4.鎮守府へ

 水天狗たちの追跡をかわし、碧霧たちは古閑森こがのもりが用意してくれた迷い道を慎重に進む。

 自分たちの存在が知れた以上、四番隊のおとり作戦も意味をなさない。となれば、森全体に包囲網を敷かれる前に鎮守府入りを試みるのが最良の手だ。


 予想していた通り、大きな迷い道は途中いくつも枝分かれしていた。

 その度にどちらに進むかの選択を迫られる。

 ここは森が用意した迷い道。左に行こうが右に行こうが、それは方角を示している訳ではない。


 ──では、おまえはどこへ向かうのだ?


 そう森に問いかけられている気がして、碧霧は自分自身が試されているような気持ちになった。


 そもそも距離があってないようなものだから、どれだけ歩いたかは意味がない。とは言え、どこまでも続く真っ暗な道は、少しずつ気力を削ぎ取っていく。

 敵をかわし、まんまと逃げおおせたと上機嫌だった隊士たちの口数も、かなり減った。


 ふと、紫月も不安になっていないだろうかと、並んで進む彼女の横顔を見る。しかし、意外と平気そうな顔をしていて、彼はその横顔に勇気づけられた。


 要はどこへ通じているかということで、それをどこまで信じられるかということだ。

 だとしたら、後は信じた方へ進めばいい。

 碧霧はそう思うことにした。



 だいぶ、歩いた気がした。

 しかしある時、そよりと空気の流れが頬をかすめた。

 思わず与平を見れば、彼も力強く頷き返した。


 はやる気持ちを押さえきれず、駆け足ぎみに馬を進める。

 ややして、四方八方どこを見ても暗闇でしかなかった道に、淡い夜の光が差した。


「出口だ!」


 皆が歓喜の声を上げる。

 道幅がさらに広くなり、碧霧たちは新鮮な空気を求めて外へと飛び出した。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 真上にあった月は西に傾き、東の空から赤紫の色がにじみ始めていた。

 頬を掠める風も冷たい。おそらくもう朝だ。

 

 碧霧の隣で与平が周囲の様子を気にしながら手の平に鬼火を灯す。

 つい先ほど出てきたはずの迷い道の出口は消え、鬱蒼とした木々が鬼たちをぐるりと取り囲んでいた。ふと、遠くで水がどうどうと流れる音がする。


「川がありそうだ、与平」

「そのようですね。運がいい」


 与平が嬉しそうに口の端に笑みを浮かべた。


「鎮守府に通じる地下道の入り口は、川沿いにある。我々の位置も確認できるかもしれません」

「じゃあ、ひとまず休憩だ。喉が乾いた。馬たちにも飲ませてやりたい」



 それから碧霧たちは、水音のする方へと向かった。

 水天狗がどこに潜んでいるかも分からないので、明かりも最低限、派手に進むこともできない。


 静かにゆっくり進むことしばし、森の木々がなくなり、開けた川辺に出た。


 そこそこの川幅のそこは、一部分が平らな川原になっていて、川に近づくこともできる。上流には幅広の三段になった滝から水が勢い良く流れ落ちていた。


「休憩だ!」


 与平の号令に、皆がほっとした様子を見せた。


 少しずつ空が白み始め、周りの様子が徐々にあらわになる。朝焼けの空は、雲が重く広がり始めていて、紫月の言葉で言えば「機嫌が悪い」というやつだ。


 与平が落ち葉を拾ってそれに息を吹きかけた。落ち葉が百舌もずに変わり、ぱたぱたと飛び立った。森全体の様子を確認するためだ。


 紫月が狛犬を連れて川縁にしゃがむ。


吽助うんすけ、たまり石をあげるわ」


 言って彼女は、川面に手を突っ込んでかき回していたが、ややして「あった」と言って、何かを摘まみ出した。

 それは、半透明の小さなぷよっとした固まりだった。


 碧霧が紫月の隣にやって来て摘まみ出した物を覗き込む。


「それは──、水のたまり石? でも、ぷよぷよしているな」


 水のたまり石とは、川の清浄な気そのものの塊だ。普通は気を操り、川の水を収斂しゅうれんして取り出す。当然ながら、それなりの技量がいる。


「うーん、これは石になる前って言った方がいいかな。だから、生のたまり石みたいなやつね。清浄な気の塊は、吽助の大好物なの」

「生のたまり石なんて、そんなもの初めて見た」

「でしょう?」


 驚く碧霧に「なんでもない」と笑いながら、紫月は吽助に水のたまり石を与えた。狛犬が紫月の手の平に乗った水のたまり石をペロリと食べた。

 しかし、彼女はすぐに顔を曇らせた。


「それよりも、見て」

「?」

「川底が赤茶色に──」

「鉄分が沈下したものだな」

「うん。これじゃ、息ができないわね。川に元気がないわけだわ」



(彼女がいれば、川の浄化も早く進められるかもしれない)


 紫月なら、きっと二つ返事で快く引き受けてくれるだろう。

 しかし、そこまで考えて碧霧は頭を左右に振る。


 今の考えはだ。


 彼女を利用するために自分は近づいた訳じゃない。ただ単純に彼女に惹かれたからだ。


「葵? どうしたの?」

「なんでもない。ちょっと緊張している……かな」


 碧霧が適当な言葉でごまかすと、紫月が「大丈夫よ」と力強く笑った。

 そんな彼女に頷き返し、碧霧はそれぞれに休息を取る隊士たちの様子を見つめた。


(みんな、俺を支えるために来てくれた)


 話し合いでうまく行くなんて保証はどこにもない。「話し合いで収めたい」は、自分の独りよがりな希望に過ぎない。

 それなのに、誰も不平不満を一切漏らさず、ついて来てくれている。


 期待を裏切るような真似は絶対にできない。


「碧霧さま、位置が確認できました」


 与平がやって来て、彼の前に地図を広げた。肩にはさっき放した百舌もずが乗っている。


「おそらくここは、三段峡と呼ばれるところかと」


 言って彼は、地図を指差して説明をした。


「このまま川沿いに南下すれば地下道の入り口にたどり着きます」

「分かった」


 碧霧はばっと振り返ると、隊士全員に聞こえるように言った。


「もうすぐ鎮守府だ。必ず全員で入る」


 全隊士が碧霧に向かって無言のまま拳を高らかと突き上げた。

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