疲れて当然だった。
そんな紫月に一人の天狗が近寄る。背中の翼が再生し、すっかり元気になった
彼は大きな体を小さく丸め、そおっと紫月を抱き上げた。そして、壁際に寄りかかって座る真比呂に声をかけた。ちなみに、真比呂は一睡もしていない。
「おい、真比呂。こんなところじゃ紫月がゆっくり休めねえ。どうせおまえのことだ、ちゃんとした部屋を用意してんだろ?」
「なんだ、運んでくれるのか?」
「世話になりっぱなしというのは
「素直じゃないな」
真比呂がくつくつと喉の奥で笑った。
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