5.わき上がる疑念

 古閑森こがのもりは北の領の南西部に広がる広大な森である。別名、「入り口の森」とも言われ、南西部の里に行くにはこの森を通り抜けるのが通常である。


 碧霧たちは、森の入り口付近に開けた場所を見つけ、そこで野営することにした。

 近くには泉もあり、野宿するにはちょうどいい場所だった。


 そして、隊士たちが天幕テントを張る中、与平と左右の守役そして碧霧と紫月は、最初に設営された陣幕の中に集まっていた。

 軍議用の簡易な机と椅子がしつらえられ、四方を大きな黒幕で囲まれている。幕の布は特殊な術がかけられていて、声が外に漏れる心配もない。


 本来なら碧霧と紫月はともかく、左近にしても右近にしても天幕の設営を手伝わないといけないはずだ。それがこうして集められたことに、事の重大さを少なからず感じていた。


 誰も目の前の椅子に座ることはなく、その場に立ったままだ。

 三番隊長の下野しもつけ与平が皆に座ることを促しもせず話し始めた。


「明日の鎮守府入りについては、副隊長たちも交えて打ち合わせをするとして──、それよりも先に確認したいことがあります」


 言って彼は鋭い視線を紫月に向けた。

 紫月が気まずそうな顔で委縮する。

 与平はその様子をちらりと確認し、次に左右の守役を見た。


「儂の見た限りでは、紫月さまの歌をはっきりと認識したのは、すぐ側にいた右近、背後につけていた儂と碧霧さま、そして左近、これだけだ」


 左近が「それで間違いないかと」と付け加えた。


「俺はたまたま以前に聞いたことがあったのでだと分かりましたが、おそらく他の隊士は、そもそもそれどころではなかったはず。聞こえていたとしても、風のいたずらぐらいに思ったことでしょう」

「兄さん、同じものを聞いたことがあるのか? あの歌は? まじないか何かか?」


 驚いた様子で右近が尋ねると、左近が「直孝おうだ」とだけ短く答えた。

 兄妹のやり取りに与平が片眉をぴくりと上げた。


「元四洞家の直孝さまのことか?」

「はい。一度、邸宅にお邪魔させていただいた折りに」

「なぜ、そのような場所に? 旧勢力の一人だぞ」


 すかさず碧霧が割って入った。


「俺が会いたいと言って探してもらったんだ。彼は、洞家を追われてからも土地の浄化に尽力されていた御仁だ。その時、彼の歌を聞かせてもらった」

「……伯子と言えど、下手をすれば『謀反の意あり』と疑われますぞ。軽はずみな行動は慎んでいただきたい」


 そして、与平は小さなため息を一つつき、あらためて紫月を見た。


「まさかとは思いましたが、あれは『月詞つきこと』ですね。聞いたのが久しぶりで、にわかに信じられませんでしたが……。かの歌は月夜の変より三百年、歌われたことはないはずだ」

「……」


 紫月は硬い表情のまま黙り込んだ。

 与平の「歌われたことはない」と言うのは、「公の場」でという意味だろう。なぜなら、紫月も藤花もずっと歌っている。


 ただ、里外れの端屋敷で聞く者が限られているというだけで。


 左近と右近は押し黙ったままじっと紫月を見つめている。

 さらに追及しようと与平が口を開きかけたので、碧霧がそれを制止して彼女に代わって答えた。


「そうだ、月詞だ。いつもは、もっと遊び歌のように歌っているんだけど──」

「いつも?」

「でも、俺以外の前では歌わないように言ってある。さっきは──、ちょっと非常時だったから」

「遠征自体がすでに非常です」


 ぴしゃりと与平に言い返されて、碧霧もそれ以上は言い返せなくなった。

 与平が「まずいな、」と難しい顔で独りごちた。


「深芳さまはそんな話をしたことがなかった」


 一方、紫月の母親を「落山の方」と呼ばずに「深芳」と呼んだことが碧霧の耳に止まる。二人は以前から見知った仲なのかと彼は思った。

 そういうことなら、紫月が彼のことを「与平さん」と呼んで親しげに抱きついたことも多少は合点がいった。まあ、納得はいかないけれど。


 すると、ずっと黙っていた紫月が、戸惑った様子で口を開いた。


「葵と私は、月詞つきことの話をしたことがないよね。なのに、葵は『俺の前以外で歌うな』って言った。最初から知っていたってこと? つまりは、そういう意味? だから私に近づいた? 私を宵臥に召し上げたのは私が月詞の歌い手だから?」


 矢継ぎ早に思いついたことを口にし始める彼女を碧霧は「ちょっと待って」と止めた。


「違う。紫月と明山あからやまで会ったのは偶然だし、そもそも宵臥の話はお互いに何も知らされてなかっただろ」


 紫月がふいっと顔をそらす。まるで信じられないと言ってるようだ。


「紫月、」

「伯子さまならどうとでもなるでしょ。あなたは、いつだって私に嘘をつくじゃない!」


 最後は吐き捨てるように紫月が言った。

 その場がしんと静まり返った。

 そして彼女は、顔をこわばらせると、両手をぎゅっと握りしめなが俯いた。


 しばしの沈黙──。


 ややして、その重苦しい空気を与平の大きなため息がすくい取った。


「お二人は、もう少しお話しをなさった方がいい」


 言って左右の守役に目配せする。


「しばらく儂らも天幕テントの設営を手伝いましょう。ここには誰も近づかないようにいたしますゆえ、ゆっくりお話しください」


 与平はそう言うと、左近と右近を連れて幕外へと出ていった。

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