4.夜のお相手

 宵臥よいぶしとは、もともと男子が成人する時に夜の相手として娘をあてがったのが始まりで、成人の時に限らず当主就任などの祝いの席で必要に応じて行われる悪習だ。


 今でも洞家や家元の間では政治的な駆け引きとして横行している。

 一晩でお役御免になる場合も多いが、娘を気に入ってもらえれば、意中の家と縁戚になることも夢ではない。


「何を言ってるんだ? 宵臥よいぶしなんて、そんな気分じゃない!」


 配慮の欠片も感じられない母親の提案に、碧霧は吐き捨てるように言い返した。しかし千紫は一瞬だけうるさそうな顔をしただけで、そのまま彼の言葉を無視して話を続けた。


「相手は、旺知さまの兄、成旺しげあきさまの子。おまえの従姉いとこにあたる」

「父上の兄って、なし者だったんだろ? 会ったこともないし、今まで歯牙にもかけていなかったじゃないか」

「まさか。なし者に対する偏見が私にあると思うてか」


 千紫があくまでも優美な所作で口角を上げる。

 碧霧は絶句した。


 父親に兄がいたことは知っている。しかし、彼はなし者で公の場に出てきたことは一度もなく、身内の碧霧すら会ったことがない。

 一年ほど前に亡くなったことだけ聞かされ、本当にいたかどうかも疑わしいくらいだった。


 知っていることと言えば、先の政変で元伯家の姫が側妻そばめとなり、その間に自分より十ほど年齢が上の娘がいることくらいだ。それさえも大昔に聞いたことがあるだけで、今の今まで存在さえ忘れていた。


(あれ……?)


 妙な既視感を覚え、碧霧の思考が再び止まる。


 似たような話をつい最近聞いた。そう、紫月の口からだ。

 父親がなし者で、母親は無理やり夫婦になったと。どういう状況なんだと頭をひねっていたら、紫月に「育ちがいい」と嫌味を言われた。


「かの姫であれば、どの洞家にも角が立たぬ。我が身内にて血筋も申し分ない。それに、彼女以上におまえに相応ふさわしい相手はおらぬと私は考えている」

「……名前は? その姫の名前」


 震える声を振り絞り母親に問う。

 彼女の口から予想どおりの名前が返ってきた。


「紫月、という」


 そんな馬鹿な。


 碧霧は言葉を失った。

 素性も知らず偶然に出会った女の子が、忘れ去られた隠し姫だということ、何より、そんな彼女が宵臥として奥院に上がるということが信じられなかった。


「彼女は、この話を受けたのか?」


 受けるも何も、伯子の宵臥を断ることなんて出来ないのだが。

 しかし、彼女ならやりそうだと、碧霧は千紫に尋ねた。母親が「もちろん」と頷く。


「本人の了解は得ておる。伯子が相手だと言うことも伝えておる」


 全身が震えた。しかし、喜びからではない。これは、怒りだ。


「ちょっと、出ていって」

「まだ話が終わっておらぬ」

「出て行けって言っているんだ!!」


 最後は千紫に向かって碧霧はわめき散らした。息子の剣幕にさすがの千紫も言葉を飲み込み静かになった。


 碧霧はどかりとソファーに腰を下ろし、両手で顔を覆うと、そのままソファーに横になった。


「一人になりたい。遠征の打ち合わせは必要だから聞く。でも、伯太の儀のことは、勝手に進めて。時間になれば言われた通りに動く」

「紫月の母親の深芳は、私の大切な友人だ。その姫をわざわざ召し出すのじゃ。くれぐれも彼女の意に反する乱暴な真似はしないよう」


 碧霧は答えない。千紫は小さなため息とともに部屋を出ていった。




 一人になり、碧霧はゆっくりと顔から手を離す。

 天井の格子をぼんやり見つめながら、紫月のことを考える。


 元伯家の二人の姫は父親が違う。

 姉の深芳は後妻の連れ子であり、先代鬼伯の実子ではない。しかし末姫藤花は、先代鬼伯と後妻との子だ。紫月の母親は、実子でなかったことで扱いが緩くなったと考えていい。


 なし者の側妻そばめという社会的な抹殺であったとしても、屋敷から出られない訳ではない。だから紫月もあんな風に自由だった。


(紫月の母親も月詞つきことが歌えるのだろうか)


 月詞は生まれながらの素質に大きく左右されると直孝が言っていた。と言うことは、紫月の母親は歌えると考えるのが妥当だ。


(でも、この月夜の里で月詞を歌えるのはもう末姫しかいないと聞いた。直孝おうが歌うことができたけど、あの程度ってことかな?)


 あちこちに考えが飛び火してまとまらない。

 自分が知らない三百年前のことをうだうだ考えていても仕方がないのかもしれない。


 何より、明日の夜、紫月が宵臥よいぶしとして来る。

 彼女は、「葵」が「碧霧」であることは知らない。つまり、「碧霧」という会ったこともない男の元へ彼女は抱かれにやって来るのだ。


「どういうことだ、紫月──!」


 結果的にそれが自分自身であったとしても、碧霧は怒りで震えた。

 昨日会ったときはそんな素振りは全くなかった。

 むしろ、沈海平しずみだいらの対応について「伯子も同罪」と断じたぐらいだ。それがどうしてこんなことになる。まるで裏切られた気分だ。


 ふとテーブルに目をやると、右近が置いていったアメジストのペンダントが目に入った。

 右近は、「自分に言われて彼女は身を引いた」と言ったが、本当のところはどうなんだろうと疑念が生じた。結局は、彼女も他の姫たちと同じように伯子の地位にぐらついたんだろうか。


「だとしたら、再会する価値もない」


 真実を知って驚く彼女をめちゃくちゃにしてやろうか。

 乱暴な考えがわき起こる中、半ばやけくそ気味に碧霧は呟いた。

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