3.水天狗の頭目

「入り口が閉じただと?」


 慌てた様子で与平が入り口にとって返す。そして、木の幹のように太い蔓が絡んだ壁を絶望的な様子で何度も触った。

 蔓の隙間から向こうの様子は見てとれる。しかし、完全に遮断されてしまっているようで、壁を隔ててこちらと向こうでは空間が異なるように思えた。


「碧霧さま、どうやら戻るという選択肢はないようです」

「そうみたいだな。紫月、見て」

「うん」


 碧霧と紫月もすぐに入り口にやってきて、その様子を確かめた。


「もともと進むつもりだったんだ。このまま進もう」

「そうね」


 刹那、

 壁の向こう、自分たちが進んで来た道からドドドッと馬を駆る音が響いた。

 部隊に緊張が走る。与平はとっさに片手を上げて全員に沈黙するよう命じた。

 

 ぴたり、と隊士たちが一斉に息を潜める。

 馬さえ気配を消したのはさすがだった。


 ややして、壁の向こうの袋小路に、馬に乗った数人の男が姿を見せた。

 白地に青い水紋が描かれた袖のない上衣と濃紺の袴に身を包み、髪の毛は深い緑色、青い瞳はツルリとしたガラス玉のようだった。そして何より、背中に生えた髪の毛と同じ色の翼。


 ──水天狗たちだ。


 先頭を走る若い水天狗が勢いよく馬を止めた。

 短い深緑の髪をさらりと揺らし、青い瞳をつと細める。人懐こそうな顔を不機嫌そうに歪め、彼は用心深く地面を眺めた。


「馬の足跡がここでぐるぐると回って──どこに向かった?」


 地面には無数の足跡が残っているが、四方八方に向いたそれは幾重にも重なり、どちらに向かったか分からないようになっている。


「ふん、ソツがないな」


 若い男が悔しそうに呟いた。

 背後で年配の男が、背中の翼をぱさりと鳴らして声をかける。


「奴らはきっと空馬だろう。ここから空に飛んだかもしれん。ひとっ飛びして見てくるか?」

「いや、いい。もし空へと上がったのなら──、もう少し踏み込んだような足跡になっているはずだ」


 言いながら若い水天狗は人差し指でこめかみを押さえ、口の端を軽く上げた。

 そして、ぐるりと辺りを見回して、ぴたりと木と蔓が絡まってできた壁に狙いを定める。


「存外、この向こうに消えたのかも」


 与平が再び静かに手を上げ、合図を出した。

 隊士たちが、息を殺したまま臨戦態勢となった。


 蔓の壁を隔ててこちらと向こう。おそらく、こちらは閉じた空間で、この近距離であっても向こうに自分たちの姿が見えている様子はない。

 とは言え、物音を立てたらきっと気づかれる。

 ごくりと生唾を飲む音さえうるさく聞こえる中、碧霧たちはまんじりと水天狗たちが立ち去るのを待った。


 若い水天狗がじろじろと壁を眺める。そして、再びこめかみを人差し指で押さえた。


「……女の匂いがするな」

「ああ?」

「いい匂いだ。風と──土と花と、爽やかな南風のような甘い匂い。こりゃ、極上の女かな。会ってみたい」


 くつくつと笑いながら水天狗が呟いた。


 隊士たちの視線が一斉に右近と紫月に注がれた。が、すぐさまその視線は紫月に定まる。

 右近が苦虫を潰したような顔で皆を睨み返し、無言で左近になだめられた。


 その時、


真比呂まひろ、あっちに野営の跡がある!」


 新たな水天狗が、上気した顔で現れた。


「奴ら、全てを捨てて逃げたらしい。人の国の天幕テントまであるぞ」

「本当か?」


 年配の男が興奮ぎみに聞き返した。そしてすぐさま指示を出す。


「貴重な品だ。全て回収するように伝えろ」

「叔父上、人の国の物は阿の国に馴染まない。便利はいいが、土を汚す」


 さっきからの「こめかみ男」がため息をもらした。しかし、もう一人の年配の男は「それがどうした」と言わんばかりだ。


「一つや二つかまうものか。人の国の物は高く売れるし便利だ。鬼どもが撒き散らしている鉄クズに比べたら可愛いものよ。ここはもういいだろう。真比呂、行こう」


 叔父に促され、こめかみ男はしぶしぶ馬首をひるがえす。

 そして、水天狗たちは夜の闇へと消えていった。



 水天狗たちの気配が完全になくなって、碧霧たちは全員が大きく息をついた。


「窒息するかと思ったわい」

天幕テントが全部取られるぞ。十兵衛さまにまた嫌味を言われる」

「やはり、儂らだけでも野宿で良かったの」


 それぞれが思ったことを好き勝手に口にする。

 それを横で聞き流しながら、碧霧は一人呟いた。


「あれが水天狗の頭目──」


 勘の鋭い、聡明そうな青年だった。

 人の国の物を簡単に喜ばないところも好感が持てた。

 交渉が出来るかもしれない。

 しかし──、


「私、なんか臭い?」


 紫月が自分の体をくんくんと嗅いだ。さっき、真比呂に「女の匂いがする」と言われたことが気になったのだろう。


 波乱を感じさせる始まりだった。

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