2.ざわつく森と迷い道
森が落ち着きなくざわついている。
紫月はすっと顔をこわばらせ、毛布をはぎ取り身を起こした。
「紫月さま?」
「し、」
人差し指を口元に立てて右近を黙らせる。そして彼女は、感覚を少し解放させて、森の気を探った。
森の苛立ったざわつきと、それに混じって興奮気味の複数の気が彼女の中に流れこんできた。
いけない──。何かが、来る。
そんな紫月のただならない様子を見て、右近も緊張した面持ちで起き上がった。そして彼女は、傍らに置いてあった刀を手に取り、柄をぎゅっと握った。
すると突然、紫月が静かに目を閉じて囁くように歌い始めた。
昼間の歌とはまた違う優しい子守唄のような歌だ。
彼女の口から紡がれる言葉が光の粒となって消えていく。
ややして、紫月は歌うのをぴたりと止めて、目を開いた。
「こちらに応えた! 行こう!」
「行くって、どこに?!」
言うが早いか紫月が
紫月は隣の
「葵!」
突然の来訪者に、寝床に横になっていた碧霧、与平、左近がびくりと飛び起きた。
そして入り口で仁王立ちする紫月の姿を見て驚いた。
「紫月……。だ、大胆な夜這いだな」
「んなわけないでしょ! 起きて、森が呼んでる。
狛犬の吽助が、さっと紫月の傍らに駆けてくる。彼女はそれにまたがると、碧霧たちに言った。
「何かがこちらに来る。それを森が教えてくれた。きっと助けてくれる」
碧霧と与平は顔を見合わせた。
これは、一刻の猶予もない。
すでに紫月の声を聞きつけた副隊長が集まり始めている。
「隊士全員に伝令! 敵襲だ! 野営地を放棄し、そのまま出る!」
与平が命令を発する。
すぐさま副隊長が各方へと走り去った。
野営地がにわかに騒然となる。
「武器と食料と必要最低限の物だけ持て! 後はすべて捨てていく!」
隊士たちが声を互いに掛け合いながら、あっという間に隊列を組んでいく。
数分も経たずに、各班ごとに綺麗に並んだ騎馬隊が出来上がった。
突然の出発であるが、驚く者も不満を吐く者も疑問を呈する者もいない。
与平の緊張した顔だけで、それ以上の説明は不要だった。
「行くぞ! 碧霧さまと紫月さまの後に続け!!」
かくして、三番隊は野営の物資を全て打ち捨て、走り始めた。
「どこへ行くんだ? 紫月」
「分からないけど、こっち!」
真っ暗な森の中、紫月の指し示す方向を三番隊は一気に駆けていく。月の光も届かない鬱蒼とした森は、鬼火で灯したとしても騎馬が隊列を組んで進むことは困難だ。
しかし、進む先は、まるで騎馬隊が通ることが分かっているかのように木々が左右に退いていた。
そしていくらか進んだ所で、碧霧と紫月は立ち止まった。
「ここって──」
大きな木と太い蔓が複雑に絡み合い壁のようにそそり立っている。その先に道はなく、袋小路の行き止まりだ。
「紫月、ここで間違いないのか?」
「ないわ。ここよ」
はっきり答えはするが、さすがの紫月も戸惑った顔をしている。森が呼んでいることは分かるが、何を求めているのかまで分からないのだろう。
その時、
木と蔓がぎいっという軋む音とともに動きだし、行く手を塞いでいた壁が左右に大きく開いた。
見ると、奥に真っ暗な道が続いていた。
「これは……迷い道」
碧霧がごくりと息を飲んで呟くと、与平が傍らに馬を寄せ、真っ暗な闇の奥を鋭く見据えた。
「大きい。奥にどれだけ続いているのか」
迷い道とは、突然現れて、来る者を惑わす道のことだ。
森のいたずらであったり、何かのあやかしが招いていたり、道自体が迷っていたり、現れる原因はよく分かっていない。普通は小道のことが多く、ここまで大きい迷い道はあまりない。
ちなみに、子供の頃に間違って入ってしまい、分からない場所に出たというのは、よくある話である。
「私たちを試している」
言って紫月は碧霧と与平を見た。
「どうする?」
「どうするって──」
どこに繋がっているかも分からない。
これだけ大きい道だと枝分かれしていることも考えられ、下手をすると出てこれない可能性だってある。
人の国に繋がる
「森は私たちを信じていない。でもきっと、今から来る奴らの肩を持つ気もない。要は──」
紫月の問いただすような厳しい視線が碧霧を貫いた。
「あなたは、森を信じるの? それとも信じないの?」
碧霧は全身がぎゅっと引き締まった。
きっと分かり合えると信じてここに来た。
だとしたら、差し伸べてきた手を疑うなんて選択肢はない。
大きく深呼吸を一つする。
大丈夫、自分を信じろ。
彼は口をきゅっと引き結んだ。
「──全員、このまま進む。行こう、紫月」
「うん!」
蔓に囲まれた入り口をくぐると、中は思った以上に広い空洞となっていた。そこから奥に暗闇がずっと続いている。
「闇雲に進むのは危険です。少しずつ確認しながら進みましょう」
与平が手の平に鬼火を灯した。
そして、まずは空洞に全ての隊士が入りきるのを待つ。
広いとは言え、外とは違い身動きが取りづらい。馬を伴ってとなるとなおさらだ。
数分後、ようやく全員が空洞の中へと入った。
すると、
「隊長! 入り口がっ」
最後尾の隊士が強ばった声を上げた。
はっと碧霧たちが振り返ると、大きな軋む音とともに入り口がぴたりと閉じた。
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