5.地下にだけは行かせない

 紫月は大柄な男天狗たちを見上げると、彼らにはっきりと言った。


「怪我をした天狗を風通しのいい部屋に。地下になんか連れて行ったら、空の気も土の気も何も感じないじゃない」

「何を言ってやがる! 質は質らしく引っ込んでろ!!」

「……ダメ」


 紫月は両手を大きく広げた。


「怪我人を地下に閉じ込めるなんて、ありえない。吽助の背中に痛み止めの薬だってある。きっと役に立てると思うから、私に預けて」

「鬼なんかに、大切な仲間を預けろだと?! 笑わせるな!!」


 天狗の一人が空いた方の手を紫月に向かって大きく振り落とした。ばしっという鈍い音とともに紫月は脇に飛ばされた。


「真比呂、早くこの女を連れていけ! 俺たちも行くぞ!」


 しかし、彼女はすくっと立ち上がると、再び大きく両手を広げて水天狗たちの前に立ちはだかった。

 その頬が赤く腫れ上がり、口の端に血が滲んでいた。

 紫月は深紫の目を大きく見開き、水天狗たちを真っ直ぐ見据えた。


「行かせない。地下だけはダメ」

「昔から地下だと決まっているんだっ」

「だったら、今日から改めればいい。今の月夜つくよがおかしいと立ち上がったくせに、どうしてこれは改められないの?」

「この──っ!!」


「おまえらの負けだ」


 静かな声が響いた。

 不機嫌そうに眉根を寄せて、真比呂がゆっくりこちらに歩いてくる。

 そして彼は、両者の間に割って入った。


「俺たちは、新しい時代を切り開くために立ち上がった。だとしたら、この一つ鬼の言ったことを試すぐらい訳ないだろう?」


 そう仲間たちに諭しながら真比呂がこめかみに指を添える。彼は「そうだな……」と思案してから、紫月を見た。


「三階の広間は、露台バルコニーもあって風通しがいい。大人数も収用できる。それでいいか?」

「もちろんよ」


 仲間の天狗たちが明らかに動揺し、顔をしかめた。


「真比呂、本気か? こんな一つ鬼の言うことなんか……」

「何もできなければ、その時に部屋に閉じ込めればいい。そうだろ、一つ鬼?」

「そうね、


 挑戦的でいて、そのくせどこか面白がっているような真比呂の視線に、紫月はあえて彼の名前を強調して答える。


 なんだかんだと言いながら自分をかばってくれる真比呂は、やっぱり敵じゃない。


 そんな紫月の気持ちを察したのか、真比呂が渋い顔をしながらくるりと踵を返した。


「では、ついて来い。


 素っ気ない口調ではあるものの、どこか照れ臭そうな彼の言い方に、紫月は思わず吹き出しそうになる。

 彼女はほころぶ口元がこれ以上緩まないよう結び直し、真比呂の後に続いた。



 案内された三階の広間は、南に面した明るく広い部屋だった。

 天井と床を繋ぐ大きく丸い石柱や四方を囲む壁面は、細かい彫刻が施され、岩の山をくり貫いて出来た部屋だとは思えない。


 紫月は床にそっと手を当てた。


「素敵なお城ね。大地の息づかいがそのまま伝わってくる」

「そういう褒められ方をされたのは初めてだな」


 そう言いつつ、真比呂は負傷者を運んでくる天狗たちに指示を出した。


「こちらから怪我人を順に並べていってくれ」


 真比呂の指示のもと、至急用意された綿の敷物の上に負傷者が等間隔に寝かせられていく。

 途中、一人の若い女天狗がたくさんの湯桶を持って現れた。

 深緑の髪の両サイドを後ろの高い位置で一つに結び、そこから背中に長く垂らしている。着ている衣服もとても変わっていて、左右の前身頃から伸びる布を首の後ろで結んだだけの、背中が大きく開いている服だ。彼女は翼の生えた華奢な背中を惜しげもなく晒していた。


 人の国の雑誌で似たような服を見たことがあるなと思いながら紫月は彼女に話しかけた。


「この桶は、体を拭くため?」

「はい。それと、痛みに耐えきれず嘔吐する者もいるので」

「なるほど。──ええと、あなたは?」

妃那古ひなこです。私もお手伝いいたします」


 言って彼女は柔らかな笑みを返した。

 可憐な花のようでいて芯が強そう。ちょっと紫月の周りにはいない感じの女性である。


「私は紫月。じゃあ、まずは傷の手当てからしましょ。吽助、おいで」


 紫月が吽助を呼び寄せた。吽助は、城に着いてからずっと紫月の近くで大人しくしてくれている。

 彼女は吽助の背中にくくりつけられた荷を解くと、中から琥珀色と草色の粉を取り出した。


「これは傷薬。あと、こっちは痛み止め。まずは、この二つを清水せいすいで溶かして塗るわ」


「清水なんて、ないぞ」


 真比呂が訝しげに薬を見ながら紫月に言った。紫月は、バルコニーから見える外に目を向けた。


「近くに川が流れているじゃない。そこから作ればいい」

「簡単に言うがな、」


 真比呂がため息をついた。「誰が作るんだ」とその顔が言っていた。


「染井川の水質はもう分かっているだろう。俺たち川の民と言われる水天狗さえ、水のたまり石を作るだけで一苦労だ。ましてや清水なんて──」

「川に元気がないのは知ってる。だから、本の少しだけお裾分けしてもらうのよ。この手桶一杯分でいい」

「どうやって?」

「そうね、歌ってみる」


 紫月が「なんとかなる!」と立ち上がった。

 そんな彼女を見て、真比呂が「恐ろしいほど前向きだな」と呆れ顔で頭を掻いた。




 とりあえず負傷者を妃那古に任せ、紫月と真比呂は村の近くの川辺へ来た。


 北の連峰から流れ出た水は、長い旅を続け、あるところでは支流となって別れ、あるところでは新たな水と出会って混じり合い、ここ沈海平しずみだいらに辿り着く。ゆったりと流れる川面は、すべてを飲み込む優しさと厳しさに満ちていた。


 紫月は履き物を脱いで、足をひたりと水面に浸けた。


「で、どうするんだ? たまり石や清水の収斂しゅうれんが得意なのか?」

「ううん。歌が得意なの」

「はあ?」


 訝しげに眉をひそめる真比呂に対し笑顔で答え、紫月は浅瀬の奥へと進み入る。そして、川の流れと対峙した。


 せせらぎに耳を傾け、水面を撫でる風を感じる。

 じっと耐えしのぐ染井川の凪いだ気が紫月の呼びかけに反応し、たぷんと波打った。


 大丈夫、川はまだこんなにも優しい。


 紫月はゆっくりと静かに言葉を紡ぎ始めた。

 独特の抑揚をつけた旋律が風に乗って広がった。

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