3.戻ってきたペンダント

 うんざりするほど長い十兵衛の説明を聞き終え、碧霧が解放されたのは午後過ぎ、人の国製の時計を見ると一時ちょっと前だった。

 さらに目の回りが落ちくぼんできた十兵衛がよろよろになって部屋から退出すると、碧霧もソファーから立ち上がって伸びをした。

 長時間座り続けたせいで、お尻がじんわり汗ばんでいる。


 碧霧は、同じように立ち上がってひと息つく左近と右近に声をかけた。


「午後からは休みだ。夜から儀式も始まるし、二人も自由にしていいよ」


 本当は二人から解放されたい方便である。自由にしたいのはこちらなのだ。

 今からなら紫月に会えるかもしれない。いや、なんとしてでも沈海平しずみだいらに行く前に会っておきたい。そう思うと気持ちが逸る。


 しかし、左近が「いいえ」と首を左右に振った。


「昼を食べ、それから衣装合わせです」

「衣装なんて、なんでもいい。適当に決めてくれたらそれを着る」


 苛々としながら左近に言い返すと、左近が含みのある目をこちらに向けた。


「えらく急いていらっしゃいますが、またどこかにお出かけですか? 今日の外出は無理です」

「誰も出かけるなんて言ってない」


 図星を指され、思わず碧霧は否定する。

 すると、今度は右近が口を開いた。


「碧霧さま、どのみち彼女には会えませんよ」

「え?」


 右近の口から出てきた「彼女」という言葉に碧霧は驚いた。

 左近はともかく、右近は紫月のことを知らないはずだ。しかし、右近が懐から取り出した物を見て、碧霧は目を見張った。


 それは、革紐で巻いたアメジストのペンダントだった。


「なんでそれ、おまえが持っているんだ?」

様に返しておいてほしいと。いらないと言われましたもので」

「右近、おまえ──!」


 思わず右近に詰め寄る碧霧を左近が制止する。


「俺が右近に頼んだのです。あなたが、この大切な時期にふらふらしているから」

「彼女に何を言ったんだ?! 右近!」

「……身を引けと。聞き分けのいい賢い娘でしたよ」

「何を──、勝手なことをしているんだっ」


 刹那、右近がアメジストのペンダントを碧霧の胸に乱暴に押し付けた。


「どっちがですか。伯子じゃなければ、あんたの横っ面を一発殴っているところですよ。あんな素直で可愛い子をどうするつもりだったんです? まさか、何も知らない彼女をこの毒蛇だらけの奥院に召し上げるつもりだった? それとも気が向いた時にだけ遊びに行く都合のいい女にするつもりだった? どっちにしても、いい迷惑だ」


 右近が女特有の嫌悪感をあらわにした顔で碧霧を睨む。

 幼い頃から側にいたからこその遠慮のない物言いに碧霧は言葉に詰まる。


だなんて、自分が何者か言えなかったんでしょう? その時点で答えは出てますよ」

「……違う、言うつもりだった。昨日、言えると思った」


 うつむいたまま碧霧はうめくように言った。

 でも、「伯子も同罪」と断じられ、言い出すことができなくなった。

 右近がアメジストのペンダントをテーブルに静かに置いた。


「もし仮に言えたとしても、これが現実です。彼女はあなたの思いを受け取れない」

「そんなこと、分からないだろ」


 碧霧はばっと顔を上げると、すがるような目で左右の守役を見た。


「彼女を探してくれ。まだ、どこの誰かも聞いていない。手段は選ばなくていい」

「まだ言いますか──!」

「待て、右近」


 左近が妹を制止する。そして彼は、落ち着いた声で碧霧に言った。


「なぜそこまで一人の娘にこだわります? 今までさんざん遊んでいたではないですか。その一人がいなくなるだけだ」

「何も知らないくせに、あんなおんなたちと一緒にするな!」


 その時、


「何を騒いでおる?」


 前触れなく障子戸が大きく開き、威厳のある艶やかな声がした。

 はっと廊下に目をやると千紫が怪訝な顔で三人の様子を見ながら立っていた。


 こんな時に──!


 碧霧はあからさまに舌打ちをした。


「今、ちょっと忙しい。後にして」

「こちらは、もっと忙しい」


 息子の暴言に微塵も動じず、千紫はずかずかと部屋に入って来た。そして低頭する左近と右近をちらりと見る。


「碧霧と二人で話をしたい。ここはもういい。重丸が三日後の遠征の準備に追われているので、父親を助けてやれ」

「は、」


 こうなると二人も下がるしかない。二人は不機嫌極まりない碧霧の様子を一瞥しながら部屋を出ていった。

 二人の足音が遠くなるのを確認してから千紫がようやく口を開いた。


「明日の夜のことで話がある」

「ああ、それ」


 さっき十兵衛が言い渋っていた件だ。

 どうせロクなことじゃないと、碧霧は大きなため息をついた。


「明日の夜、何があるんだ?」

「一人の姫を宵臥よいぶしとして召し出す。彼女に会って欲しい」

「──は?」


 一瞬、碧霧の思考が止まった。


 

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