3.まさに風にのる

 休憩を終え、碧霧たち三番隊はさらに南西へと下っていく。

 先頭を行くのは紫月を前に乗せた右近の馬だ。その脇を狛犬が並走している。

 背後にぴたりと碧霧と与平がついて、さらに三番隊が続く。

 誰もが、どうなるだろうと前を走る女剣士の背中を見つめた。


 女だからと特別扱いはできない。しかし、女が男より体格も体力も劣るのは事実である。

 多少の遅れは見せていたとは言え、ちゃんと脱落せずについてきた時点で誰も右近を馬鹿にする気はなかった。


 一方、右近の表情は強ばっている。

 今までの疲労もあるが、自分の走りが部隊全体の動きに影響を及ぼすことへの責任の重さからだ。


「紫月さま、このまま進めばいいのですか?」

「ううん、ここから空を上るわ」

「これ以上、上空へ? 空気が薄くなりますよ?」


 馬で空を駆る高さはだいたい決まっている。

 上空は空気が薄く、鬼も馬も疲れてしまうからだ。

 しかし、紫月は気にする様子もなく上空を指し示した。


「ほら、あそこ。風が呼んでる。手綱を引いて!」

「うわっ、勝手に引かないでください!!」


 一気に右近の馬と狛犬が空を駆け上る。

 それを追いかけるように与平たちの部隊が続く。

 「マジかよ」という声が漏れはするが、鬼たちの顔は嬉々として笑っていた。

 こういう興奮スリル六洞りくどう衆の隊士たちは大好きなのだ。


 上空特有の冷たい空気が頬にあたる。

 ぐんぐんと駆け上ることしばし、ふと、体が持ち上がるような感覚を右近は覚えた。


「さあ、風に乗って走るわよ」

 

 紫月の言葉と同時に、馬が滑るように走り出した。馬が空を蹴るたびに、まるで数間先まで進む勢いだ。


「姫に遅れるな! 離れたら最後、置いていかれるぞ!!」


 いつもは手の動作だけで指令を出す与平が、珍しく大声を上げた。

 それほどの早さで右近の馬が走り始めており、そしてこの「風に乗る」という状況が今までにないことだからだ。


 右近の馬は上下左右へと目まぐるしく向きを変え、縦横無尽に駆け巡る。

 それを追い、一糸乱れぬ隊列のまま、三番隊が突き進む。

 中には興奮のあまり奇声を上げる者もいた。


「これは──まさに風に乗るだな」


 碧霧が驚きの言葉を漏らすと、与平が上気した顔で「ええ」と頷いた。

 彼もこの状況を楽しんでいるらしかった。


 先頭では、落ち着きを取り戻し始めた右近が、手綱を握り締め直した。

 紫月が右近に笑いかける。


「もう大丈夫ね。ほら、風に乗ると楽でしょ?」

「助かりました。紫月様、ありがとうございます」


 紫月が自分の馬に乗ったのは、ただただ自分を庇うためだ。

 そんな彼女の優しさに触れ、右近は胸が一杯になった。


「その……、碧霧様の従姉いとこ君とは知らず無礼な物言いをしたこと、怒ってはおりませんか?」


 守役として間違ったことをした覚えはなく、謝る気はなかったのだが、気になって紫月に尋ねた。

 紫月が「そんなこと、」と予想どおりの反応をする。


「怒ってないわよ。だって、右近は右近の仕事をしただけで。あの件に関しては、誰が悪いわけでも──、いや、あえて言うなら葵が一番悪いわね」

「あはは。宵臥を逃げ出した姫だって、一晩で有名になりましたよ。私もどんな姫かと思いました。なんでも、いきなり平手打ちも食らわしたそうで」

「だって、自分のことを雑用係だって言ってたのよ。嘘をつくにも程がない?」


 呆れた口調で紫月は言った。

 自分も嘘をついていたことは、まあ、省略したけれど。


 馬はぐんぐんと空を駆る。


 勢いに乗って小一時間ほど進んだだろうか。

 南西部の上空に紫月たちは来ていた。


 ふと、紫月が前方を注視した。風が淀んでいる場所がある。


 西の鬱々うつうつした空気と風がぶつかり合い、それ以上進むことができずに、さらさらと地上へ流れて落ちていた。

 優しく風に撫でられても、西の空の機嫌は直らないらしい。

 紫月がぽつりと呟いた。


「あら、落ちるわね」


「え?」


 刹那、馬が急降下し始めた。

 右近がとっさに手綱を引いて馬首を上げた。しかし、馬は止まらない。


「おわあっ!! おっ、落ちてますよ!!」

「大袈裟ね。ちょっとした滑り台みたいなもんじゃない」

「何を余裕ぶっこいて──、こんな滑り台があるもんかっ。あんた、姫のくせにどんな育ち方をしてんだっ?!」


 右近が顔をひきつらせ、ほぼ素で突っ込む。


 背後で叫び声のような雄叫びが聞こえた。

 右近が振り返ると、それでも隊列を絶対に崩さずに滑り降りてくる三番隊が見える。


 いやはや、さすがと言うか、そこまでするかと言うか。


 とは言え、さすがの六洞りくどう衆でも、この高さから叩きつけられたらタダではすまない。

 なすすべなく一気に滑り落ちていくことしばし、地上が見えてきた。


 このままだと、ぶつかる──。


 右近は思わず歯を食いしばった。


 その時、


 まるで鈴がりんと鳴るように、澄んだ声が響いた。

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