7)沈海平の民

1.西の鎮守府

 古閑森こがのもりを抜けると、そこから広大な平野が南へと広がる。

 海に大量の土が沈んで出来たと言われる沈海平しずみだいらである。


 西の鎮守府は、その沈海平にある丘陵地に平野を見下ろすように建っている。四方を石垣で囲った敷地の中に木造平屋の屋敷がいくつか並び立ち、最も高い場所に建てられた御殿は、一部が二階建てという珍しい造りだ。



 蹄鉄の音も荒々しく碧霧たち三番隊が地下道から大きな門を抜けると、そこは馬屋の脇の広場に繋がっていた。


「着いた。ここが、西の鎮守府──」


 そこかしこに手入れされた庭木が植えられ、趣のある庭石が配置されている。

 突然広がる平和な情景に、碧霧は逆に不思議な気分になった。


「おお、伯子。ようこそいらっいました!」


 荒立った気持ちを逆撫でするような明るい声が広場に響く。

 声のした方を見やると、そこに恰幅のいい文官姿の二つ鬼が立っていた。


「府官長の小梶こかじ平八郎と申します」

 

 彼はペコペコと頭を下げて、文官特有の薄っぺらい笑顔をこちらに振りまいてきた。


「よくぞ遠路はるばるおいでくださいました。隊長と守役のお二人、姫さまもお一人同行していると聞きましたが?」


 与平が苦虫を噛み潰した顔で素気なく答える。


「水天狗にさらわれた」


「おお、それは大変だ。ささ、どうぞ──」


「与平、すぐに軍議だ!!」


 碧霧は、彼を無視して三番隊長を呼びつけた。

 にこにことすり寄ってくる府官長の態度にイラッとする。

 こちらを試しているのか? それとも本当に事態を分かっていないのか?


 怒りをあらわにする碧霧を与平が落ち着いた口調でなだめた。


「軍議はすぐにでも。しかし、まずは府官長とお話を。しばらくここに我ら世話になるのですから」


 鬼兵団の長としての役目を果たせ、と与平に暗に言われ、碧霧は怒りをぐっと飲み下す。

 あらためて隊士たちの様子を見る。怪我人がほとんどいないのは、さすがと言うべきか。しかし、その顔は一様にして暗い。

 当然だ。入府は果たしたが、守るべき対象である姫がさらわれたわけなのだから。

 しかしそれは、彼らのせいではない。


 碧霧はさっと落ち着きを取り戻した表情になり、隊士たちに向き直った。


「みんな、ありがとう。おかげで入府することができた」


 笑わず、しかし怒らず、落胆もせず、淡々と。

 今の現状を笑って受け入れることはできない。しかし、怒りを振り撒くことも、がっかりすることも違う。

 だとしたら、後は淡々と事実を受け入れ、次を見据えることだ。


「かなりの強行軍で疲れただろう。今日はゆっくり休んでくれ」


 労いの言葉で締めくくり、碧霧は府官長を見た。


「府官長、まずは隊士たちを休ませてやりたい。部屋を用意してほしい」

「もちろんっ、すでに用意をしております。おいっ、隊士の皆さまをご案内しろ! 馬役は皆さまの馬を!」


 府官長が吏鬼りきに向かって指示を出し、吏鬼たちがさあっと持ち場へと散っていく。そして、隊士たちはそれぞれの馬を預けると、副官だと名乗る男に連れられて広場の奥へと消え行った。


「隊士の皆さまは二殿にのでんにてお泊まりいただきます」

「昨日の夜から歩きっぱなしで何も食べていない。食事を振る舞ってやってくれ」

「もちろんでございますとも。伯子と隊長、そして守役のお二人はこちらに。本殿の離れを準備してあります。伯子もどうぞ馬から降りて下さい」


 そう言われて初めて、馬上から偉そうに物を言っていることに気づく。

 我ながら余裕がなさすぎたと、自己嫌悪に陥りながら碧霧は馬から降りた。


(落ち着け──。紫月は大丈夫だ)


 連れ去られる間際、紫月は「ちょっと行ってくる」と力強く笑っていた。

 彼女なりに何かを感じ、決断したと分かったからこそ、こちらも覚悟を決めたのだ。


 とは言え、わき上がる不安はどうしようもなく、逸る気持ちが体の内で暴れまわっているのが分かる。


 ここぞとばかりに得意顔で振る舞う府官長が今は鬱陶しい。


 それをぐっと押さえ込み、平常心を保つのに碧霧は必死だった。




 碧霧たちは、まず本殿の客間に通された。

 上座中央に碧霧が座り、左側に与平、そして右側に左近と右近が並んで座った。


 しばらくして平八郎が登場し、あらためて碧霧に向かって平伏する。


「まずは無事に入府されたこと、誠にご苦労さまでございました。この小梶平八郎、伯子をお迎えすることができ、恐悦至極にございます」


 碧霧の耳に「小梶」という姓がひっかかる。さっきは気が荒ぶっていて聞き流してしまったが、「小梶」という姓は聞き覚えがある。


(小梶……。確か、次洞じとう佐之助の元姓だ)


 つまり、この男は佐之助の息のかかった者、もしくは金か何かで媚びている者である可能性が高い。


 鬼伯が下賜する洞家姓と違い、好き勝手に名乗れる家元姓であるが、先の政変で洞家となった家元たちの姓だけは少し違う。

 自分の直属の部下として、また信頼できる者であるという証しとして、名乗らせるのだ。

 三番隊長の下野しもつけ与平がいい例だ。彼は、姓を持たない鬼であったが、主である八洞やと十兵衛から、彼の元姓である下野をもらったことは有名な話だ。

 

 なるほどな、と心の中で納得しつつ、碧霧は片手を上げて彼の挨拶を遮った。


「挨拶はいい、時間が惜しい。反乱軍の今の状況を教えてくれ」

「え、ああ。はあ、」


 せっかくの挨拶を邪魔され、平八郎が不満げに口をつぐむ。そして彼は、「ふむ」と頭を捻った。


「正門前に居座っていた反乱軍も今は姿をぱたりと消してしまいました。それ以上の詳しいことは、息子の佐一に全て任せてあります。後で部屋に伺わせましょう」


 息子に一任。しかも、後で。

 その言いっぷりから、彼が今回の反乱に興味がないことが分かる。

 思わずひきつりそうになる頬を叱咤し、碧霧は鷹揚とした顔を保ち続ける。


「息子に全てを任せているとは。よほどできた息子とみえる」


 職務放棄を遠回しに揶揄やゆしたつもりだったが、平八郎は気に止める素振りもない。


「は、養子にございますれば、実の息子ではありません。それよりも伯子、」


 平八郎は口元に薄っぺらい笑いを浮かべ、ずいっと前に進み出た。

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