6.こめかみ男と質の姫

 紫月は真比呂に抱きかかえられひたすら南西に向かっていた。

 抱きかかえられと言うと、お姫様だっこでもされていそうだがそうでもない。彼女は両脇を掴まれ吊り下げられるような形で運ばれていた。


「ちょっと、こめかみ男。私は荷物じゃないわよ」

「誰がこめかみ男だ。これが一番飛びやすいんだ」


 なるほど、この形が飛びやすいというのは分かる。

 その点については大いに納得するところではあるが、この扱いってどうなのか。


 眼下に広がる平野はどこまでも続いている。沈海平しずみだいらは、その昔は海だったという逸話もある。今日はあいにくの曇天だが、黄金に色づき始めた広大な草原は風になびいて無限に色を変化させていた。

 そんなこんなで真比呂に抱きかかえられて飛ぶことしばし、ようやく彼が口を開いた。


「おい、一つ鬼。あの犬はなんだ? おまえのか」


 言われて体を捻って後方を見ると、吽助うんすけがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 どうやら碧霧たちについて行かずに自分を追いかけて来たらしい。紫月は真比呂に言った。


「犬じゃないわ。狛犬よ。吽助っていうの。大人しくさせるから一緒に来させて」

「狛犬──。珍しいものを連れているな」 


 


真比呂が周囲の水天狗に「先に行っててくれ」と声をかけ空中で停止する。

 ややして、白い狛犬が二人に追いついた。

 吽助は、紫月を吊り上げる真比呂のすぐ近くまで来て止まると、低い唸り声を上げた。


「これ、おまえを返したら、がぶりと噛みついてきそうだな」

「大丈夫よ。吽助、おいで。この天狗は、敵じゃないわ」


 紫月がなだめ口調で声をかけると、吽助が慎重な顔つきで紫月に近寄る。

 真比呂が狛犬の背中に紫月を降ろし、彼女はようやく解放された。


「ふう。あんな運ばれ方をして、両肩が疲れちゃったじゃないの」


 両腕をぐるぐると回しながらブツブツ文句を言うと、真比呂が喉の奥でくつくつと笑った。


「俺は敵じゃないのか?」

「違うでしょ。ちょっと意地悪だけど、ああいう争いは嫌いでしょ」


 はっきりとした口調で紫月が言い返す。真比呂が目を丸くして見返してきた。


 あの混乱の中、突然さらわれ紫月自身も慌ててしまった。しかし、ガラス玉のような青い瞳はどこまでも澄んでいて、彼からははしなかった。


 紫月は先を行く水天狗たちの集団を見つめる。

 負傷した天狗たち──そのほとんどが両翼を切り落とされた者たちであるが、彼らは両脇を仲間にかかえられ運ばれていた。


「翼って再生する?」


 心配になって彼女が尋ねると、真比呂は「ああ──」と言って肩をすくめた。


「それなりに大変な思いはするがな、再生はする」

「そっか──」


 紫月はほっと胸を撫で下ろした。

 同時に、容赦なく翼を切り落としたのは、与平なりの手加減だったのかと理解する。


「後から私に治療をさせて。少しは役に立つと思う」

「勝手に決めるな。おまえは質だぞ」


 真比呂が気に入らないとばかりに顔をしかめた。


「もう少し怯えるとか、敵意をむき出しにするとか、何かないのか。こうも馴れ馴れしいと調子が狂う」

「そうね、あなたがもう少し悪い奴だったらね」


 ふうっと紫月がため息をついた。これは、そう、落胆のため息だ。


 他はどうだか知らないが、真比呂はちゃんと話し合いができる天狗だ。それなのに、いきなり大喧嘩から始まってしまうなんて。

 すでに大きな溝ができてしまっていること自体が争いの原因であると紫月は感じる。


 一方、紫月にあからさまにため息をつかれ、真比呂がいよいよ顔をしかめた。


「なんかいろいろがっかりさせたみたいだが、そもそも質のくせにがっかりするな」

「するわよ。こんな無駄なことをして。あなた、名前は? 私は紫月」

 

 紫月が名乗りながら尋ねると、真比呂がむうっと口を尖らせた。ややして彼は、「真比呂だ」と言葉少なに答えた。


 ほらね、ちゃんと答えた。

 何だかんだと態度は悪いが、やっぱり会話をしてくれる。


「じゃあ真比呂、せっかく私を質に取ったんだから、ちゃんと有効活用しなさいよ」


 そして、紫月は吽助を促し「さあ、行きましょ」と小さくなっていく水天狗たちの集団の後を追い始めた。


「おい、おまえが仕切るなっ。勝手に行くな!」


 真比呂が慌てて呼び止めたが、紫月はしらんぷりだ。彼は忌々しげにため息をついて、彼女の後を追いかけた。




 水天狗たちと一緒にしばらく空を南下すると、小さな集落が眼下に見えてきた。

 真ん中に青色のごつごつとした岩肌の山があり、それを中心に放射線状に色とりどりの石造りの建物が並び、周りを堀で囲んでいる。


 木造が基本の月夜の里とはまったく違う光景に紫月は目を輝かせた。


「すっごい綺麗、まるで岩絵具を並べたみたい」

「みんな自分の屋根は自分たちで好きな色を塗る。だから、色とりどりになる」


 真比呂が少し自慢げに言って、今度は中央の岩山を指差した。

 青と緑の濃淡が縞模様となっているそれは、自然が作り出した芸術作品のようで、近づくと岩山全体が大きな城となっていることに気がついた。


「あそこが、俺たち反乱軍の今の根城だ」

「今の? もともと別の場所だったの?」

「奈原というもっと大きな里が鎮守府の近くにある。だが、あそこは鎮守府派のあやかしも多いから、信頼できるここに拠点を移した。ここは岩山がっさん霞郷かすみのごう、水天狗が沈海平しずみだいらを開拓した時代からの村だ」


 真比呂の目が誇らしく輝く。

 そして紫月は、水天狗に導かれ、岩山がっさん霞郷かすみのごうへと降り立った。

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